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2014年01月06日23:29

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山梨県庁の正義

最近ニュースを見ていなかったのですが、これについては物申したいと思います。

地方公務員、精神疾患が急増
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2712097

簡単に自己紹介しますと、私はかつて山梨県庁に勤めておりました鳥人間と申します。
2004年に人事異動がきっかけとなり心の病を患い、2008年度をもって退職しています。
在職期間7年のうち、休職を繰り返しながら5年も病人として過ごしたことになります。
発病から丸10年が経ち、おかげさまで現在は悠々自適な毎日を過ごしております。
しかし元勤務先の人間たちから受けた心の傷により、仕事に就くことができないでいます。
現在は地方職員共済からの年金が唯一の収入源であります。

私が元勤務先を実名で紹介しているのには理由があります。
以下の内容はすべて事実で、それらのすべてが彼らの正義を反映したものだからです。
つまり、彼らはすべての措置が適切に執行されたと自負しているということです。
ですから、もし私の主張に誤りがあるのなら遠慮なく削除依頼をしてください。
ただし、その方には誰もが納得するような正当性を論じていただくことになりますが。

繰り返しますが、以下は一部を除きすべて事実であります。
中立的な文章を心がけますが、あくまで患者からの報告であることをご承知ください。
なお長文かつ拙文となりますので、お時間があるときにご一読いただけると幸いです。
内容は半分ほど割愛していますので、もしご不明な点がありましたらご質問ください。
可能な限りお答えできると思います。


私は山梨県の元職員で、農業に関する技術吏員として2002年に採用されました。
農業試験場に配属され、作物科という食用作物の栽培技術に関する試験研究担当しました。
食用作物とは水稲や麦類、さらに大豆などの穀物を指します。
その中でメインとなるのは水稲であり、栽培までできることが一人前の条件となります。

科員は私を含めて2名であり、上司の試験場での業務経験は8年程度でした。
私は大学院を出ていないので、最初は特に苦労しました。
さらに1年目の5月から9月にかけては上司が不在となり、たった一人となりました。
この期間は水稲の栽培期間そのものであり、私は十分に技術を習得できませんでした。

2年目の人事希望調査で、私は当然のように残留を強く希望しました。
試験研究業務は最低3年は続けなければ意味がないと言われています。
理由は簡単、仕事にならないからです。
採用直後、上司から「3年で一人前にする」と言われていました。
これは理想論でしたが、少なくとも上司は3年以上在籍するものと考えていたと思います。

試験研究を行う者が他の所属への異動を希望する例は極めて少ないのです。
例え異動になったとしても、それまでの経験が活かされるのが慣例となっています。
行政職の事務職員についてでさえ、同じ所属に3年在籍する者は少なくありません。
研究職は行政職より高給なのですが、それはより高度な知識と経験が必要だからです。
仕事の質から判断して、試験研究業務がデスクワーク未満であるはずがないのです。

作物というものは、基本的に一年に一度しか栽培できません。
つまり、2年目が実質的な1年目だったのです。
ですから、ジョブローテーションを行うには習熟度があまりにも足りなかったのです。
そのため、私は自分がジョブローによる異動の対象外であることを確信していました。

しかし、起こしてはいけないことが起こりました。
いざ蓋を開けてみると、水田がほとんどない地域の所属に異動とありました。
これは、作物科で頑張ってきた2年間の努力が完全に水泡と化したことを意味します。
それは適材適所であるはずもなく、計画性や戦略性などはない暴挙だと思えました。

そもそも私は残留することになっていたらしく、実はそれを裏付ける物証もあるのです。
しかし、当時の私では不服申し立てをしても却下されていたでしょう。
不当性を箇条書きしたいのですが、人事要綱を完全無視したものとだけ言っておきます。

このバカげた人事により私はうつ病患者にされました。
2003年度の年度末のことで、以上が発病までの経緯です。


ここからは私が受けた精神的苦痛について書かせていただきます。
以下は私が心の病の患者だと熟知している周囲の者たちが引き起こした出来事です。

2004年度に私は新しい所属に配属されましたが、2ヶ月後に半年の傷病休暇を取りました。
その時すでに、職場を代えなければダメだという思いがありました。
もちろんそんな声はかき消されてしまうのですが、こちらは深刻な状況でした。
なお、6月に通院および投薬治療を開始しています。

その後しばらくは出勤できましたが、ある時期に何者かから嫌がらせを受けたのです。
それはマウスのコードと本のカバーをカッターで切りつけられるといったもの。
被害を認識していましたが、そのときには上司である幹部職員には報告しませんでした。
12月の初め頃だったと思います。

2005年度に入って待っていたのは、一日の仕事が夕方のゴミ捨てだけという生活でした。
これが2ヶ月も続きました。
身も心もボロボロです。
「職場に行けるほどの元気がない、でも休むと異動させてもらえない」
精神的に最も追い詰められたのはこの時期だったと思います。
異動できなかった主因は前年度の長期休暇にあり、体を引きずるしかなかったのです。

