母音が統一されている」「音色がそろっている」「団としての音響を優先している」と、ここまでは東京混声合唱団の特徴を的確に説明しているように見える。ところが、その直後に「芯がない」「上からの抑えがない」と続き、最後は「もっと自分の声を出して歌ってほしい」で締めくくられる。
読んでいて首をかしげた。東京混声合唱団は、個々の声を前へ押し出すのではなく、声を溶け合わせて一つの音楽をつくることを長年追求してきたプロ合唱団である。その音づくりを認めながら、「もっと自分の声を出してほしい」と言うのは、「なぜウィーン・フィルはもっと自己主張しないのか」と注文を付けるようなものだ。団の個性そのものを否定していることに気付いていない。
さらに、「芯」や「上からの抑え」といった言葉も便利ではあるが、便利すぎる。定義も説明もなく使えば、専門的な分析というより、「何となくそう聞こえた」という印象論にしかならない。曖昧な言葉を並べれば評論らしく見えるが、それだけで評論になるわけではない。
結局、この文章が語っているのは東京混声合唱団ではなく、筆者自身の好みである。「私はこういう歌い方が好きだ」と書けば率直な感想で済むものを、「これが正しい評価である」という雰囲気で語るから、独善的な印象だけが残る。
音楽評論とは、自分の価値観を披露する場ではなく、作品や演奏を根拠をもって読み解く営みである。読み終えたあとに残るのは、東京混声合唱団への理解ではなく、「この人は自分の好み以外は認めない人なのだな」という感想だけだった。
なんとやさしい切り口やろ。
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