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2013年06月06日03:45

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ドイツ第三帝國兵器シリーズ30 MG08重機関銃

 MG08重機関銃(Maschinengewehr 08)は第一次世界大戦時のプロイセン王国陸軍の標準的機関銃です。なお、ドイツでは機関銃口径は全て7.92mmで統一されており、重い三脚架と遠距離射撃用の光学照準器を用いた物が重機関銃、軽い二脚架を用いた物が軽機関銃と呼ばれました。
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 MG08は、アメリカ合衆国のハイラム=マキシム(1840〜1916)が1884年に設計したマキシム機関銃を基にライセンス生産された物で、1908年にプロイセン王国陸軍に制式採用され、バイエルン王国陸軍・ザクセン王国陸軍でも用いられました。この機関銃は当時のマキシム式機関銃の例に漏れず、銃身とブリーチブロックが18mm程動くショートリコイル式機構を持ち、銃身の周囲に4ℓの冷却水を入れる冷却水入れを有していました。
 DWM(ドイツ武器弾薬製造会社)の他にもベルリン市シュパンダウ区のシュパンダウ造兵廠でも製造されたため、シュパンダウ機関銃とも呼ばれます。1918年までに72000丁が生産されています。
 銃本体の重さは20kgでしたが、機銃架は33kgもあるシルテン(橇)08と呼ばれる橇型で、前方と後方にある四本の開脚架で銃身を支え、移動の際には脚を畳んで移動しましたが、馬車の轍(ワダチ)の跡だらけの西部戦線では迅速な移動は困難でした。
 そこで、1916年にドライフュース(三脚)16と呼ばれる三脚機銃架が開発されましたが、この三脚架も28kgあったため、戦場での移動は容易ではありませんでした。また、1時間程度射撃しただけで20000発以上の弾薬を消費してしまうため、膨大な量の弾薬の補給も大きな課題でした。
 しかしMG08こそが、最も多くの協商国軍将兵の生命を奪ったドイツ軍兵器だったのです。
 要目は以下の通りです。
・口径 7.92mm
・銃身長 721mm
・使用弾薬 7.92mm×57(8mm Mauser)
・装弾数 250発(布ベルト)
・作動方式 ショートリコイル
・全長 1,190mm
・重量 62kg(全備重量)
・発射速度 300〜450発/分
・銃口初速 900m/秒

 バイエルン王国陸軍のMG08です。
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 MG08には、第一次大戦中に様々な派生型が登場しました。
★MG08/15軽機関銃
 MG08の三脚の替わりに二脚を装備し、銃床とピストルグリップを装着しており、18kgにまで軽量化して戦場での機動性を向上させたタイプです。1915年に追加制式化され、1918年迄に130000挺生産されました。
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★ℓMG08/15
 戦闘機のプロペラ同調式固定機銃として1915年秋に開発された派生型で、二脚・銃床・ピストルグリップ・冷却用ウォータージャケットが排除されています。バレルジャケットに冷却用空気を通すための多数の穴が開いており、プロペラから受ける風によって冷却を行ないます。フォッカーE.IIIやフォッカーDr.I等の戦闘機に装備されました。
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★LMG08/15
 レシーバー(本体)を軽量化したℓMG08/15の改良型。フォッカーD.VII戦闘機等が搭載しました。
★MG08/18軽機関銃
 MG08/15を空冷化して、さらに軽量化を進めたタイプで、重量は約15kgです。1918年の西部戦線に於けるルーデンドルフ攻勢で、MP18等と共に浸透戦術を取る突撃部隊が使用しました。
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 1919年のヴェルサイユ条約によってヴァイマール共和国軍は口径8.0mm以上の機関銃の保有を禁止されたため、口径7.92mmのMG08は第一次世界大戦後もドイツ軍の主力機関銃としての地位を保ちました。終戦直後のMG08重機関銃公式保有数は861挺、MG08/15・MG08/18軽機関銃公式保有数は1475挺とされていましたが、実際にはその10倍以上の数量が兵器庫に隠匿されており、警察部隊にも配備されました。また、戦時賠償として多数のMG08が協商国陣営各国に供与されています。
 ヒトラー内閣成立直前の1932年9月の在庫報告書では、重機・軽機合わせて22024挺のMG08の保有が明記されており、1933年1月にヒトラー内閣が成立すると、これらのMG08は陸軍の装備としてフル活用される事となります。
 ヒトラー総統がヴェルサイユ条約破棄を宣言した1935年には、新型のMG34汎用機関銃の量産が開始されたため、MG08はドイツ国防軍主力機関銃の地位を失いましたが、急激な軍拡の結果、MG34の生産と供給が需要に追いつかなかったため、二線級部隊ではMG08の配備が続けられていました。
 また、ドイツ空軍はMG08を対空機関銃として使用し、橇型機銃架に代わって棒状固定銃架を用い、空港・橋梁・要塞・鉄道操車場等に配備しています。
 1939年に第二次世界大戦が開始されると、ポーランド・ベルギー・ユーゴスラヴィア・旧バルト三国等のドイツ軍占領国から、かつて戦時賠償として供与されていたMG08が大量に鹵獲(ロカク)される事となり、MG08の在庫数は急増する事となります。
 1942年に生産性を向上させたMG42が登場すると、MG08は陸軍からは退役しましたが、武装親衛隊の二線級師団では使用が続けられました。ちなみにドイツ陸軍は歩兵戦の中心火力を重機関銃と考えており、重機分隊を他の歩兵が支援する態勢を採用していました。これは自動小銃を歩兵の中心火力と考えるアメリカ軍に比べて機動力に劣るものの、重厚な攻撃力を有する戦術でした。
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 そして、大戦末期になると、陸軍も再びMG08を倉庫から引っ張り出し、一部の国民擲弾兵師団に配備して使用する事となったのでした。第二次世界大戦終了時の武器検査でも多数のMG08がリストに記載されています。

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