東京混声合唱団の牧山亮さんは、先日の「森の歌」の特別練習で、バスのパート練習を指導されたとき、いくつか面白い話をされた。その一つが、「声楽は個人では上達しない」と。続けて、「楽器は個人でも練習できるが、声は骨伝導するので、自分が実際に出している声がどうなのかは分かりにくい」という話をされた。
ちょうど録音機を持ってくる前だったので、メモしか取れなかったが、牧山さんが言われたのは、おおよそそういう意味だったと思う
確かに、その通りだと思う。
歌っている本人には、空気を通って耳に入ってくる声だけでなく、声帯の振動が頭蓋骨などを通して伝わってくる音も聞こえている。だから、自分が聞いている自分の声と、少し離れたところで他人が聞いている声とは、当然同じではない。
自分でも、たまに「今日はいい声だな」と思うことがある。師匠のレッスン室は天井が高く、音楽的に計算された部屋なので、反響もいい。声を出していると、時々ガラスが共鳴してビリビリ震えているように感じることもある。そういうときは、後で録音を聴いても、「なかなかいい感じだな」と思う。
ただし、そんなことは本当にたまにしかない。
そして、ここで問題になるのが録音である。以前にも書いたが、人間の耳の代わりになるような録音機は、まだないと思っている。自分が合唱の練習を録音して配布している機械は5万円ほどで、32ビット録音ができる。外部マイクを付ければ、かなりいい音で録れる。
しかし、それでも実際にその場で自分の耳に聞こえている音を、そのまま録音しているわけではない。
録音というのは、結局のところ、マイクを置いた場所で拾った音である。自分の足元で録音するのと、少し離れた客席で録音するのとでは、当然聞こえ方が違う。合唱全体の響きを録るのか、特定のパートを拾うのかでも違ってくる。
だから、自分が練習録音をアップするときには、そのことを明示している。「あくまでも練習の復習と、指導者から受けた注意の確認のために聴いてください。この録音を聴いて、自分の声が良かった、悪かったと一喜一憂する必要はありません」と。
合唱の練習では、自分の足元など、かなり近いところに録音機を置いている人もいる。そうした録音でも、音程の確認やテンポのズレ、歌詞の入り、パートの動きなどを確認するには十分役に立つ。しかし、それを聴いて「この人の声はいい」「この声は悪い」と判断するのは難しいと思う。
そもそも、歌っている本人には自分の声を正確には聞けない。録音しても、その場の音をそのまま再現できるわけではない。だからこそ、声楽では自分以外の人に聴いてもらうことが重要になる。
牧山さんの「声楽は個人では上達しない」という言葉は、そういう意味なのだろう。
自分では「いい声が出ている」と思っていても、外から聴いたらどうなのかは分からない。逆に、自分では少し変に聞こえた声が、客席では意外によく響いていることもある。結局、自分の声というものは、自分だけではなかなか分からないのである。
ログインしてコメントを確認・投稿する