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2013年11月18日16:31

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「アルナーチャラ登頂にあまり意味がない理由・・・・」



一昨日の嵐のような強烈な風雨から一転して、天候は急速に回復し昼過ぎからは熱い日差しすら戻ってきて、山頂も完全にクリアとなって「よし、これで今回は見事な点火を迎えられだろう」・・・・


というのが昨日晩方の状況だった、あれこれ考えたが点火初日(約2週間聖火は燃えるのだが、昼間は消えているので毎晩点火するのである)は、アシュラム内外は大変な状況なので(正月3が日の明治神宮みたいに)、結局サマディホール前の通路に陣取ることにした。


幸いにして今回はかなり良い場所を確保できた・・・ラマナの御座所のすぐ近くであり、アシュラム公式サイトの動画中継用カメラが御座所の方にパンする時におそらくフレーム内になる場所であるので↓

http://www.sriramanamaharshi.org/portfolio-item/maha-deepam-2013-video


もしかしたらこの動画の中に私の姿も写っているかもしれない(笑)



ところがところが、点火30分前あたりから「雲行き」が再び怪しくなってきてしまった・・・空全体は見事に晴れているのだが、山頂付近に雲が掛かり始めたのである。


で、結果的に残念ながら今回は「点火の瞬間」がわからなかった・・・・ということになってしまった、おそらく動画でも確認できないと思う。


ううむ、今回7度目にして初黒星・・・5勝1敗1分である、まあ楽天の田中だって最後の最後の日本シリーズ第6戦で黒星がついたのだから・・・と全然関係ない理屈で納得するしかない(笑)



もっとも点火の瞬間こそ見られなかったが、その後で瞬間ながら雲間が開いて聖火そのものは「クリアにかいま見る」事が出来た(それ以降は再び視界が閉ざされてしまった・・)ことだし、前日の悪天候のことを考えたら「上出来」ではあるざんすね。



昨夜は推定約30万人という大巡礼団がギリプラダクシナをしていたわけなのだが、このアルナーチャラという山は標高810メートルといわれていて、もちろん頂上まで登る事が出来る。


のではあるが、「登頂する」という行為はあんまり推奨されていない。(私自身もまだ頂上には行ったことがない)


それよりも古来から周囲13キロ半をぐるりと回って歩くという「ギリプラダクシナ」の方が遙かに重要な位置づけをされているのだが、どうしてなのかな?・・・と考えると、おそらくはアルナーチャラの神話的起源に関わるのだろうねえ。



「アルナーチャラ登頂にあまり意味がない理由・・・・」


アルナーチャラの起源を説明する南インド神話で、彼は「天地を貫いて屹立する巨大なる光の円柱」として出現し、争っていたヴィシュヌ神とブラフマー神に対して、


「私の限界点を見極めた者を勝者とする」と宣言し、ヴィシュヌ神は地下へ・ブラフマー神は天上へと「円柱の先端」へと赴くが、どちらも結局先端を見い出せずに終わる。


特に天上に向かったブラフマー神は、「先端を見てきた」と虚偽報告するがそれが嘘とばれてしまい、結局正直に申告したヴィシュヌ神の勝ちとなる・・・わけで、



たとえ山としての頂きに到達しても、「それはアルナーチャラの先端ではない(彼は無限大なのであるから)」ということを象徴しているのではないだろうか?


またそれ故に、礼拝して1周する行為(ギリプラダクシナ)が尊ばれるのではないだろうか?


・・・・・ということなのですな。



因みにこのお話の結末は、ヴィシュヌとブラフマーの争いに決着は付いたものの、「天地を貫いて屹立する巨大なる光の円柱」であるシヴァ神はそのままでは「あまりに眩しすぎてお姿を拝めない」し、その熱であたりを焼き払ってしまうので近づく事が出来ない・・・ので、


集まっていた諸衆が揃って「どうか我々が礼拝できるお姿になって下さい」という懇願を聞き入れたシヴァ神は、

「それでは・・・」ということで「山の形に姿を変えてここに鎮座ましました」・・のが、アルナーチャラ山なのざんすよん。



そんなわけで「ディーパム聖火」というのは、アルナーチャラの本性である「天地を貫いて屹立する巨大なる光の円柱」を想起させるための象徴的な存在・・・なのですなあ。


一夜明けて今朝も山頂は隠れたままだが(これはこの時期の朝方は大体そうである)、さて今夜は今回滞在のラスト・ギリプラダクシナざんす・・・・聖火を仰ぎ見ながら歩くことが出来るかな?




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