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2013年08月30日22:16

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「また会いましょう!」〜福島・南相馬公演随想

そもそもTAICHI-KIKAKUから「福島・南相馬公演」の話を聞いたのは、6月下旬頃のまだ「座・高円寺2」公演の稽古の最中だった。

「劇団には予算がないので自腹になってしまうが、それでも構わなければ参加を検討してもらえたら大変嬉しいです」

・・・という内容で何人かはその場で参加意志を表明していたが、私自身はすぐには参加の可否を決められる状況ではなかった。


というのもその時点では今度のインド行き計画については、まだ何ら具体的な検討に入っておらず、諸般の事情もあって8月下旬にはアルナーチャラへ・・という選択肢も可能性として大きかったからである。


7月上旬の高円寺での公演が終了してから、パスポートの切り替えを端緒にあれこれと具体的な旅程を検討するプロセスにあっても、やはり8月下旬出発プランは最後まで選択肢に残り、劇団の方にも「8月下旬にインドへ行くかも?」という連絡を出していた。


で、以前日記に書いたように「南インドの海」の誘惑?とそれを補足するようなメッセージがもたらされたこともあって、結局インド行きは9月上旬に確定した・・・ことを受けて福島公演参加を決めたわけである。


TAICHI-KIKAKUは、「祈りの芸術」を標榜するパフォーマンス集団であり、民族紛争の内戦の傷跡深い場所などの悲しみが刻印された大地に「なにものかに呼ばれる」ようにして、公演を重ねてきた歴史がある。

そんなTAICHI-KIKAKUが、福島・南相馬で公演するということ、しかも設備の整った劇場&一般の観客ではなく、中学校の体育館で小中学校の生徒たち(彼ら自身が何らかの形で「被災者」である)と対峙しての公演ということ・・・・。↓


http://minamisoma-fc.jugem.jp/?eid=575




私が参加した理由というのは、一つには「福島・南相馬」という現場・・大震災の被災地の一つであり、とりわけ津波の被害もさておきながら「原発事故」の現地というものに自らが立つ最大の機会であったからでもある。


私は熱心な「反原発」の立場ではないし、出自の関係もあって「改憲・再軍備」賛成の方の立場にあり、決して「リベラルな平和主義者」ではない・・と書くとすぐ「右翼・ナショナリスト」というレッテルが張られそうだが(笑・・「左派リベラル」でない者は全員極右!という反応自体が過度な偏見である)。


(ただし私の政治的・社会的信条というのは、「現象世界にあって世俗的な身体的存在として機能するエゴ」が関係性の中で構築した虚構の一つである・・霊性上の視点からは「右だろうが左だろうが何であろうがそれ自体が全く無意味」である)


ではあるが、「現地を直接見ることもなく、頭の中だけであれこれ思想を考える」というのはどこか片手落ち・・という言葉を使ってはいけないのなら、「フェア」ではないな・・・というなんとも収まりの悪い・きまりの悪い心持ちであった(「自衛隊」という軍隊組織の現場も私は体験しているのだ)。


いわゆる「ボランティア活動なるもの」に全く関心がない私にとって、この公演に参加するということが福島・南相馬に赴く唯一最大の機会であったわけである。


公演それ自体については、場所の条件が条件だけにパフォーマンスとしての完成度としては各所に穴ができてしまうのは致し方ないが(「暗転」部分も完全に丸見えだし・・笑)、

観客である子供たちとのコミュニケーションはふつうの劇場では得られない「ある種の生々しさ」に満ちあふれていた。





以前書いたように、アバンギャルドなアートである身体詩だが、それでも子供たちは集中していたように思う・・・人数は多いし幼児もいたからどうしてもざわざわする雰囲気は否めなかったものの、そんな中でも身じろぎもせずに熱心に「食い入るような視線」を送ってくる子たちもいた。




本番終了して撤収作業が片づくまではバタバタと駆け足で時間が過ぎ去っていった感じであったが、一段落した後は時間が出来たので現地スタッフの方の案内で「被災地」の状況を見に行くことが出来た。



原発から20キロ圏内(震災時には住民は強制避難となった地域)は、現在では住民の立ち入りは出来るようになったが夜間滞在は未だに不可・・つまり「居住はできない」わけで、まさしくゴーストタウンである。

特に沿岸部の集落は「復旧作業」が全くと言っていいほど進展していないので、津波の被害状況がそのまま残されている場所がかなり多い。

地元市民であっても各地域ごとの「通行許可証」がないと無闇には立ち入れないそうで、我々もまた巡回しているパトカーの目を掠めながらの訪問・・・おおよそ「原発から約3キロ」まで接近することができた。



