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シェリング『啓示の哲学』ベルリン大学講義(その62)
をアップロードしました。
シェリング『啓示の哲学』ミュンヘン大学講義「原」草稿
第9講義を
読んでいます。
今日は
私選(私が選定した箇所)の
シェリング『啓示の哲学』ポテンツ論要諦(前半)の
最初に相当する箇所の手前まで
読んでいます。
シェリングが立てた
問い
哲学の出発点としての
「存在するようになるもの(das, was sein wird)」
が
第一規定(第一原理)で「存在可能者(das sein Könnende)」
第二規定(第二原理)で「純粋存在者(das rein Seiende)」
へと進展し
尚且つ
両者の間に措定された「同一性(Identität)」
によって
何が獲得されたか
に対する答え
「純粋存在者としての唯一者(一者)は
存在可能者としての唯一者(一者=自分自身)を
自らの支配下に置いた(自らの圧倒的な力の内に治めた)」
ということを
答えていますが
私はベルリン大学での表現
「存在可能者としての唯一者(一者)が
純粋存在者としての唯一者(一者=自分自身)を
自らの支配下に置いた(自らの圧倒的な力の内に治めた)」
ということも
(それが神話における初期の人間の意識状態であるとしても
したがっていずれ克服されるべきものとして
あるいは歴史的に既に克服されたものとして
捉えられているとしても)
存在可能者を
純粋存在者と
相互非排除性において
捉えられていることから
捉え得る
存在可能者と純粋存在者との関係ではないか
と思われる。
存在可能者が純粋存在者の主体として措定され
純粋存在者が存在可能者の客体として措定されている
としても
主体と客体との間に
(主体=Subjekt が本来の意味に捉えられるとして
Subjekt が「下に投げられた(支配下にある)もの」という意味を
語源的に持ち
客体=Objekt も本来の意味に捉えられるとして
Objekt が「反対して投げ出された(反抗する・邪魔)もの」という意味を
語源的に持つとしても)
優劣の関係は
ないだろうからです。
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最終更新
令和4(2022)年8月26日 2時56分
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