mixiユーザー(id:1057202)

2011年11月05日01:18

22 view

10周年&30周年・・・その2

前回の続き・・・・

さてさて30周年の方は何かと言うと・・・まあ、あんまり誉められたものでもないのだが、

「フリーター生活30周年!」なのだ、あはははははは・・・・・!!!!


先日新しい仕事を始めるにあたり久々に履歴書なるものを書いたわけだが、どうにも「職歴」の項目というのが困ってしまうのだよなあ。

因みに、

>>>

1979年4月 海上自衛隊入隊 第4期一般海曹候補学生

1981年3月 3等海曹昇任 潜水艦乗務員

1981年11月 一身上の都合により退隊

<<<

以上が私の正式な?職歴である。3等海曹というのは要するに下士官であり、つまり「職業軍人」という経歴になるのだ。

高校時代は演劇部活動に忙しくしていて(地元の「浜松放送劇団」と掛け持ち)、まあおよそ勉強を真面目にやっていなかった。高校は普通科の進学校だったが成績&家庭の事情で大学進学は最初から頭に無かった(今にして思うと大学で勉強したかったなあ・・と思うのだが)。

でまあ当時普通科で進学せずに就職するとなると、大概は市役所か国鉄職員・・というのが浜松地方の常識だったのだけど、実は私は自分の進路なんてものを当時から全然真面目に考えたことが無かったのだ(爆)


でも3年生になると何かしら進路指導の先生に自分の意志を表明しなくてはならないわけで、さてどうしたものかな?と考えあぐねていたら、「自衛官募集!」のポスターが目に入り、

「ああ、そうだ!とりあえず海上自衛隊に行こうではないか!何か面白い体験が出来そうだ」

と思ったのがそもそもの動機である・・・。

でも何だって海上自衛隊なのか?(浜松には航空自衛隊基地があるので、普通は航空志望が殆ど)・・というのは、少年の頃から軍艦が好きだったということ。

幼稚園の頃に初めて親に連れられて観に行った映画が「眼下の敵」だし、三船敏郎が山本五十六を演じた戦争映画も確かその頃だったかな?・・・そして東宝特撮を実際の映画館で初めて観たのは「海底軍艦」・・・・まあインパクトは大きいざんすよ(笑)


それと親元を離れ、浜松を飛び出したかったというのもあったねえ・・東京に近いところに行きたかったというか。


将来演劇というか何か「表現活動をしたい」という気持ちだけは強いのだけど、田舎の高校生には現実問題としてどういう風にしたら良いか分からなかった・・・こともあるし、母子家庭という環境もあって、

「東京に行って演劇をやる!」なんて到底母親が承諾するわけもないのだが、海上自衛隊に就職するのだとなれば親元を離れる最大の口実にはなる・・・というのが目論みでもあった。

もっとも私の才能を最初に見出してくれた恩師というのが、バリバリの全共闘世代の筋金入り左翼思想の持ち主であったので当然大反対されたねえ・・劇団も新劇メインだからやはりどちらかというと「左翼傾向」だからやはり反対されたなあ。


おっと前振りの話が長くなった・・・・要するにそういう不真面目な動機で就職したわけなので、本気で長く続ける続くわけも無い・・そもそもお付き合いのある皆様なら、私みたいないい加減でお気楽脳天気な野郎が自衛隊などという「究極の不自由なる管理社会」と相容れるわけも無いことはお分かりであろう。


かくして上司と衝突したのをきっかけに、81年11月20日付けを持って退隊・・・


そしてその後30年というものを、私は全く正規登用された労働者になることはなく、いわゆる「フリーター生活」を続けているのである。

当時はまだフリーターなる言葉すらなかったざんすねえ・・・ただしいつの世にあってもミュージシャンや俳優や様々なパフォーマーとして生きていくことを選択し、夢の実現のためにアルバイトで生活を支えている人種?が存在する。

・・・もっともそれが社会的に許容されるのは取りあえずは20代の間だろう。大概30歳という節目が来ると、ある種の決断を迫られるわけだ。


私にもそういう時期があった・・おりしもバブル景気真っ盛りの時代であり、登録してる派遣会社マンネット(ここの仕事も今年で25年目だ・・私は社長の次に古いスタッフなのだよん・・笑)始め、お付き合いのある業者さんから「うちの社員にならないか?」というお誘いはいくらでもあったわけだが、


その時私が選択したのは、表現活動でも就職でもなく、

「インドへの旅」

だったのざんすねえ(爆)・・・それで人生観やら世界観・価値観が思いっきりひっくり返ってしまった。


で、気がついたらフリーター30周年、年齢はあれまあの50歳なわけざんすよん。

しかし昨今のご時勢では50代のフリーターも別に珍しくないからな・・・ただ私の場合は「リストラされた50歳」じゃなくて、「自らの意思で30年間真っ当に就職してこなかった50歳」である。

だから悲壮感やら厭世観・罪悪感・焦燥感などというものとは無縁だ、もっとも最近はフリーターというよりほとんど「無為徒食の遊び人」というべき生活であるが(爆)

いつホームレスになってもおかしくないような経済状態なのだが(因みに現時点の総資産1010円・・爆)、どういうわけかお蔭様で路頭に迷うことがない!というのはとてつもなくありがたいことだ。


かつかつの生活で、今月も危うく携帯電話が止まるところだったのだが、その割には泰然自若として好き勝手なことをやっているわけだしねえ、わははははははは・・・・!!


私がこんな風にお気楽脳天気な「無為徒食&無職50歳遊び人」をやっていられる理由は何か?

それは大げさに言えば、「絶対的平安の境地」を自らの内側に確立しているから・・・ざんすね。

この「絶対的平安の境地」こそはヨーガの目的の一つである・・・まあ私の場合はメインとなるのは、

バクティ・ヨーガ・・・いうならば神様とでもいうべきものに完全に委ねてしまう方法ざんす。


「意識は常にアルナーチャラの元に(それ自身として)不動である」

まあ残念ながら私は「悟りを開いた聖者さん」ではないので、相変わらず今日もエゴの働きに懊悩するわけなのだが(笑)、そういう状況ではあるのだけど敢えて表現すれば、

「悩みはあるが迷いは無い!」

という境地ならば聖者さんでなくとも実現可能ざんすよん!!・・・ではいかにして?


さあ、あなたも「大日本お気楽脳天気教?」へ入信しなはれ!・・・教祖へのドネーションは「たんまりとお志で結構」です(爆)

4 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する