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2013年09月18日16:30

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旅の大先輩の追悼の記



満月が近づいてきてアシュラム周辺もざわざわしてきた感がある。諸々の都合上、本来は避けている満月当夜(18日)にギリプラダクシナ実施予定。

今回はご案内業務の調整のからみがあって、今のところ「4日に1度」になっているが、18日以降は従来の「3日に1度」に戻すざんす(月末30日に「3回目のお百度参り」到達予定)。

実施時間帯についてもいずれ固定化するので、ご興味のある方は是非恒例の?「シンクロ瞑想」(私が歩いている時間帯に合わせて、意識をアルナーチャラへ向ける)を試みられるのも一興であろう。


さてさて、タイ・パンガン島で休暇中の友人からは私の息子の消息の他に、ある人物の死去のニュースも知らされることとなった。


その人は旅人の「大先輩」であり、若き頃ヨーロッパに渡りあちこち旅をした後、「初めてインドに来たのは1969年だったよ・・」という正しくヒッピー世代の一人だった方である(生きていたら来年70歳だったのかな?)。

その人・・Bさんと呼ぶことにする、と初めてお会いしたのは92年の7月。やはりパンガン島シトヌービーチの「シーヴューレインボウ・バンガロー」に滞在中の時であったのだが、その直後の強烈な体験と共に現在でも明確な記憶として残っている。


以来Bさんは私の人生にあってはある意味で「マスター」と呼んでも過言でない方だったが、ここ10年ほどはやりとりも途絶えてしまい、「今頃はどうされているのかなあ・・」と時に懐かしく思い出すという感じになっていたので、今回の逝去の報にはいささかびっくりしたのである。



さて92年7月、私は3度めのインド滞在を終了してカルカッタから出国、バンコクで日本への片道チケットを買って約1ヶ月パンガン島に滞在してから帰国する旅程になっていた・・前年にもそこに1ヶ月半ほど滞在しており、いわば「ヨーガ他の個人キャンプ地?」になっていたのである。

この旅でのインドではリシケシのヨーガの師匠の元で「修行」していたのだが、「酷暑季」の真っ最中だったこともあるし(2度とこの「炎熱地獄の北インド」に行く気にはならない・・)、

個人的にはあんまり「成果」を感じられない・・・なんとなく「がっかり失意」とさえいえる不満足な状況だった(笑・・ただしインド入国前に滞在していた中国で出会った友人2人とは現在でも親交が続いている、最近顔を合わせてはいないが)


もっともこれは誰しもが陥り易い錯覚である。


私の場合3度目のインドといっても、前2回はネパール3ヶ月を挟んでのものだったから、実感的には「インド・ネパール(&数日ながらパキスタンも)」9ヶ月・・・更にそのままタイ2ヶ月・香港経由で中国1ヶ月の合計約1年という長旅、それは人生最初の「バックパッカー海外一人旅」だったわけで(29歳〜30歳の時ざんす)、


まあやはり「ファーストトリップ」というのはあまりに鮮烈・強烈で起伏に富んだ体験の連続だっただけに、その印象が実際以上に想い入れ過剰に「感動的にデフォルメ加工されて記憶される」・・・傾向があるものなのですな(笑)。

だから時間をおいて次に同じ所に行くと、「あれ?なんか違うなあ・・もっと面白かったよなあ?」と、思い入れと現実との大きな落差を感じやすいのである。


話が長くなった・・・まあそういう「ちょっとへこんでる状況」でのパンガン島だったのだが、そういう状況打開の為の一つの思惑があった。

「ようし、それでは今回はここでキノコを食ってやろう!!」


キノコ・・・すなわち「マジック・マッシュルーム」と呼ばれる奴で、様々な神経に作用して「インナースペース・トリップ」を体験することが出きる代物ざんすね(要するに毒キノコを自ら食し、「食中毒に当たって跳ぶ!」のだ)。

パンガン島はそのキノコの「アジア4大名産地」の一つなのざんすよん(多分今でも・・当局の取り締まりは昔より「かなり厳しくなっている」ことだろうが)。

トリップの日を満月の夜と決め、準備?(これが重要なのだ!)に約2週間かけたのだが、その間バンガローの客は何故か私一人きり・・。

そしていよいよ今夜!・・という日の昼に、ようやく?バンガローにお客さんがやってきた。

それがBさんだったのだ・・・・

次回に続く。

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