鴻巣でのレッスンは例によって「殆ど自主トレ状態」なので(笑)、今日はかなり久々に「アーサナ・自分用バージョン」をじっくりとやった。
しーんと静かに澄み渡る至福・・・とでもいうべきか、頭の中も大変クリアに鎮まって世界が晴朗に感じられてくる。
そういえば最近は結構アーサナをないがしろにしてたなあ・・・と反省。
ヨーガの先生がアーサナをないがしろにする・・というのもおかしな話だが、「お気楽脳天気ヨーガ」は必ずしもアーサナ主体のレッスンではないので?そういう変てこなことになったりもするのだ(笑)
確か以前にも日記に書いていると思うが、アーサナの効用というのは「ニギミタマシズメ」とでもいうべき、ダウナーな方向性の身体奏法ではないだろうか?その延長上に瞑想というものがあるわけだが・・・。
どうも「お気楽脳天気ヨーガ」の方向性は「アラミタマフリ」というかアッパー系というのか、陽気解放爆発活き活きワクワクな状態を志向している傾向が強いし、それがオリジナルでユニークな面だけに私の個性と不離不可分の関係が濃厚なわけでもある。
問題はそれがいずこから湧き上がり来たり表出されてくるのか?
という点なのだが、ちょっとここ最近「独善的」な傾向が強かったかなあ?と反省した。
たとえばそのアーサナによってもたらされるところの、静かなる至福・・・それは「ただ『在る』ことだけが在る」喜び、に通じるものであり、私の霊的なスタンスとしては即ち
「ラマナ=アルナーチャラの臨在と恩寵」当のものそれ自体・・ということだが、
その源泉から沸き出すればこその「天真なるお気楽脳天気」が、外側に向かって表出される・・からこそ大いなる意義を持ちうるのざんすね。
・・・ということになると、いくらアバンギャルドなレッスンであるとしてもアーサナの意義をないがしろにすべきではない!
というあまりにも初歩的な気づきが本日の成果ざんす(笑)
大体「ヤマトアンナマライ」という名前に込められた意図を忘れてはならんざんすからね・・・(アンナマライとはアルナーチャラのタミル語での名前)
最近の読書(現在は鈴木秀子著「愛と癒しのコミュニオン」を読書中・・当面は氏の著作を連続して読む予定)やらラフターヨガへの参加やら「認知療法ワーク」やら知人のブログ記事からの啓示やら・・でかなりあれこれと「煮詰まりつつある」ざんす(この言葉の本来の意味でだよん!)。
今月12日というのは、ヤマトアンナマライ立ち上げ5周年にして「マハー・シヴァ・ラトリ」のお祭り当日にあたる善き日でもある、その前日は建国記念日・・・まあ政治的ニュアンスはさておき、アマテラスオオミカミをお祭りするには善き日ではあるざんすね(私は「自覚的フリー神道イスト」である)。
一応その日を目標に長年の課題である、「語るべきもの」を何とか形にしようとしている・・・のざんすよん。
多分「ブルックナーの初期の交響曲のしかも初稿」みたいな感じ?になりそうだが、まあとにかく何とか形にしたい!!(改定はいくらでも後からやれるざんすからね・・爆)
多分そこから色々なことが生成されゆくであろう・・・!!
おお、御慶・御慶、「ただ『在る』ことだけが在る」喜びを分かち合いて、嘉し寿ぎ幸わひたまへ!!
ログインしてコメントを確認・投稿する