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2014年07月26日21:17

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晴れやかなる「沈没」生活?


バックパッカー旅の言葉に「沈没」という言い回しがある。

これは「特に明確な目的もなく、だらだらとその地に長期滞在する」ことを意味している。

仕事や勉学、あるいは何某かのセミナーやらプログラムの為のリトリートという「明確な目的」の為ではなく、もちろん観光メインというわけでもなく(単に観光目的ならそもそも長居する必要はない)、ただのんべんだらりんこ〜とそこに滞在する・・のである。

まあ基本的に「風光明媚な居心地のよいところ」である事が多い。


さて私にとって「長期滞在地」というのは、ティルヴァンナマライ(アルナーチャラの鎮座する南インドの町)を筆頭にリシケシ(北インド)、パンガン島(タイ)、ティルタガンガ(インドネシア・バリ島)、上海といった辺りなのだが、これらは決して「沈没」のための場所ではない。


それぞれの滞在先にはそれぞれの「明確な目的」がある・・・もっとも傍目には「ただぶらぶらしてるのとどこがどう違うのか?」と思われる節も多々あるのだが(笑)



そういう意味合いで考えると、ここカニャクマリは私にとってはいわゆる「旅の沈没地」というのがもっとも適切な表現なのだろうな・・日数的には全然長期滞在というレベルではないにしても(初回91年の2週間が最長、今回の8日間というのはそれに次ぐ)。


ここでは基本的に「毎日ただぼんやりと海を眺めているだけ・・・」だからねえ(笑)


もっともそれが「楽しい生活か?」となると、実は必ずしもそうではないのですな。

観光旅行が楽しいのは、それが「非日常的体験」だからである。

ところがこの「沈没生活」というのは、あまりにも「日常的な生活の一環」だったりもするからなのだ。


だから、「つまらなかったり、退屈だったり、ぱっとしなかったり・・・」というネガティブな気分に陥ることもよくある話なのですなあ。


ただ、そんな気分になった際でも例えばここカニャクマリは、町の270度が海なのだ(東にベンガル湾・南にインド洋・西にアラビア海を臨む、インド最南端の地・・通称「コモリン岬」)。


私の滞在している宿は設備はぼろい安宿であるが、絶好のロケーションにあって、もちろん「オーシャン・ビュー」の部屋ざんすよん!!(五階だが屋上からは更に絶景が眺められる)

少々のくさくさした沈鬱な気分であっても散歩に出かければ、これはもう歩いているだけで気分が晴れてくるし、またここはインド有数の聖地でもあって、その波動の晴れやかさはこの地ならではのものである(ここに鎮座ましますご祭神は「クマリ女神」、と同時に聖者ヴィヴェカーナンダに大いにゆかりのある土地である)

だから同じ「怠惰なる引き籠もり状態」であっても、大いなる晴れやかさの元にある!!・・・という大きな違いがあるのですな。



そしてこれはやはり現実的には「経済格差を利用したマジック」の一環、ということでもある。もっともこの年齢でこんな旅をしているということ自体、一つの恩寵であることはいうまでもない。

「堅気」の身分では経済的には可能でも、これだけの「自由な時間」を捻出するのは困難だろう。


翻って日本での生活を考えてみたとき、

例えば江ノ島や伊勢・二見浦という「お気に入り」の地があるわけだけど、日本の生活様式の中では、この

非居住の旅人として「毎日ただぼんやりと海を眺めているだけ・・」というのが、極めて困難なのですな、それはこれまでの江ノ島詣でやお伊勢参りのスケジュールを振り返ってみれば明白である。


日本の場合は結局「その地に居住する」ということがどうしても必要に迫られるわけですなあ・・・それ故に以前から、将来は「江ノ島界隈・伊勢界隈に住みたい!!」という希望を持ち続けているわけだからねえ。

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