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2011年11月18日23:07

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アイデンティティを放棄する・・・ということ

先日ネクタイを2本ほど買った・・・・。


と書くと、私のことをご存知の方なら、これは私にとって大事件である?ことはお分かりであろう。

前回の日記に書いたように(20日でまさしく30周年ざんす!)、自衛隊退職以来この方フリーターをやってきて、基本的に「ネクタイを締める」職業には殆ど関わらずにきた(警備員の仕事をしていた時以外)。

数年前からは作務衣を着るようになったし、殆ど冠婚葬祭の場には出てこない・・・今年6月のラフター仲間の結婚披露パーティにはインド服着て行ったしね(笑)。


そもそも基本的に靴をはかない(素足に草履・雪駄スタイル・・真冬でも然り)のと相まって、私とネクタイというのは全くしっくり来ない取り合わせなのだ・・・個人的にはネクタイとは「管理・束縛」の象徴という印象が強く、なるべく忌避したいアイテムの一つである・・・5年前に伯母の葬式の際に止むを得ず着用したのが多分最後だ。


そんな私が何故ネクタイを購入したか?(もちろん百均屋で出来合いの安物であるが・・)


それは近々従事する仕事上の要請なのだ。


これも日記に時々書いてが、いよいよホームセンターやスーパーでの「実演販売」をやるのざんすよん!!

お客さん相手に、その商品をアピールするパフォーマンスとしての実演&トーク(口上というべきだな)を展開するお仕事ですな!!


もっともこれはテキヤじゃないので、一応「ワイシャツにネクタイ」が基本で、その上からジャンパーを羽織るみたいな感じ・・・もちろん足元も靴を履く(スニーカーでよいそうだが)。


そしてもう一つ「髭も落とす」ことになる・・今年の5月にも一度髭を落としたが結局この時はその後それを要求される業務につく事がなかったのでそのまま復活(私の場合約3週間でそれなりに復活する・・笑)


まあ接客業であるからこの辺は致し方ない・・お店によって甘いところ・厳しいところ色々だそうだが、まあ落としておいた方が無難なわけざんすね。


確かにネクタイをして、靴を履いて、髭を落として・・・・


なんてのは「私のアイデンティティ」としては、おおよそ違和感この上ないスタイルである、これが通常の意味で言う就職の為ということなら最初からお断りざんす。


・・・ところが今度の仕事は、もしかしたら私の「天賦の才能」を思いっきり発揮できる可能性を秘めた「新たなる地平」なのかもしれない・・という風に捉えているわけで、

要するにこれはパフォーマンスなのだ・・という視点に立てば、ステージに立つ為の衣装やメイクみたいなものだ!!と思えば簡単に割り切れちゃうわけだ・・やはり「俳優根性」は不滅ですな(爆)

それに取りあえずは年末一杯までの土日のみ(計8回)期間限定でもあるわけだから、やはりある種の「劇場型」商売?といえるだろう・・・今後永久に髭が伸ばせないわけでもネクタイを締め続けねばならないわけではないのだ。


先日新横浜の事務所まで出向いて、今回実演する商品の「実演キット」の講習?を受けてきた・・・商品は洗剤なのだが、いかに抜群の汚れ落とし能力があるか?を示す為に、メーカーさんの方で実際に

「焼け焦げがこびりついた五徳」・「染みのついたカーペット」・「タバコのヤニが染み込んだ壁紙」・「油性マジックで落書きしたフローリング材」

これはインチキでなくて本物なのだが、それを用意してくれて、そこで実際に商品を使って落としてみせるわけざんす・・・後はそれをいかに面白おかしくトークで演出するか?というのが仕事内容なのですな。


この講習は「業務」ではないので全く予期してなかったが、鴻巣からの往復交通費&1時間分の時給まで出していただいたのは大変ありがたかった・・・更には「この業務をやるにあたってあんまり事前準備のための出費があっては申し訳ないから」ということで、社長さんのお古だがワイシャツやらズボンやらも頂くことになっている(幸い背格好が社長さんとあんまり変わらないので)。


もっともいくら私が俳優の端くれであるにしても、個々のお客さんとの対面販売としてのパフォーマンスは初めてのことで、舞台上での演技とは勝手も違うのは言う迄でもあるまい、

本番は来月3日からスタートなのだがいきなり一人で現場に立つ・・のはちょっとプレッシャーがある・・・と社長さんは感じたらしく、全く別の商品であるが社員さんが担当する現場に「アシスタント」で入って勉強してみてはどうか?・・・ということで、今月23日&27日にアシスタント体験をしてみることになった。


現場は神奈川なのだが、これも交通費と日当を出してくれる・・とのことで、社長さんというのは随分面倒見のよい方であるざんすねえ。


そういう人物とご縁がある・・という事自体ありがたいことなのだが、これまでを振り返っても私の人生は、

様々な局面で私の才能や個性を評価して下さり何かと引き立てて下さる人物との出会いが必ずあって、その時々の局面に新たなる展開がもたらされる・・ということの連続といって過言ではない。

もちろんそれもまた神様の恩寵であるのだが、そういうことへのリアルな揺ぎ無き確信が、30年ものほほんとフリーター人生をやっていられる理由でもあろう・・・もっとも本気で確信したのはここ数年のことであって、それまではかなりしんどい局面も多々あったわけではあるが(笑)


前回髭を落としたときにも書いたことだが、「アイデンティティ」というのも結局はエゴが、自身を存続させるための「絶対防衛圏」であったりもする・・・「私が私であるための理由」というのは、エゴにとってこその最大関心事なのである。


霊性の道の王道とは、この「エゴから解放される」ことだ・・・という見地に立つとするならば、どこかで自分のアイデンティティを放棄する局面というものも当然ある。

いつかイメージワークとしてもやってみたいのだが、もし目の前に神様が現れたとして「一番大切なもの」を差し出すとしたら何を神様に差し出すか?


もちろんこれは取引ではない、ギヴアンドテイクでもないわけで、神様に対しては「何かの見返り」を最初から期待して何物かを差し出すのは筋違いである・・・魂を対価として願望成就の取引をする相手は昔から「悪魔」と相場は決まっているのだ(爆)


まあ今回の仕事に当たり、「髭を落とし、ネクタイを締める」というのは、大げさに言えば自分のアイデンティティの象徴を放棄するタパスとしての試みという側面もあるかもしれない。


ある意味でヨーガとは「欲望を感じる主体としての私」に気づき、それをそぎ落としていくプロセスとも言えるだろう・・・・「欲望を感じる主体としての私」を放棄した時、そこに残るものは何か?


それこそが「ただ『在る』ことだけが在る」という至福なのであろう・・と私は確信しているし、シャンテイアーナンダ(お気楽脳天気)ヨーガWSの目的もそれを目指しているのであり、そのアプローチに真っ直ぐ向き合うために「あれこれのエキササイズをアヴァンギャルドに展開してみよう!!(笑)」ということざんすよん(直裁的な「アプローチ」そのものは全くシンプルな瞑想というものに収束されるのだが・・)。
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