「森の歌」の本番指揮者による練習があった。テンポが速かった。自分は以前、速いテンポで歌っていたので何とかついていけた。それでも、かなり前のめりになり、音楽を先取りするくらいの感覚で歌わなければならなかった。
これで、これまでの練習に対する疑問がはっきりした。母音唱を中心とした声作りの練習では、こういう音楽には対応できない。もちろん、声作りが不要だと言っているのではない。しかし、本番で要求されるテンポやリズム、言葉の処理を想定した練習がなければ、実際の演奏には結びつかない。
バスは目の前にピアノがあり、伴奏がバンバン鳴っていたから、それを頼りに何とかついていけた。ところが、ピアノから離れたソプラノなどは惨憺たるものだった。もちろん、原因を伴奏との距離だけに求めることはできない。しかし、合唱団全体がこのテンポに対応できるだけの準備をしてきたとは、とても思えなかった。
問題は、本番指揮者のテンポが速かったことではない。そういう音楽になることを想定し、それに対応できるように練習を組み立ててきたのか、ということだ。
本番でどのような音楽が要求されるのか。それを考え、必要な練習を積み重ねるのが合唱指導者の役割ではないのか。声を整えることに時間をかけても、本番で求められる音楽に対応できなければ、何のための練習だったのかということになる。
結局、今回の練習で再認識したのは、合唱指導者の勉強不足である。もちろん、今回の一回の練習だけで断定できることではない。しかし、これまでの練習と本番指揮者の要求との間に、これほど大きな隔たりがあったことは事実だ。
本番指揮者の要求が厳しいのは仕方がない。だからこそ、その要求に応えられるように準備するのが指導者の仕事なのだ。声作りをしていれば合唱が仕上がるわけではない。音楽を勉強するとは、そういうことではないのか。
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