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2009年04月21日22:25

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妹弟子のお話

暇ざんす・・・以前ならさておき、バンコクでのやることは「チケット調達」だけなので、それが終わったら何もやることがないのだ(笑)

知人のY君は日本へ出張?中だし、マイミクのさんようさんとも今回は入れ違いになってしまったしねえ。

仕方がないので?午前中は、近くの公園でチャオプラヤー河をぼんやり眺めて過ごした・・・リシケシではガンガーをぼんやり眺めていたわけで、本質的に私は「ぐうたら人間」なのである。


・・・・というわけでちょっと時間を遡って、リシケシでの「妹弟子」の話を書くこととしよう。といってもそんなにたくさん話し込んだわけでもないので私の憶測に過ぎない部分もあろうかと思う・・・今や彼女もマイミクさんなので、「修正のコメント」が入るかもしれない(笑)


どうやら元々はツーリストとしてバリやパンガンにも行ったことがあるそうで、今回も日本を出て既に1年2ヶ月経過しているそうだ・・・今回はオーストラリアとフランスとイギリスに行って、ロンドンからインドにやってきたらしい。


因みに彼女は「初インド」だそうである・・・誠に幸いなことにニューデリー空港からパハルガンジには悪名高きあの「プリペイド・タクシー」に乗ったのに、「全くトラブルなし!!」で宿まで到着したそうな!!・・・これは事情をよく知るものにとってはかなりの「驚くべきラッキー」なのざんすよん!!(笑)

だがやはり初インド・・・バンコクやデンパサールと同じ感じだと思い込んでいたいたらしく、その衝撃(いわゆるインドのカルチャーショック)はかなりなものだったらしい(爆)


彼女は「指圧とかマッサージ」が出来る人なので、今回のインド来訪もその勉強というのが主たる目的だったそうで、でまあ「ヨーガ」を習ってみよう・・ということでリシケシへやってきたようである。


いまやリシケシは完全なる「スピリチュアル・ヨーガ・リゾート」であるから、実際問題としてリシケシでヨーガを学ぼう・・・となったら、最初からコネなどでアシュラムの目処をつけておく・・のでなければ、

かなりの長期滞在が可能な状態でないと、現地でアシュラムやヨーガ教室を探すというのはかなり苦労する・・・

それはもう「星の屑」ほど存在するざんすからねえ・・・自分に合ったアシュラムや教室を探し当てること自体にかなりの時間を要するのだ、あちこちで「体験レッスン」などがあるのだが、うっかりすると「いろんなところのつまみ食い」でリシケシ滞在が終了しかねない(笑)


さてさて彼女は、道を歩いていてたまたま目に付いた看板にひかれて「のこのこ入り込んだ」・・・のが、よりによって私の師匠であるスワミ・プレムヴァーニのアシュラムだったのである!!(爆)


で、やはり私同様なんとなく騙されて?カルマ・ヨーガの日々を送ることになってしまったそうだ・・・誠にご愁傷様としか言いようがないざんすねえ。


一度耐えられなくなって逃げ出したそうだが(その気持ちは大いに理解できる!)丁度リシケシに来ていた兄弟子・・・私ではなくかって師匠のところで苦労した西洋人(こういう弟子はかなりいるのだ・・30年以上前からとかのつわものに会ったし)に電話で諭されたそうだが、がその内容もなかなか面白い。↓


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先日同じく逃げ出したスロベニア人の兄弟子と電話してアシュラムに戻るというとそれが良いとやはり言われました。
彼は10年前5ヶ月スワミジの元修行し今回2ヶ月耐えた大物です。
修行中はこの男はクレイジーだとずっと思っていたらしいんですが、国に帰ると、凄いエネルギーが溢れかえり、家を建て彼女も出来たらしいです。(彼女と別れてまた今回来ていましたが…)
そしてそれまですぐに切れてケンカをしていたらしいんですが、修行後誰も彼を怒らせる事が出来なくなっていたらしいんです。
エゴをコントロールできる力を身につけたのか、精神が崩壊したのか(笑)。

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それで彼女もまた師匠の元に戻って結局2ヶ月滞在した・・・おお、これはすごい体験ざんすよん!!


私もメールで彼女に諭したのだが、↓


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まあ何と言いますか、例えばアーサナとかプラナーヤマの技術などは「どこでだって学べる」わけですが、インドのスワミ・ジのアテンダントをして強烈なカルマヨーガの生活をおくる・・・なんてのは早々滅多に出来る体験じゃないわけでしてね。


霊的な修行の最大の目的というのは、要するに「エゴ」を超えること・・・と言えると思いますが、ではそのエゴとはどういうものなのか?・・・師匠と一緒に暮らしてると嫌というほど実感できるでしょ?(笑)


大体カルマヨーガというのは、「一日のうちのこの時間だけカリキュラムとして実行する」というような筋合いのものではないのですね・・・・

師匠から「言いつけられたこと」に対して、一切なにもあれこれと「考える事を停止」して実行する、


ようするに実は「奉仕の労働」ですらないのですね、「一切の動機づけなしで行動そのものに専心する」・・・つまり「エゴの働きなしで行為する」・・・という事の修行と言えるのでしょう。


ですからね、他の一般的なカリキュラムが確立したアシュラムで、「規定の料金を払って決められた時間を真面目に過ごせば修了証が出て、あなたもヨーガの先生です!」

なんていうステレオタイプの修行とは全然意味が違うのですよ、師匠のところで学ぶということはね(笑)


いつか将来、貴女も師匠のところで学んだものの本当の意義を理解できる事になると思いますよ!!


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長くなったので(毎度のことだが)続きはまた明日!!
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