どこかでこの光景・状況によく似たものを見たなあ・・・と記憶をたぐると、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ストーカー」の舞台となる「ゾーン」と呼ばれている廃墟の街・・・そこは政府によって立ち入りが禁止されているのだが、主役3人は警備陣の銃撃をかい潜りながら「ゾーン」の中へ入っていく。


もちろん我々は銃撃こそされなかったが(笑)、「官憲の目をくぐり抜けて」非日常的な空間へ入っていく・・・のがね、そしてお天気が良かったこともあり、「福島第1原発」を生で(映像ではなく「肉眼で」)遠くかいま見ることが出来たのであった。



沿岸部の一角に、津波で亡くなった人たちの「慰霊碑」が立っていた・・いや「慰霊碑」というような公式の立派なモニュメントではなく、誰かがそこで鎮魂の祈りを捧げた質素な祭壇(もどき)があって、献花や線香や灯明などで埋もれた感じになっているだけなのだが。


私が福島へ行くと聞いた知人から、「ガンガパニ(ガンジス河の水・・ヒンドゥの聖水である)」を持って行って大地に注いできたらどうですか?
・・と提案されたのだが、残念ながらうちには「ガンガパニ」は無いので(液体の機内持ち込みがうるさくなってしまったし)、


ここはやはり「アルナーチャラの石」と「ラマナアシュラムのビプティ(聖灰)」を持って行って現地で散布してこよう・・・と思いつき(まあガンガパニよりもその方が私らしいのだし)、お線香ほか「参拝セット」準備していたのだが、

どうやらここが相応しいだろう、ということでこの慰霊碑の前で鎮魂と安寧の祈りを捧げ、石と聖灰を大地に散布して合掌した。



同じ日本の中にこのような状況があり、原発事故はお世辞にも収束しているわけでもないこの時期に、「東京にオリンピックを!!」などとはしゃぐ気分にはなれないですな。

今回はこの被災地訪問だけでなく、現地の方から「住民の本音や表に出ない&出せない話」などをお聞きすることが出来たのも大変有意義であった。



そしてちょうど福島公演と同じく23日〜25日の期間で、ラマナアシュラムでは「何十年に一度あるかないか?」という規模のマハー・クンバヴィシェーカム(大灌頂祭)が挙行されていた。↓


http://www.sriramanamaharshi.org/videostreaming/

同じ期日に・・・というあたりに私は不思議を感じた。

もし今回この行事のことをもっと早い段階で知らされていたら(もう1週間〜10日早ければ)、インド旅程決定の段階ではまちがいなくこの儀式への参加の為に、8月下旬出発を選択したことだろう。


ラマナ=アルナーチャラが私をこの儀式にお呼びになろうとしたならば造作ないことであるはずだが、今回の展開はどうやら私を福島の方へ向かわせるのが御神意だったのだ・・・と解釈することにしている。


被災地訪問から戻って入浴し、打ち上げ会場に向かおうとして空を見上げると・・・

それはそれは見事な、恐いくらいなまでに美しい夕焼けであった。(身体詩劇作品の一つに「金色の魚」と言う演目があるのだが、その「金色の魚」はこういう赤い空を泳ぐのだろうな・・・と感じたざんす)





公演に話を戻すと、最後のカーテンコールはこれまでと同じように観客の中に入って行って挨拶や握手をし、ステージに投げ込んだ紙テープを渡して我々出演者はその紙テープを握りしめながら舞台奥に後退していくのだが、

この公演では「いってらっしゃい〜」という従来の(演出上の)挨拶だけでなく、「またね!」・「また会いましょう!!」という言葉を投げかけながらの終演であったが、子供たちにはその言葉の方に強く反応していたようだ。 






そして地元関係者交えての打ち上げの席上で、あれこれの話題が沸騰する中で、どうやら「いずれ福島で再び公演する」という機運になった模様である。

モリムラさんいわく「TAICHI-KIKAKUの『またね!』は必ず実現するのよ」とのこと・・・。

TAICHI-KIKAKUの身体詩劇作品のレパートリーの中で、私がまだ出演したことがない演目として、「よろこびの島」という作品があるのだが、

「福島」という地名はまさしく「よろこびの島」という意味でもあるわけで、モリムラさんの将来ヴィジョンとしてはどうやら「福島の地で『よろこびの島』を!」と想い描いている・・・かのように感じられた。

・・・多分私もまたそれに参加することになるのだろう。

かくして演目としての「PILGRIM 〜光る旅2013〜」(福島公演では「希望の旅」と改題)はこれで終了したが、私個人の旅はこれから本番なのである。
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