mixiユーザー(id:2223977)

2022年04月26日16:28

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学術以前(神話)→学術(理性)→超学術(積極哲学=哲学的宗教)

哲学は
そもそも宗教の怪しさを
払拭(ふっしょく)するために
始まった人類の知的作業(文化の営み)
だが

カントが
Verstand(悟性:intellectus)
と
Vernunft(理性:ratio)
の
序列
(中世までは
 intellectus のほうが
 ratio よりも
 上位の概念だった。
 だからこそ
 intellectus に日本人は
 「悟性(悟りを開く能力)」という訳語を与えていて
 この語の意味は
 今でも活(い)かせると思う。)
を
ひっくり返してしまった
ので

カント以後は
もともとは
「論理的思考能力」でしかなかった
Vernunft が
人間の認識能力の最高峰に祀(まつ)り挙(あ)げられた。

なので
カント以降は
宗教原理を認識する能力は
人間には認められなくなった。

だから
「学問」の世界や
「教育」の現場で

「宗教体験」だとか
「啓示の内容」だとか
「悟りの内容」が
扱えなく成ってしまった。

そのことが結局
人間の判断力を
狭め
低め
浅めてしまっていることに
気づくこともできなく成っている。

意識の世界に閉じこもって
意識の奥(下)で
意識を創り出している働きに
目が行かなく成ってしまっている。

その限界を突破し
intellectus の能力
即ち
「叡智」の能力を
(それゆえに
 「啓示を受ける能力」であり
 「悟りを開く能力」を)
人間の認識能力として
認めて

これをしかし
これまで通り
「学術」として
(とはいえ「超学術」として)
人類が共有できるようになることが

現代の人類の課題だ。

この道を
私が拓(ひら)く。

その意味では
パイオニア。

この道が
啓けるように
アリアドネの糸となるのだ。

その意味では
導者(Fühler、Leader)。
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