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2011年11月30日00:01

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「やあ、私は君のことをいつだって見ているのだよ」

先日の日記に書いたように、私が海上自衛隊を辞めてフリーター生活を始めてから30年が経過したわけだが、こういう根無し草というか極楽トンボというか、要するに堅気じゃない生活というのは、堅気の皆様からみれば随分とお気楽脳天気に見えるのはいうまでもない。

もっとも実際確かにそれはお気楽脳天気であるからね・・またの名を「社会的無責任」とも言えるだろう(笑)

しかしまあ「社会的無責任」である以上は同時に「社会的信用」も皆無である・・・ということでもある。


それに将来性も生活の安定性も全く保証が無いわけで、私なんぞは要するに「運の良さ」だけで世渡りしているようなものざんすからね(爆)

「自由である」という状態は私にとっては最も重要視するスタンスではあるのだが、これは別の視点で考えると、


「どこにも所属しない」

ということでもある。もちろんこの現象世界に身体的存在として生きている以上、100%無所属なんてことは不可能であるのだが、まあ話としてここでは社会的身分を保障する職業集団への所属という意味合いである。


今でこそフリーターという概念は認知されるようになったし、ニートであれ引きこもりであれ、特定の職業集団に属さない生き方もそんなに珍しくなくなった・・・というよりも功利効率最優先の経済体制自体が構造疲弊を起こし機能不全に陥っていて真っ当な雇用が激減してしまった、というご時勢が無職人間を大量に生み出している。


さてさて30年前に自衛隊を辞めた途端に、私はどこにも所属しなくなってしまってそれはそれは「灰の不安」とでもいうべき心理状況に苛まれる日々を送ることになったわけで、今でも当時のシヴィアな心持を思い出すと暗澹たるやるせなさが蘇って来たりするねえ。

もちろん交流のある友人はいたのだが、彼らには学校なり会社なりの「所属先」があってそこで生活の大半の時間を過ごしているわけだ・・無為徒食の私に毎日付き合ってくれるわけじゃない(笑)

私はといえば、一応「将来のヴィジョン」があってそれに向かって努力する・・・つもりが、全然計画通りに進まない・・まあその理由は色々あって現在でも解決できずにいたりもするが(笑)、一つには

「やりたいことへ素直にアプローチせず、不安への対処から行動しようとしたから」

・・・ということがあった、別の言い方をするとやりたいことへ素直にアプローチするには当然リスクを負わなければならないのに、自分の未熟さ・劣等感に苛まれ冒険に踏み出せなかった・・とも言えるだろう。

こういう局面でいわゆる「安全パイ」を選択するのは、結局何も飛躍的な発展など望めないし、結果的に「より不毛な焦燥感」を招来するだけなのだ。

現在ならネットを通じて情報も簡単に入手できるし、誰かと繋がっている安心感も得られるわけだが、当時の状況としては地域社会のコミュニティも希薄な都会生活者にとって、仕事であれ趣味であれ、なにがしかの所属先がないというのは荒涼なる孤独の中を彷徨うような状態である。


今思い返してみても、この頃というのは私の人生の中でも最も辛かった時期だと言える・・・20〜21歳の頃になんとも暗く寂しい青春時代を過ごしてしまったわけざんすねえ(爆)


もとより私は、自意識過剰の典型的自己完結型偏屈孤高な性格?である。

劣等感と未熟感には随分懊悩したし、その反動が私のユニークな才能?を鍛えていくことにもなった。

ただ大変幸福なことに、私の魂には先天的な「安全装置」が付与されていたようで、それは

「自分自身をもひたすら冷徹なギャグとして笑い飛ばす」

という機能ざんす・・ラフターヨガの始まる遥か以前から、私は自身をひたすら笑い飛ばすことでシヴィアな状況にあっても、心理的バランスを何とか保ってきたのだなあ・・・と思う。

いわゆる「実存的苦悩」に苛まれ続けた人生ではあっても、その間一度たりとも「死にたい」と思ったことが無い・・私には全く「自殺願望」というものがはなから存在しないのだ!!


