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2022年04月27日09:29

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〈主体無き客体〉と〈客体無き主体〉

〈主体無き客体〉
とは

アンゲルス・ジレージウス
(Angelus Silesius 1624〜1677)
が
「薔薇は故なく咲く」
と言った時の
das ohne Warum
であり

スピノザの言うところの
無底(Ungrund)
である。

何か目的が必要なわけでもなく
何かを意図するわけでもなく
どこまでも無目的・無意図で
ただただ生成のみが生起するさま。

これに対して
(これに反して)

〈客体無き主体〉
とは

何らの具体性も無く
ただただ思惟(主体=意図=意志)のみが
展開されるさま。

〈主体無き客体〉には
〈結果〉のみが〈実在〉し

〈客体無き主体〉には
〈可能性〉のみが〈存在〉する。

〈主体無き客体〉は
無限であるが
無制限である(逸脱を免れ得ない)。

〈客体無き主体〉は
無力であるが
自我(制限・牙城)を持つ。

〈主体無き客体〉は
制限(システム)を必要とし
〈客体無き主体〉は
現実性(具体的な実効力)を必要とする。

〈客体無き主体〉は
〈主体無き客体〉を
そもそも排除し得ないし
互いは
全く共通点を持たないが故に
二極対立でありながら
正反対であるが故に
反発し得ない。

なによりも
それぞれは
(性質的には対立的であるが)
実体的には一なるものである。

唯一者であり
絶対プリウスでるもの
そのものが
一面では
〈主体無き客体〉であり
一面では
〈客体無き主体〉なのである。

別々の独立体であるならば
互いに
どちらかが消滅するまで
争うであろうが

一なるものの二面性は
一なるものを保つ限りにおいて
安定している。

けれども
〈主体無き客体〉は
主体、つまり意志を持たないが故に
現象しないで居ることが出来るが

〈客体無き主体〉は
主体=意志であるがゆえに
制限の中に留まり得ない。

それゆえ
運動の起因は
〈客体無き主体〉である。

〈客体無き主体〉が
その存在化の能力故に
制限の中に留まることが出来ず
その結果
限度を越えて逸脱し
(中心からズレて)

唯一者の
唯一性を破壊して
結局は
自滅する可能性を持つ。
(〈自滅のリスクをゼロにはできないもの〉である。)

〈客体無き主体〉(シェリングの「存在可能者」)
は
例えば「癌」のように
それが現実存在した時には
「存在すべきではないもの」
としてしか存在できないものである。

しかし
例えば「コロナウイルス」のように
それは
人類社会の
「都会」あるいは「密集型生活形態」
に対する
「警鐘」と成り得る
「メッセンジャー(使者、予言者)」
でもある
ということに
なかなか誰も気づかない。

特撮映画における
「怪獣」だってそうだ。

それは
人類が自然を破壊するほどに
限度なく開発を続けることに対する
「警告」を発する者
であるにもかかわらず

怪獣が
言葉を持たないのをいいことに
(「論理的な説得力」を持たないが故に)
暴力で制圧したり
虐殺したりしてしまう。

しかも
人類の自然破壊に対する警告者である怪獣を
虐殺する者を
英雄扱い(ウルトラマン)
してしまう人類の愚かさ。

〈客体無き主体〉(シェリングの「存在可能者」)
は
それが
〈主体無き客体〉(シェリングの「純粋存在者」)
の
主体として機能する(役割を演ずる)時

そして同時に

〈主体無き客体〉(シェリングの「純粋存在者」)
が
〈客体無き主体〉(シェリングの「存在可能者」)
の
客体として機能する(役割を演ずる)時

それらは融合して
神でありGeist(精霊)である。
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