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2008年12月31日11:59

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『最強の狙撃手』

 年こそ、のんびりと年末年始を過ごしたいというささやかな夢は、またしても破れた。絶対絶命の危機に追い込まれ、緊張感ある日々を過ごしている。仕事は追いつかない、神経が高ぶって眠れない、疲れと焦燥感でストレスが溜まる。そこで、現実逃避・・・・・。DVDを観たり、本を読んで、気分を変える。

 仕事の合間を縫って、一日で読破したのが、アルブレヒト・ヴァッカー著『最強の狙撃手』(原題:『Im Auge Des Jägers(猟兵の瞳の中で)』。戦記ものは人一倍読んできたつもりだが、これはかなり異色の内容である。抜群に面白い。

 主人公は家具職人見習ぜップ・アラーベルガー。1942年秋、18歳で第三山岳猟兵師団第144山岳猟兵連隊に入隊したドイツ青年だ。もともと、戦士としての能力が高かったのであろう。6週間の猛訓練の後、彼は軽機関銃手を命じられる。ドイツ軍歩兵部隊にとって、軽機関銃は「火力の要」となる重要なポジションである。攻撃するにせよ撤退するにせよ、軽機関銃手は瞬時に状況を判断し的確な射撃ポイントを発見、迅速かつ精確な射弾を集中する。歩兵分隊の小銃手は全て「軽機関銃手の働きを補助する」ことが任務であるともいえる。ゼップは東部戦線に配属された初日から激しい陣地防御戦闘に巻き込まれ、軽機関銃手として存分に職務を果たすが、同時に、軽機関銃手を続ける限り、生きて帰れる可能性がないことを痛感する。火力の中心である軽機関銃は敵にとっても大きな脅威であり、真っ先に狙われるからである。「軽機関銃手をやめなければ・・・」と確信したゼップに運命の日が訪れる。攻撃前進中、敵の放った一弾によって腕を負傷した彼は、傷が癒えるまで家具職人の技術を生かすべく、後方の火器整備中隊で勤務することを命じられたのだ。そこでゼップは鹵獲したロシア軍のスコープ付き狙撃銃と出遭う。整備中隊の曹長に、狙撃銃を使った練習をしたいと相談すると、「どこまでできるか、やってみな。おまえは生まれながらの狙撃手かも知れないしな」と喜んで承諾する。幸い、ロシア製の実弾はふんだんにある。ゼップは毎日練習に励み、数日後には100m先のマッチ箱を、300m先の木製弾薬箱(30cm四方)に百発百中の腕前となった。これには、火器整備曹長も舌を巻く。2週間後、ゼップが原隊に復帰する時、曹長は彼に狙撃銃を授け、中隊長にゼップの才能について報告してくれた。ロシア軍の狙撃兵に煮え湯を飲まされ続けていた中隊長は狙撃兵の重要さを熟知しており、ゼップを中隊長直属の狙撃兵に任命。担当戦域内で自由に行動することを許した。こうして、彼は「伝説の狙撃手」となるべく運命の道を歩き始めたのだ。

              フォト

 この戦記は、ゼップ本人に聴き取り調査を行い、不足する部分は著者の丹念な調査によって補われている。方面軍単位の戦略級戦記とは違い、歩兵(猟兵)の小さな戦闘単位で描かれた戦術級の生々しい記録である。狙撃兵の専門教育を受けていないゼップが、戦友達から体験談を聞き、自ら敵の狙撃兵と対決する過程で「狙撃」とは何であるかを学び培い、成長していくところは素晴らしい。単に優秀な射撃術をもっていることと、戦場で狙撃兵として戦い、なおかつ生き残るということは全く別のことだということを読者は知る。冷静な観察力と逞しい精神を養い、卓抜した狙撃手となったゼップが、多くの戦友を守って、獅子奮迅の活躍を見せるシーンでは感動せざるをえない。冷静な観察力、判断力、神業とも言うべき精密な射撃術で、彼は部隊を全滅の危機から何度も救うのだ。優秀な一人の狙撃兵が、中隊あるいは大隊規模のロシア軍の攻勢を頓挫させる様は痛快である。もし、ドイツ軍が「狙撃兵」に対する認識を、あと5年早く改めていれば、東部戦線の防御戦闘、撤退戦闘は格段に容易なものとなっていたであろう。なんとも、残念である。

 しかし、ゼップが活躍するのが「地獄の東部戦線」であるということを読者は忘れてはならない。東部戦線には戦争のルールはなく、ロシア軍はジュネーブ協約など遵守しないのだ。ドイツ軍捕虜は虐待の末、無残に殺される。非武装の軍医も衛生兵も、病床に横たわる重篤な負傷兵も関係ない。多くの同胞の命を奪った狙撃兵と知られれば、さらに激しい拷問を受け、なぶり殺しにされるのは確実なのだ。東部戦線では、攻め寄せるロシア軍を撃退するか、防御戦闘を継続しながら安全な後方へ撤退する以外に生き残る道はない。戦記を読み慣れない、または東部戦線の過酷な実態を知らない方々には、本書をお薦めしない。あまりにも凄惨な描写が多いからである。ロシア軍やパルチザンがドイツ軍捕虜に加える拷問は想像を超える。人間が同じ人間に果たしてそこまで残酷に死に至らしめることができるものなのか、と目まいがするほどだ。そして、終戦。東部戦線で戦うドイツ軍将兵にとって、命の危険はさらに続く。ロシア軍やパルチザンに捕まれば、惨殺される危険性が高い。狙撃兵として生き延びるために蓄積してきた全ての感覚と技術を、彼は故郷への逃避行の中で駆使する。凄惨な戦場から、家族の待つ故郷へ生きて帰ることができたのは、技術、経験、才能、そして幸運なくしてはありえないことを読者は痛感するだろう。戦場から生きて帰る。これこそ、奇跡なのだ。読了後、しばし呆然としてしまった・・・。

 ヨーゼフ・アラーベルガー上級兵長。ドイツ軍公式記録第二位のエース狙撃兵(公認狙撃数257)。黄金(1級)狙撃徽章。1945年4月騎士十字章。公認狙撃数は、狙撃手または観測手との単独行動中の狙撃で、砲兵観測班などの確認を得たもののみカウントされることとなっているため、陣地防御戦闘中、前進攻撃中の狙撃は除外される。したがって、一日の防御戦闘で27名、一回の前進攻撃戦闘で40名を倒したこともあるゼップが、2年余の狙撃兵生活の中で倒したロシア兵の総数は軽く千名を超えるものと思われる。
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