ああいやいや、別にお題を3つもらって落語をやろうというわけではない。
20日から始まったTAICHI-KIKAKU主催による今年の冬の身体詩ワークショップでのお話。
今回もワークショップの最後には毎回「今日のファンタジー」というワークを行うのだが、そこに登場してきた私自身の「自己イメージ」のキーワードが「井戸」と「打ち出の小槌」なのざんすよん(「原始人」は意味が違う・・後述)。
一昨日のテーマは「自分の殻を打ち破る・・始原の私の表現」
でまあ例によってオーハシさんの誘導で、まずは現在の自己イメージを探り表現していくのだが、私の場合は、
「井戸の中にいる私・・その湧水を汲んでそれをなんとか外へ運び出したいと思っている・・上には遥かに高く青い空が見えている・・その外の世界にこの水を運びたい・・・のだけど、水の入った桶を抱えて井戸の壁にしがみ付いていてじりじりと登っているのだが、中々出口が近づいてこない・・・」
という感じざんす。
次に呼吸法と気功で、光の魂をイメージしてその中にその「自己イメージ」を入れる・・・オーハシさんの合図でその光の魂を爆発させる!!
と、「原始人である私」が世界へ飛び出してくる・・・さあ、その原始人である貴方は何をどう感じどのように行動するか?
私の場合は、
原始人の目には、世界は無限の極彩色のエネルギーの綾なす大交響楽・・・として立ち顕れた!!・・となれば原始人の私はひたすらまさに狂喜乱舞のステップを踏みしめ踊りまくる(爆)
その原始人である私を体験した後で改めて従前の「自己イメージ」を振り返ってみる・・・
私の頭に去来した思いは、
「井戸にしがみ付く・・というより、この私自身が『井戸そのもの』になれば良いのではないか?」
ということであった。
そして「打ち出の小槌」というのは(大黒様の持ってるアイテムね)、実は最近「お気に入り」のアイテム・・・鴻巣庵に故人が残したものに縁起品の(多分何かの折に贈答された品)「金色の大黒さん&恵比寿さん」とセットになった実物大の?「金色の打ち出の小槌」があって、
朝の礼拝(ラマナアシュラムでの「ミルク供養」のチャンティングライヴ録音を流しながら仏間で瞑想する)終了後、至福のお神楽(もちろんお馴染みの「お気楽脳天気マントラを唱えながら)の後舞い?として、その「打ち出の小槌」を振り回して、
「おお、御慶・御慶! ただ在るだけが在るこの喜びを、わくわく活き活きとリアルに皆様と分かち合い、嘉し寿ぎ幸わひたまへ!」
と世界を祝福する踊りをやっているのざんすよん(爆)
「原始人の私」が踊っていたのも、そのもっと純粋で想念すら抜けてしまった「在る」ことそのものの「生の歓喜の踊り」・・なのであろう。
そしてこれもワークの途上ででひょいと去来したイメージなのだが、
「打ち出の小槌を振る私」から「打ち出の小槌」の中に入っているあれこれの幸福・・そのものの一つとして私自身がいる!!
さよう、打ち出の小槌を振る私・・・そして世界を嘉し寿ぎ幸わふために振り出されてくる「幸福(というエネルギー)」のあれこれもまた私自身
そのものなのだ!!
ああ、誠におめでたいおめでたい・・・お気楽脳天気万万歳!!
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