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2012年02月20日18:37

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ほんとうの死刑のモデル、タイバーン。

■光母子殺害事件、元少年の死刑確定へ…上告棄却
(読売新聞 - 02月20日 15:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1921712&media_id=20

フォト


タイバーン刑場

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%88%91%E5%A0%B4

死刑囚には二つのタイプがあります。
死刑執行の日まで写経などをして心静かに待ち続ける。
いつ執行されるかをビクビクしながら待ち続ける。
前者のケースは非常に少ないようですが、私に言わせると、一種の逃避ですね。
大月死刑囚もありとあらゆる手段を使って、死刑から逃避するでしょう。

ドストエフスキーの「白痴」を持ち出すまでもなく、死刑は待たされる苦しみ、突きつけられる苦しみが加わるからこそ、人類最高の刑罰たりえるのですが、それはあくまでも普通の死刑囚の場合であって、想像を絶するほどのむごい犯罪を犯した死刑囚だけは公開処刑が適用されるべきだと思います。

上にあげたタイバーン刑場のように、公衆の面前で。
我が国にも公開処刑の刑場は存在しましたが、タイバーン刑場のようにもっと日常的に。

待たされる苦しみ、突きつけられる苦しみに、公衆の晒し者になるという苦しみ。
その苦しみのなかで口を開ける死の恐怖を前に、今更ながら重くのしかかってくる罪の重さ。
それが自覚出来てこそ、公開処刑の意味があると考えるのですが、私はもうひとつの意味もあると考えます。

かつて、ソニー・ビーンの所業をけだもののなせる業ととらえ、裁判なしで極刑に処したように、彼のようなけだものの仲間に十分加わる資格がある大月死刑囚は、畜生と同じく屠殺される。その光景をまじまじと目撃させ、因果応報のことわりを実感させる。犯罪抑止としての意味は大きいと確信しています。

ソニー・ビーン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%B3

死や死体と滅多に向き合えない今だからこそ、真っ正面から向き合える機会を作るべきですね。そういう意味では、現在の死刑制度には大いに不満を持っております。
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