今回の我々の出演シーンは3つなのだが、不幸なことに?一番最後のシーンが以前紹介した「意思に反して強制的に歩かされる」シーンである。
歩かされるだけでなく、首を吊られたり鞭打たれたり・・という激しい「ネガティヴ」なアクションなのですな・・そしてそのシーンの最後は
「ふっと憑き物が落ちたように」無表情のままスタスタと舞台袖に退出していく・・・その一つ前の「子供の遊びの世界」では、最後に満面の笑顔で劇場全体に向かって(世界全体に向かって)手を降りながら去っていく・・のとは全く正反対ですな。
・・・で、俳優というのはそのドラマとしての濃密な時空間を「リアルに」生きていくわけなので、楽しいシーンは本当に楽しく感じるのだし、その逆もまた然り。
もちろん「ある感情を生きている」事を冷徹にコントロールしている部分があるからこそ俳優として機能するわけだから、意識が混乱するわけではないし、演技が終われば素に戻る。
しかしやはりねえ、ポジティヴなシーンで終わる方がネガティヴなシーンで終わる方が演じる側にとっても好ましいのざんすよ・・もっとも安直なハッピーエンドである必要はないにしてもね。
TAICHI−KIKAKUの身体詩劇作品は、決して安直なハッピーエンドではない・・場面によってはかなり切実にシヴィアな辛く絶望的なインパクトが前面に表出されてくることもある(受け取る人の感受性によっては少々「グロテスク」に感じられることもあるかもしれない)。
だが身体詩の絶対的基本理念は「祈り」にある↓
http://www7b.biglobe.ne.jp/~taichi-kikaku/TAICHI-KIKAKU/Primordial_art.html
http://www7b.biglobe.ne.jp/~taichi-kikaku/TAICHI-KIKAKU/Body_Poetry.html
だから安直なハッピーエンドではないが、決して絶望的な終わりでもない。
・・・・ではあるのだが、メインの3人(今回は2人)はさておき、我々サブパフォーマーは、もちろん作品全体を一緒に共有・共生していくのであるにしても、どうしても「温度差」?みたいなものもあるわけで、
今回の場合登場場面の最後が前述したような状況なので、当初は何となく「心理的に昇華しきれないような若干のもどかしさ」のようなものがあったのは事実である(これは私だけの意見ではない)。
ところが今回の「カーテンコール」の演出にあたって、現場であるアイディアが採用され、全員が小道具を使って大変ポジティヴなインパクトの強いメッセージをお送りして終了する・・・
ということになって、大変ありがたいのざんすねえ。
さあて御用とお急ぎのない方は是非劇場に足をお運び下さいざんす!!↓
http://www7b.biglobe.ne.jp/~taichi-kikaku/TAICHI-KIKAKU/Next.html
チケット前売りは、私にご連絡いただければまだまだ手配可能ざんすよん!!(笑)
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