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2026年09月29日01:32

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幻の伝説級ホワイトボード復元(文字記録)

〔今日もまだ
 体調が十分に戻らないので
 投稿後
 徐々に完成に近づけていきます。

 この日記に限らず
 mixi 22.5周年を記念した
 mixi 日記22日連続 日記投稿チャレンジ再キャンペーンが始まった
 令和8(2026)年9月3日(木)から
 キャンペンが終了する
 令和8(2026)年10月6日(火)23時59分までに
 投稿した mixi 日記は
 全部
 そんな感じで
 少しづつ完成させつつ
 書いていますので

 時々覗(のぞ)き直してもらえると
 「最終更新」を見て
 以前見た時よりも後に更新した跡があれば
 何かが
 以前と変わっていることに
 気付けると思います。〕

きのうの日記
で
写真だけ出した
幻の伝説級ホワイトボード
に
書いてある文字を
ここへ
記録しておきます。

ホワイトボードに
書いた内容
は
乱雑に
書き散らかしてある
ように見えて
実は
渾然一体とした
「一つの意志」
であるので
〔当初は部分的に拡大した写真を用いて
 文章をバラバラでもいいから
 羅列的に出してみようかと思ったけれども
 よく見ると
 全体が渾然一体とした「意志」であることに
 気づいたので
 外在超越者が内在超越者を使者(あるいはメッセンジャー)として用いて
 自らの意志を伝える仕組み
 を
 示すことにしました。〕

全体の写真を
出して
そこに書かれてある
内在超越者として現象する
物自体としての外在超越者の
バイオリズム(超越者の原理)を
ここへ記します。

フォト

〔ホワイトボードの左側に書いてある文字から整理していきます。
 〔 〕内の文字は
 現在の観点から見た補足である可能性があります。〕

内在の、内在超越への転化

(内在は最初は
 〔自分自身が〕超越を摂取した結晶である
 〔という〕ことに
 気付かないでいる
 単なる potencial である。)

親
を
知らずに育った内在
が
本当の親である超越
と
〔共鳴する現象〕
としての
〈〈悟りと啓示〉〉。

だから
内在は
「超越の内化したもの」
であり
超越と繋(つな)がる
可能性を持つ
ポテンシャルである
ということ。

「内在の発現(機能開始)」
は
「超越化」
であり
「超越の働きを直覚できる状態への転化」
である。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

内在は初(はじ)め
単なる内在である。

これが
何らかの条件〔悟り発生の physiology(生理)〕
が
整うことで
〔意識に向かって〕
逆限定し

〔この「逆限定」とは
 次のような
 「内在から意識への逆行現象」のことを
 指します。

 つまり
 「内在が
  安定的に安らぐことのできるバランスが
  或る限界以上に失われた時
  内在自身が
  自らの恒常性を維持するために
  強圧的に
  有無を言わせぬ力で
  意識の意欲(内在のバランスを崩すような意欲)
  を
  完膚無きまでに打ち砕くような(内在)の反応(反逆)が
  生じる。
  このような
  内在から意識の方向への
  逆方向の限定(内在が意識を規定してくる)作用」
 のことを
 「逆限定」という意味で
 私は
 西田哲学の術語(テクニカルターム)を用いて
 使っています。

 なので
 私が使う「逆限定」と
 西田幾多郎が使う「逆限定」では
 意味内容が違っています。

 私が使う「逆限定」が意味する内容は
 上記の意味です。〕

個人の〔意識、あるいは理性の〕
限界を突破し
超越と共鳴するように成る。
〔ここから先は
 意識は
 理性を越えて
 霊性、聖なるもの、ヌミノーゼ、神性
 と深まって
 最後に
 空の悟り(悟空)で
 深みの極に達する。

