指導者が「わかりますか」と聞く。それを聞くたびにイライラする。しかも口癖のように何回も出る。心の中では「わかるぐらいなら苦労はせんわ」と思いながら、こちらは、いかにもわかっているような顔をしている。こういう問いかけ自体が、指導者の自己満足ではないかと思う。
自分が現役の教師だった頃には、この言葉は使わなかった。生徒はまずわからないものだという前提があるからだ。一人一人の顔を見て授業をしていると、「ああ今の説明では入っていかないな」と感じることがよくある。生徒は正直で、わからないときはすぐにそういう顔をする。勉強が得意な学校の生徒なら適当にわかったような顔をするが、自分が教えていた生徒は正直だった。だからそこで「わかったかな」などと問いかけること自体、あまり意味がない。「そうか、今の説明はわかりにくいな、じゃあこれでどうかな」と言い直す。その繰り返しだった。
声楽のレッスンでは、師匠にそんなことを言われたことはない。「ここに響かせて」とか「この下腹から」とか言われても、もちろん最初からできるわけではないが、こちらはそれをやろうと努力する。
では、合唱団の指導で「わかるかな」と言われると、なぜイライラするのか。たぶんその問いが、結果を確かめるためではなく、指導者自身の中で完結しているように見えるからだ。問いかけながら答えを受け取る気がない。自分の説明を自分で確認しているだけのように感じる。
暖房は入っていたはずだが、あまりにも寒くてくるまっていた。そんな状態で聞いていたから、なおさらそう思ったのかもしれない。帰宅して薬を飲んで寝た。
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