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2012年03月22日22:40

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詩とは何か(第1幕)










「詩とは何か」





時 2012年頃
場 都内
人 ユイ
  あらた





1.


ユイ 昼間の天体望遠鏡を――、こうして少し下に向けて、丘のふもとを見る。くるみの林をゆるく下ると浅い谷があって、その向こうの駅はもう都会ですよ。駅からはたくさんの人。そうして駅前にはたくさんのキャッチがいる…。しんとして、そよぐ風に葉ずれの起きるこの窓から、にぎやかな駅前の景色を、しーんとした景色だけを、切りとってあたし、ここにいる。

学校は行ってない。通信とかでなんとか。人間関係はおもに、電脳でなんとか。え、制服? これは年齢相応にちゃんとしてる感っていうか。ほら学籍は置いてるから服はあるわけです。遊んでるわけじゃないの。いや遊んでるけどね。あと名前かぁ…。名は、まだない。うそうそ。でも名字だけでいい、名字は、ユイ。魚。中国語で魚。はい、お父さんはシンガポールの商社マンです。うそうそ、絵描きです。どっちでもいいじゃん。あたし、ここにいるよ。スカイプだから分かるでしょ。本当にここにいる人だよ。

ここはどーこだ。東京。あたり。望遠鏡で見える駅は――山手線の駅です。そしてここは丘の上。くるみの丘の上のフラット。そのくらいにして、それ以上は探さないでください。距離感が好きだから。スキンシップとかやばいでしょー。

正直ね、自分がどんな人だか、言おうと思っても覚えてないのね。小学校とか行ったはずだけど。でも思いださなくてもいい気がする。今こんな感じでわりと幸せ――幸せっすよー!――なのが、だんだんこれからどう変わるか、どうこのフラットから出ていくことになるのか分かんないけど、その時はただ出ていけばいいと思うのね。せっかく忘れてることをわざわざ思いださなくても、ただ出ていくんで大丈夫なはず。

うちの裏、ガレージには格子のシャッターが閉まってる。ラシーンっていうアラビアンナイトみたいな名前のワゴンが駐まってる。格子の隙間から季節の町…道…?…道か、裏道が見える。左上がりにちょっと坂になってて、お向かいのうちはローマ字でSHIOZAKIさんって表札が出てる。郵便屋さんが赤いバイクで通る。宅急便のトラックが通る。ときどき、たぶんロシア人のおばさんが太って日傘差して汗かきながらゆっくり通る。あと猫と。シャッターの隣には玄関っていうか鉄扉もあって、別に出られないわけじゃない。出てみたこともあるよ。坂は上の方はすぐに終わってるみたいで楡の木がてっぺんにある。下は遠くに小さな交差点が見えて、角のところに公園があるみたいでよく聞くと遠い子どもの声がする。あたし、タバコ吸うときだけ道に出てしばらくいるんだ。タバコはときどきお父さんがカレー屋さんからもってくるおもちゃみたいなインドの葉巻。優しい味がするね。日差しが柔らかいと道に出るの気持ちいい。並木はすずかけです。

時間は…、動いてるけど止まってるみたい。ずっと初夏だった気がする。でもたぶんこうしてるのってせいぜい2年くらいだよ。むかし子どもの社会にいたみたいに、もうすぐ大人の社会に出ていくんでしょ。当たり前だしそんなの分かってる。でもちょっと思うのは、こういうぽっかりあいた穴みたいな数年って、ほんとにこれが穴なのかな。こんなに活き活きしてるのに。世界がむしろ大きな穴で、ズズズズって静かに怖く震えてる、そこにあたしのこの数年が若草色の浮島みたいにぽっかり浮いて流れてる。日差しを浴びて。そういう感じがするの。だからあの坂下の交差点より向こうには何もない、穴があるだけで世界がない、そんな感じもするし、郵便屋さんだって、どうしてうちには何も届けないんだろうって思うと、やっぱり世界にはこの楡の坂道とくるみの丘しかないのかなって気もする。

こうして望遠鏡で見える向こうは、音のない、だからかえって妙に本当っぽい世界。そうだ、思いだしたけど、不思議なことがあったのね。あれは去年の夏か秋くらいだったかな、駅前にたくさんいるナンパの人で、ちょっとおかしいんじゃないかってくらい声かける人がいたの。毎日毎日ね、出勤時間から夕方まで、休みなく声かけて、うん、笑っちゃうよりも、えーと、なんか痛々しいくらいで。だってさ、見てると分かるんだよやっぱり、誰でもいいんだなって。こんな離れてても分かるくらいだから目の前で声かけられた女の子なんて丸分かりでしょー。うまく行くはずないよ。バカじゃないの?とか死ねば?とか言われまくってるのがアリアリ分かるのね。変だ、あの人。なんでやめないんだろうって気になって何日も見ちゃった。