もっとも死んだらどうなるのかな?・・・とは考えたものだし、実際2度死に極めて近づいた体験があるざんすけどね(90年のヒマラヤ遭難ニアミスと05年の刃傷事件)・・・・私の「お気楽脳天気!」は筋金入りなのざんすよん(爆)


もっともそれはどんなに苦しい場面であっても常に何かしら、様々な形で私は「守られてきた」実感があって。まあそれは「悪運が強い」というのか、前世での善行を積んだからなのかは未だに分からないし特に知りたいとも思わない・・・ただ若い頃と違うのはそれが「恩寵」以外の何者でもないことを知るようになったことざんすね。


ところで人はもの凄くラッキーなことがあれば神様に感謝するし、逆に苦悩に苛まれる時にも神様というものを意識したくなるだろう・・・それが普通ざんす。

しかしバクティというのは全然何でもないごくごく普通の時にあっても、神様に意識を向け続けることだったりする。


いやいや、これも一方的な表現かな?

神様というのはこっちが何も意識して無くても、それでもこちらを決してお忘れにはならないのざんすよん!!


ラマナ曰く

「あなたが汽車の旅をする時、荷物を頭の上に乗せている必要があるだろうか?汽車はあなたの荷物も一緒に運んでくれるのだ。あなたは荷物を降ろして休めばよい」

と言われた。

問題となるのは「私は汽車に乗っている」という自覚があるか否か?

・・・であって、「不安と言う荷物」をどうにかしようとすることではないのだ。


最後に最近起きた面白い出来事を紹介しよう。

このところあれこれがあんまりぱっとしなくて、あんまりお気楽脳天気!という心境でもなかったのだが、こういう時は私は「ウエークアップ・コール」という書籍を手にとってランダムに開いたページを読むことにしているのだが、

最近何回か開いたページには必ず「愛が全てである」という内容のヴァリエーションが出てくる。

まあ私にとっては「愛」とは「恩寵」と読み替え可能なので、当然それはラマナ=アルナーチャラの比類なき臨在と恩寵を意味する。


しかしまあここが凡夫の悲しいところで、私の座右の銘は

「意識は常にアルナーチャラの元にそれ自身として不動である」

なのだが、これを100%実現できているわけではない・・・どころか大半は忘れてますな、もしかしたら

「恩寵に慣れちゃった」のかもしれない(爆)、幸福な状態なんてのも案外慣れちゃうと幸福とは感じられなくなるかもしれないざんすよ。


そんなある明け方近くに久しぶりにアルナーチャラの夢を見た。

アシュラムの通称「ヤナギダ・ハウス」・・・私の恩師である故・柳田先生が居住されていた部屋に、大勢の日本人が集まっている夢だ(現実にはそんなに大きな建物ではない)。

「やあ、随分集まっているなあ」と思っていたらある人が近寄ってきて、「あれ?鈴木さんは来年来られるんじゃなかったでしたっけ?」と問われ、私は「あははは・・何となく来ちゃった」と答えた。

でまあ部屋の中を眺めると壁にはこれまで発行されたアシュラムカレンダーが何年分も展示されてある・・・

「ああ、そういえば時節柄そろそろ来年のカレンダーが出る頃だがどこかにあるのかな?」

と探しているところで目が覚めた。

そしてそれから数時間後、運送屋さんが荷物を届けに来たのだが、それは某知人が送ってくれた「来年のアシュラム・カレンダー」だったのだ!!

やあ、これはびっくりしたねえ・・・アシュラムカレンダーにはラマナのお写真がでかでかと載っていて、我々信奉者には大変ありがたいものなのだけど、ご尊顔を拝しているとラマナはこちらに向かって微笑みながら、

「やあ、私は君のことをいつだって見ているのだよ」

とおっしゃる声が聞こえたような気がしたのであった・・・・。

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