高校(
大阪府立 北野 高等学校)時代の
1年上の先輩
山田 五郎(本名:武田 正彦)さんの
YouTube 動画
山 田 五 郎
オ ト ナ の
教 養 講 座
第1回
令和3(2021)年1月8日(金)
〔開設日は2021年1月7日(木)〕
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452年4月15日〜1519年5月2日)
は
67歳1ヶ月に13日足らずで
没している。
この時の五郎さんは
まさか自分が5年半後に
レオナルド・ダ・ヴィンチと
同じ67歳で亡くなることになるとは
全く思っていなかったと思う。
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濱田 覚
シェリング『啓示の哲学』ベルリン大学講義
第1回
令和4(2022)年6月26日(日)
私も令和8(2026)年5月12日で67歳になりました。
山田五郎さんも
森永卓郎さんも
そして
私の父(濱田 耕助)も
67歳で
亡くなった。
山田五郎さんの
最終講義の題目
memento mori
(メメント・モリ:死を忘れるな)
と同時に
山田五郎さんの
最後の言葉
carpe diem
〔カルペ・ディエム:今日(の花)を摘め〕
を
心に命じて
僕も
レオナルド・ダ・ヴィンチ
に似て
やることが超絶遅い上に
作風が自由過ぎて
愛想を尽かされる傾向にある
けど
第3哲学専念期に
入った
〔令和8(2026)年4月16日 〜
第1哲学専念期は
昭和60(1985)年6月23日 〜 平成4(1992)年3月31日
結果は「宗教体験(Visio Dei=見神体験)1990年11月5日」。
第2哲学専念期は
平成6(1994)年4月1日 〜 平成14(2002)年3月31日
結果は「宗教体験内容図(哲学概念図)」生成。
作成。〕
からには
これまで
自分が受けてきた
総(すべ)ての
多大な先行投資
と
恩義
を
「実」として結(むす)ぶこと無くして
死ねぬ。
carpe diem, quam minimum credula postero
〔今日(の花)を摘め。明日を信じることは最小限度にして。〕
恩師
川�� 幸夫先生のように
アンゲルス・ジレージウス詩集の
翻訳と註解を
未完成のまま終わらせない
ためにも。
68歳で亡くなった
東野 圭吾(ひがしの けいご)さん
〔昭和33(1958)年2月4日〜令和8(2026)年7月23日
68歳5ヶ月と19日で没〕
の大作
『ゼブラの夏』
が
双葉社の『小説推理』に
平成10(1998)年8月号〜9月号に
連載されるも
(これは東野圭吾さんと出版社との関係悪化により
途絶したせいで
未完成のまま残ったのだけれども)
途絶してしまったように
成らないように
自分の使命
を
果したい。
そして
第1哲学専念期(1985.6.23〜1992.3.31=方法・原理獲得)
で得られた原理の
第2哲学専念期(1994.4.1〜2002.3.31=原理図示)
で描いた理念イメージの
原理表現を完成させるための
第3哲学専念期(2026.4.16〜 )
で
『超越論哲学的宗教ー方法と原理と体系ー』(仮)
を
何度も改訂を重ねて練り上げて
完成させ
出版し
国立国会図書館や
全国の図書館や
全国の大学図書館に
「公刊」として認められるだけの冊数を
所蔵してもらえることを目指して
carpe diem
し続けようと思う。
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あるいは
京大大学院博士後期課程時代(休学期間を含む)
(平成24(2012)年4月1日 〜 令和3(2021)年3月31日
の9年間)
に書いた論文集
を
(1)『学術以前ー京都大学大学院博士後期課程時代論文集ー』
宗教体験内容図を解説する(基礎付ける)書
(2)『宗教体験内容図』
そして
(3)『超越論哲学的宗教 ー方法と原理と体系ー』
(1)『学術以前』
(2)『宗教体験内容図』
(3)『超越論哲学的宗教』
この3部作を主著とする道
もある。
絶対条件ではない
が
(3)
は
学位取得を目的として
〔少なくとも
学術の作法を修得するために
京大と京大大学院へ進学したのだから
その目的は果たしたいので〕
作成する。
その場合
博士(文学)を『超越論哲学的宗教ー方法・原理・体系ー』
博士(教育学)を『超越論哲学的宗教の教育方法』で
取得することを目指す。
自分自身の論述の
学術性を
確認するため
にも。
これまでの宗教は
経典であれ
聖書であれ
学術
ではなかった。
その点を
克服し得る宗教を
創始したい。
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けれども
学位を目指す
ということは
大学に所属する
ということであり
大学は
国家から
自立している
ようで
結局は
国家に所属していることから
本当の意味では自由ではない。
その意味で
私もまた
日本国籍を持つ以上
日本人であることから
自由ではない。
けれども
国家権力や
大学の意向から
自由に
〔京都大学の「意向」には賛同しているのだから
京都大学の学位を取得することを目的とすることには
一見矛盾が無さそうだが
学位を取得した人は皆
学位論文制作時に感じる矛盾をのちに吐露しているが
結局は「学位」が欲しいが為に
その「矛盾」に立ち向かうことなく
その「矛盾」に「巻き込まれて」しまう。
そういう「巻き込まれ」から自由でなければ
本当の「思想」は表現できない。
そう言う意味での「本当に」自由に〕
思想を表現する。
優れた書物は
権威を纏わない。
権威で注目されようとする思想は
どれも偽物だ。
ただ
無冠と
無保証は
区別されるべき。
けれども
「資格」が
汚れている場合には
むしろ
「無資格」であることに
のみ
純粋が存在し得る。
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最終更新
令和8(2026)年 8月 7日 15時09分
令和8(2026)年 8月 9日 12時21分
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