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2010年05月11日15:44

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そして機縁無きものにあってさえも

本日は私のサットグルであるラマナ・マハリシの命日である。


西暦では4月14日だが、現地ではタミル暦にて計算するので毎年日付が異なり、今年は5月11日となるのざんす・・・ラマナが亡くなったのは1950年、従って今年は60回忌ということになる。


故・柳田先生は1927年生まれであるから、この時23歳・・・年齢的にはラマナに会えた計算になるが、1950年というと昭和25年・・・

日本はこの年ようやく「サンフランシスコ講和条約」を締結して、連合国の占領状態に終止符を打つ・・・というような時代であるから、とうてい民間人が海外に出かけるなんてことは不可能であった。

それ以前の段階にしても、「日本人が生前のラマナに会った」という記録は無いそうだ。


さてさて、そういうわけで60回忌・・・今日はラマナアシュラムで盛大な法要が行われているはずだ・・・5月というのは全インド的に「酷暑季」とよばれる「べらぼうに暑い(気温40度台半ば!)」時期である。


私はこれまでにこの命日法要には4度参加しているが、この酷暑季に冷房のないサマディ・ホールにぎっしりと信奉者たちが集まり儀式を行うわけで、それはそれはタパス(苦行)に近かったりする・・「気合と根性を要する法要?」ざんす(爆)


かってラマナに会うためにアルナーチャラへやってきた人たち・・・「問答」するだけの精神的成熟年齢を20歳としても、その人たちは現存しているとしたら80歳になっている計算である。


インド人の平均寿命は日本人ほど高くない(ラマナご自身は享年71であるが、この時代のインド人としては長生きした方だろう)、ここ数年の間に、実際にラマナと会い傍らに仕えたり、問答をしたり・・という体験をした人たちがもう随分鬼籍に入られてしまった。


現在ラマナアシュラムの運営は、ラマナの実弟の孫にあたる3兄弟が担っているのだが、彼らも既に70歳台である(少年時代にラマナと交流した体験がある人たち・・ざんすね)。


・・・というわけで2010年という現代にあっては、信奉者たちの殆どは「『生きていたラマナ』と直接交流した体験がない」者ばかりなのである。


もちろん私も然り(笑)・・ではどうして「直接会ったこともない」ラマナが信奉者たちにとって「サットグル」である!・・ということが可能なのだろうか?

それは彼の臨在(Presence)と恩寵(Grace)、そしてバクティ(神への明け渡し・信愛・誠心)によるのである。


ラマナは遺言的メッセージとして、


「人は私がどこかに行ってしまうと言う。だが私が一体何処に行けると言うのだろう?・・・私はここにいる」

という言葉を残されたし、実際の臨終にあたり・・・


「その瞬間明るい大きな青い光の魂がニルヴァーナ・ルームの上空に突如出現し(「誰かがカメラのフラッシュ(昔のマグネシウム発光ね)を焚いたのか?と思った」・・という証言がある)、それがアルナーチャラ山頂に向かってゆっくり流れていった・・」


と言う有名なエピソードが残されている。


まあこれは天文学的には「火球現象」として説明出来るのだが(日蓮さんが辰の口で斬首されそうになった時に出現した光も同じのようだ)、


この日この時この状況でそのような現象が生ずることに、「意義を見出すか否か?」ということざんすね・・以来信奉者たちにとっては、

ラマナは「肉体という衣」脱ぎ捨てただけであり、今は「=アルナーチャラ」として臨在されているのだ!!

・・という強烈な感覚・認識の下で「バクティ」という在り方を実践している・・といって過言ではない。


そしてどういうご縁であるのかは判らないけれど、この私もまた、

「これはもう彼の恩寵以外の何ものでもない!」と言う出来事を何度か体験し、また何とも形容・表現不可能なのだが、


「ああ、今ここに、ラマナ=アルナーチャラは確かにおわしまするのだ!」

・・・というある種の絶対感覚、大概の場合それは「無条件の愛」とでもいうような圧倒的な眼差しの抱擁にハートを直撃、というより至福に胸を締め付けられて呼吸困難になりそうな?(笑)・・無限の喜び・無常の豊かさに満ち溢れた体験ざんす。


まあこんな風な体験をしてしまうと、人生の細かなことはあんまり気にならなくなるし、何がどうなったところで

「私の生きて在ること(死ぬ事についても然り)に関する全責任は私のエゴではなく、神様の方にあるのだ!!・・・なんてことになるので、それはそれは「人生お気楽脳天気!」以外の何ものでもない!!(爆)


こういう心持が腹に座ると?今現存されている聖者さん達に対してもあんまり興味を持つこともないし、「バクティ」とは神様を信じるとか信じないというようなものではない・・・と感じるようになる。


それは「神様」とか何らかの宗教的・非宗教的な教えを、「心の支え」にするとか「私が私である為のアイデンティティ」として位置づける・・営為ではないのざんすね。

「大いなる在る」・・まあ神様とか宇宙意識とか名前はいくらでもあるが(笑)、それの


「人の姿としての」ラマナは、60年前に消滅した。

「山の姿」としてのアルナーチャラはまだ当分消滅はしない・・けれど地理的には南インド・タミルナドゥ州に限定された存在である。


だがその「・・・としての姿」なるものは、この私が「身体的存在」である部分での関わりざんす。


サットグルそのものは、どんな状況下であれ「今・ここに」現存するのざんす・・・言葉をかえればそれは、


「ただ『在る』だけが在る」ものが、「私なる身体的存在」を一つの現れとして「生きている」ということにもなるざんすね。


機縁のあるものに、そして機縁亡きものにあってさえも、


この比類なき至福と安寧が皆様のハートに満ち溢れますように!!


OM NAMO BHAGAVATEE SRI RAMANAYA ARUNACHALA SHIVA !!
OM SHANTI SHANTI SHANTI


追記

ラマナの作られたアルナーチャラ賛歌の一つでもっとも有名な「文字の結婚花輪(アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マリ)の日本語対訳つきウェブページ↓

http://arunachala.web.fc2.com/

音声ファイル付きでその歌が流れるざんす・・・信奉者達によるこの歌の大合唱の中で60年前ラマナは肉体を去った・・・
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