後に知るのですが、本来なら通常業務を行っていなければ復職とは言えないのです。
つまり、人事課と所属の連係がまったくできておらず不毛な日々を送っていたのです。
この件についてだけは、人事課の担当者がその非を認めています。

病状が改善するはずはなく、私は精神科病棟に入院することになりました。
この年の6月上旬のことです。

入院から2ヶ月が経った頃、復職の希望を幹部職員に伝えました。
ただしその条件として、先の嫌がらせが再発しないよう職員への通達をお願いしました。
それは犯人探しではなく、上司の誠意を確認するものでした。
マウスは処分してしまったため、私物である本のみを提示してその見解をもとめました。
少なくとも疑いがある以上、解決してもらわなければ困るからです。
ところがその後、思わぬ展開となってしまいます。

幹部は「本のカバーが切りつけられたのは故意によるものではない」と主張。
「誰かが私の机でカッターを使う仕事をし、その下敷きに本を使った」

これが彼らの結論ですが、私物の本を勝手に使うこと自体許されることではありません。
キズは大きな「×」で完全に切れていましたが、なぜかカバーの下は無傷でした。
これはカバーを外して切ったことを示し、何者かが故意に行った動かぬ証拠です。
ちなみに本のサイズはB6版、ハガキより少し大きい程度のサイズです。
みなさんならこの上でカッターを使うなら、何を切りますか?

私は理路整然と反論しましたが、入院患者の言葉など聞き入れられません。
所属長に至っては「自分でやったのを忘れているだけ」と言い放つ始末。
つまり、私が自作自演を企んだというのです。
揉み消し以外の何物でもなく、嫌がらせ以上に非難されるべき弱い者いじめです。
これが彼らの正義です。
以上のやり取りは、すべて入院中の精神科病棟で行われたことを覚えておいてください。

私は11月末に退院しましたが、後遺症のため現所属には通えない体となっていました。
幹部たちに会うのはもちろん、職場の建物にさえ恐怖心を抱くようになったのです。
「適応障害」診断され、診断書は「他の所属での復職が不可欠」という内容でした。
しかし、医学的根拠は黙殺されます。
主治医が怒り心頭だったことは言うまでもありません。
県庁には民間の産業医にあたる医師がいましたが、その意見さえ踏みにじられました。
これも彼らの正義です。

その後、人事課などの担当者との話し合いが行われました。

復職の流れですが、現所属には通えないことが大前提となります。
原則的に復職は現所属でしかできません。
また、事前に行う職場リハビリについても同様です。
私の場合、現所属での復職は不可能であることは言うまでもありません。
リハビリがうまくいけば復職となりますが、これも現所属以外である必要があります。
そこで、まずは他の所属でのリハビリを認めさせる必要があります。
前例のないことでしたが、人事課は他の所属でのリハビリを許可しました。

喜ぶのは早すぎました。
なんと、復職先は現所属だと言うのです。
先の内容を考慮すれば、他の所属での復職が許可されたと思わざるを得ません。
ところが、それとこれとは別だと言うのです。
現所属に通えない私がリハビリを終えたらどうなるか?
なんでも他の所属にとどまり、お声がかかるのを待てと言うのです。
それはどこかの所属にスカウトされるを待てという意味で、雲を掴むような話です。

かくして、何の前進も見られなかったのです。
「ここまでしてやってるんだから文句を言うな!」と言わんばかりの人事課。
結局この条件を飲むしかなく、リハビリを行いましたが失敗。
しかし、これは正解でした。
彼らの正義に付き合うのに疲れていましたから。

結局、私が新しい所属で復職を遂げたのは退院から2年以上も経った頃でした。
しかし仕事の勘を失っていた私は1年と持たず、不本意ながら退職に至っています。
良識ある上司に恵まれ早期に解決していたら、もう少し長生きできたでしょうね。
こんな就職先を選んでしまった自分にも責任がありますが。


以上が大筋の流れです。

今さらこんなことを振り返っても何の意味もありません。
ただ言えるのは、こうすることで私の二の舞を防げたらそれは本望であります。
私にはこの事実を白日の下に晒し、世間にその是非を問う権利があります。
でも彼らとは二度と絡みたくないので、情報を垂れ流すだけにとどめておきます。
なお、この日記はご自由にお取り扱いくださって結構です。


山梨県庁の人間がどうなろうと構いません。
何人病人が出ようが何人死のうが、それがあなた方の正義なのですから。
せいぜい、大好きな組織とやらに守ってもらってくださいな。

バカな連中がバカなことをしただけ。 

これを結びの言葉といたします。


ご意見ご感想、そしてご批評をいただけたら幸いです。
長時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
この日記には続きがありますので、よろしかったらお読みください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1919502017&owner_id=5753041

鳥人間
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