 悟空(本覚を直覚する段階)に於(おい)ては
 無我(Selbstlosigkeit)・無心(ohne Warum)であり
 あらゆる煩悩から解放されている。

 もちろん
 煩悩の火は
 いつでも点火し得る可能性を
 残しており
 それが生物である証(あかし)でもある。

 後期のシェリング哲学で言われるところの
 das sein Könnende(存在可能者)は
 宗教原理の不可欠の要素であって
 これを無視することはできない。〕

この現象を
個人の側から言うと
溶解〔蕩(とろ)ける〕体験であり
宗教体験である。

これによって
個人は
この限界を突破し
超越の内容を
直観できるようになる。

次は
ホワイトボードの
右側の記述を
整理します。

フォト

☆ 縁起(説)は
 迷いの世界〔有為(うい)〕のみを説明するもので
 さとりの世界〔無為(むい)〕
 は
 縁起の中に含まれない。
〔〈縁起〉と〈悟り〉は区別されるべき。〕

〔〈さとりの世界〉は
 人知を越えた世界
 つまり
 感性(Sinnlichkeit=官能性、肉体的欲求)や
 悟性(Verstand=理解力)の限度を
 越えた世界の現象だから

 悟性にとっては
 原因(根拠)無く生起するように
 感じられる(思われる、考えられない)
 現象。

 だから
 悟性にとっては
 無根拠
 〔という意味での〕
 無底
 として
 捉えられる現象。

 原因無く
 (理由がわからずに)
 起こるのが
 〈悟り〉
 であり
 〈啓示〉
 であります。〕

〈さとり〉
は
〈滅〉
とか
〈解脱〉
と
表現され
縁起
を
超越し
〈縁起の滅した世界〉
と
されている。

※ 因縁=因(原因・直接原因)
     縁(条件・間接原因)

縁起の思想
は
「一切のもの(物体的な働きも含む)は
 種々の因や縁によって生じる」
という考えを表す
仏教の中心思想。
〈因縁〉〈因果〉
というのも
同趣旨。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

〔ホワイトボード右側の
 赤い線で囲まれた丸の中の
 図の周(まわ)りの文字を
 整理します。〕

内在
は
個物(個体)が
長い年月の中で
周囲の環境に適応するうちに
内部に摂取していった
その個体の恒常性を維持する原因
である。

人間ならば
DNA などが
その一つである。

ただしそれは
物体としてそうなのであって
精神的実在としての内在は
また別である。

〔精神的実在としての内在の
 形成過程で
 超越が
 個物の本質として
 取り込まれてゆく。〕

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

〔ホワイトボード右側の
 赤い線で囲まれた丸の中の
 図の周(まわ)りの
 右側の文字を
 整理します。〕

三位一体論に於(おけ)る
〈子なる神〉=〈キリスト〉
とは
キリスト=救世主
であり
即ち
覚者
つまり
悟りを開いた者
は
神と同格
ということ。

内在超越
〔ここで
 「内在」は「der Geist=精霊」
 「超越」は「Gott=御祖(みおや)なる神=創造主」〕
は
すべての個物に
内在している
と共(とも)に
超越している。
(超越する可能性を持っている。)

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

〔今度は ホワイトボードの
 右下の記述を 整理します。
 そこには
 自律性療法の術語(technical term)が出てきます
 (「中和処理」や「解放」など)
 詳しくは
 『自律訓練法と心身症』医師薬出版、1976年10月1日初版発行
 (日本初 自律性療法の総合的解説書)
 あるいは
 『ルーテ 自律訓練法』全6巻、誠信書房、池見酉次郎 監修、
 昭和46(1971)年6月30日〜昭和52(1977)年6月20日
 (自律性療法の決定版)
 を参照してください。〕

自律性中和(autogenic neutralization)処理
や
自律性解放〔autogenic discharge(s)〕
は
ホメオスタシスの機能。
〔上記の参照図書(『ルーテ 自律訓練法』)より
 自律性中和の説明(第6巻用語解説433頁)
 を纏(まと)めると

 1.自律訓練法における方法の1カテゴリー(Luthe, W)で
   (a)自律性除反応(autogenic abreaction)
   (b)自律性言語化(autogenic verbalization)
   の
   2種がある。