あたしはさ、ひとりでここにいて、ひとりを楽しんでるようなところもあるけど、なにしろ孤独については知ってますよ。そんで、こうスカイプとかチャットとか、そういう風に外とつながる仕方もなんとなくやれてる。だから、あの人、あんなに生身で、生身の女の子にいやってくらいアタックしてそれでもあんなに孤独で、まいんち人とチャンネル切れまくってバカにされて、それで何がいいのかなあってすごい不思議だった。

それがね、ある時ふいにその人、駅前に来なくなったの。あーついに諦めて悟ったかって思ったさ。地震のあとで、東京もナンパとかって感じでもなかったし。

そのうちくるみは芽吹いてね、くるみって不思議な木でね、若葉のうちから葉っぱの一割くらいは黄色く枯れてるの。白髪まじりでいきなり生まれてくるの。その金色が五月の暑さにちりちり揺れるころ…、その人、また駅前に戻ってきた。ちょっとびっくりしたけどなんか嬉しいような気もして見てたら、あることに気がついて、あたし泣きそうになっちゃった。だってさ――、

――どうやらね…、しゃべれないみたいなの。

声が出ないみたいなの。何があったか知らないよ。分かんないけど、あの春はみんな色々あったから…。でね、話せないくせに、やっぱりナンパはするの。するんだよね! どうやってって…、だから、身ぶり手ぶりと、あと筆談。筆談でナンパってなによ! でも、見てたら、こんどはたまに成功して、喫茶店とか行ったりするの。ええー…。それは…。それは、なんだか分かんないんだけど、あたし、ひとりで、ここで、泣いちゃったよ。へんだ! へんでしょーそれ。なにがどうへんなんだか分かんないけど、普通じゃないよ。くるみの葉が窓枠に散ってきたっけ。

その晩は熱出して、濃ーいジンジャーエールあっためて飲んで、汗だくで寝た。夢では駅前の谷があふれてロータリーから山手線まで呑みこむのね。どろどろ、どくどく。シーツはぐっしょり濡れて、窓から朔月が赤く見えて、あたしは無力で、さびしくて、さびしいのを認めたくなくて、あいつ、誰だろう! ちょっと許せない気もしてたのかな、寝てても頭の中ぐちゃぐちゃ。胸がズキズキして、ほんと最低だった、あたし。

次の日かな、検索したら、見つけたよ。下の名前なのか「あらた」っていうナンパ師で、ちょっと話題になってた。どんな人なのかは何も分からなかったけど。でも、前までは誰からも見えなかった人がみんなに見えるようになってきたって、どういうアレなんだろうなあって、もやもやした。穴…、世界の穴みたいだったあの人が穴じゃなくなったってことなのかなあ。でもそんな簡単なことじゃないはずで、だってそんな、普通の人になりました、なんていうことであたしがこんなにぐちゃぐちゃになるはずないじゃん。もっとなんか、決定的なことが変わったんじゃないのかなあ。

なんか腹立つからしばらく駅前は覗かないでいたのね。でもある午後、もう遅くて夕日になりかけた太陽がビルや木立を金色に照らしてるのがあんまりきれいだったんで…、つい望遠鏡使ったの。その人、やっぱり立ってた。なんかぼんやりしてガードレールに腰かけてた。修行したビルマのお坊さんみたいに見えた。眺めてるうちに、なんか、目が合ったような気がしたのね。いやいや、ないない。1キロ以上離れてるし。でもなんかこっち見てるような気がする。そのうち彼、軽く手を上げて、振るんだよねえ。え、いや…振るって…ちょっと待ってよもう。あたしも試しに手を上げてみた。そしたら、そのあたしをヒタリと指差すの。笑って。あたし望遠鏡やめてじかに見ようとしてみた。見えっこないって! なんだってのよ、もう。

え? それから? ――それっきりだよ。あらた、その日を限りに駅前から消えました。なんか、そりゃそうだよねーとも思う。起こっちゃいけないことが起こるまで、人って求め合っちゃいけないんじゃない? もしそんな奇跡が起きるんなら、それは誰かひとりの男とか相手にするんじゃなくて――恋愛とかはそのうち自然とやるでしょう――もうちょっと大きなものと出会うために起きてほしいなってあたしなら思うし、あらたも思ったんじゃないかな。だから出会わないようにしたんだって思ってる。

あたしも彼も、まだ誰でもない。そのことはとっても大事なことだと思うんです。オチはありません。



(第1場おわり)







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