   自律訓練療法での他のカテゴリー、例えば
   自律性修正(autogenic modification)
   自律性黙想(autogenic meditation)
   自律訓練法(autogenic training)
   自律訓練療法(autogenic therapy=自律性療法)
   とは異なる。
 2.高度に複雑で分化した精神生理的な脳制御的過程で
   ホメオスタシス
   即ち
   自己調整的性質の生物学的原理
   に従う。
   この過程は一方
   ニューロンに蓄積された物質
   と
   機能妨害作用
   を
   減少
   及び
   段階的に解消すること
   を
   目的とする。

   脳機能
   (例えば、中心脳保安解放系=centrencephalic safty=discharge system)〕
   が
   自律性中和
   を
   起こすのに適した機会
   が
   与えられるにつれて
   精神力動的、精神障害生理的障害の諸形態
   の
   漸進(ぜんしん)的正常化
   が
   認められる。

 また
 『ルーテ 自律訓練法』の
 自律性解放の説明(6巻用語解説432頁)を
 纏(まと)めると

 自律性解放とは
 短時間の訓練徴候
 のことで
 その生理的ないし心理的性質は
 適用している自律訓練公式(autogenic formula)とは
 一見無関係に見える。
 これには
 以下の諸項目は含まない。
 1.公式に関連した訓練徴候。
 2.自律訓練練習が行われていない時に、自発的に発生する解放(discharge)。
 3.刺激に関連した反応性解放。
 4.自律性除反応(autogenic abreaction)下に生じる
   長期的、組織的かつ分化した複雑な脳制御的自律性中和過程。〕

逆限定内在超越
は
単に自己正常化の機能のみでなく
人格変革(構造転換・システム転化・様式革命)
を伴う働き。

つまり
逆限定内在超越
は
〈〈新生自己誕生のプロセス〉〉
であり
新しい自己への生まれ変わり
を
伴う働き。

本来
弁証法とは
或いは
革命とは
この
〈〈悟り〉〉に伴う人格転換
のこと
でなければならない。

したがって
変革の主体
は
人民(プロレタリアート、労働者階級)
ではなく
存在に(したがって人間の心の中にも)内在している超越
〔=(万有)内在超越〕
でなければならない。

内在超越
は
真実在。

これ(内在超越)は
或る一つの個物(das Individuum=個体=分割できないもの)の中にも
また
外に存在する他の個物(=個人)の中にも
偏在している。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ホワイトボードの右下の文章
を纏(まと)めます。

三位一体論〔(独)der Trinitarismus(英)the Trinity〕

(1)神〔御祖(みおや)なる神=創造主)創造の主体〕=超越
(2)精霊〔宗教経験に顕示されるもの〕=内在(der Geist)
(3)キリスト〔救世主・メシア・覚者・仏陀・子なるキリスト〕
   =悟りを開いた者、啓示を受けた者

(1)〜(3)はペルソナ(位格)で
これら3つのペルソナは「同格である」とする説が
三位一体論。

ここで「位格(ペルソナ)」とは
「悟性と意志を兼備した独立の主体」。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

最後に
ホワイトボード中央の図
を説明します。

この図は
まだ統一された場合の能力が
描(か)かれていないので

それを補った
宗教体験内容図を
出しておきます。

フォト
     〔この2つの図は同じ図のように見えて実は違っています。
      上の図は認識論的な区別を重視した図で
      下の図は存在論的な区別を重視した図です。
      下の図の中心部の〈絶対中〉(空の下側)が
      右側にずれて配置されていますが
      上の図と同じように中央に配置されるべきところを間違って
      右にずれてしまっているだけです。〕
フォト

僕たちにとって
一番身近な
というか
一番後で発達した
認識の機能は
悟性
〔ほんとは
 概念史の順番から言えば
 カントが悟性よりも上位に位置付けた
 理性(ラテン語で言えば ratio)は
 そもそもは単なる論理的思考能力で
 悟性(ラテン語の intellectus)の方が
 叡智であって
 理性よりも高度な能力
 つまりは
 超越と交感し合って
 互いの能力を
 分け合ったり
 与え合ったり
 補い合ったり
 することが出来る能力
 と見做(みな)されていた。

 だからこそ
 intellectus を訳した日本人は
 その意味通り
 「悟りを開く能力」として
 「悟性」と訳したのだけれども
 宗教体験を獲得する方法を
 教育から外してしまった現代人は
 宗教原理を掴む方法を
 失ってしまっており
 その結果
 カントのように
 単なる論理的思考能力でしかない
 理性が最高能力として
 君臨することを
 許してしまった。

 むしろ私は
 この悟性(ラテン語の intellectus の意味。叡智とか Weisheit=智慧の意味)
 を
 再び元の意味に
 しかも
 カントの超越論を受け入れた上で
 それゆえ
 独断論に陥ることなく
 悟性と理性の順位を
 「本来の位置に再び戻す」
 ということを
 したいと思っています。〕
なので
〔それゆえ
 ここは「理性(ratio)」が
 本来の位置。〕

悟性〔理性〕
を
一番外側に描(えが)いている
わけです。

で
〔この図は悟性と感性の統一能力が理性ですが〕
理性と感性を
構想力の図式的直観能力(産出的構想力)で
統一した能力が
悟性(悟りの能力)。

けれども
それだけでは
まだ浅くて

その奥に
意志が実在しているので
悟性(この図では理性)
と
意志
とが
反省的判断力の
象徴的直観能力によって
統一されて
霊性に
高まるわけです。

さらに奥には
魂(die Seele)が実在しているので
このレベルは
民族的な統一意識の段階だと思われるのだけれども
理性と感性と意志と魂
が
統一された場合
その認識能力を
「聖なるもの」
と呼んでいます。

そのようにして
内在超越の逆限定によって
次々に
奥の機能と
表層側の認識能力とが
統一されてゆき

ヌミノーゼ
神性
と
深まって

絶対無の自覚(=勝義=真如=実相)
で
極まります。

ところで
理性(悟性)・霊性(精霊)・聖なるもの・ヌミノーゼ・神性
は
認識能力のポテンシャリティー(可能性)を示す名称
である
のに対して
下側の
推論(悟り)・自覚・ヒエロファニー(聖なるものの顕現)エクスターゼ・啓示
は
認識能力の Actus(行為)つまりは「実働」を示す名称
です。

究極の段階(境位)の
「絶対無の自覚=勝義=真如=実相」
が
Potenz(可能性)とActus(現実性=顕現=実働)の
区別がないのは
究極の境涯(境界=きょうがい)に於ては
可能性と現実性が一つであり
現実に行為したからといって
可能性の段階に戻れなくなるわけではなく
いつでも可能性の段階に
つまりは
現実から見れば「無」の段階に
戻ることが出来る能力であることを
示しています。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

それで
上の図と
今回の
「幻の伝説級ホワイトボード」
の
1番の違い
は

上の図が
内在超越が悟性(現在の私の観点では理性)
まで
昇って来た段階で
止まっていますが

ホワイトボードの内容は
それが
自分一人の頭の中に
留(とど)まることなく

他の個体
それも
全人類
全動物
全植物
地球上の全自然
さらには
全宇宙の存在
そのうえ
全宇宙存在の創造主
までを
繋(つな)ぐ原理が
発想(構想)されていること
です。

だからこそ
「伝説級」
と
言ったわけです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

これは
まだ
理念に過ぎませんが
理念は
課題であり
統制原理によって
制御されつつも
永遠に
その実現に向けて
人類が
責任を持って
行為し続けることが
求められているわけです。

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https://mixi.jp/diary_campaign_2026.pl

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最終更新
令和8(2026)年 9月29日 13時49分
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