外国語を選択制にして強制しない方がいいと思いますが、
しかし、この問題を語ると長くなります。
保留して、日本人を英語上手にするための方法として、この問題をとらえてみたいと思います。
世の中に、英語などの外国語ができると思っていたり、周りからそう考えられている人は多いですが、
私の知人で外国語が本当にできる人は、十数人です。
1 外国語の内容がある論文が読める。
たとえば、英語であれば、ロールズの『正義論』を原書で読める。
日本人だって、『ワンピース』が愛読書ならぬ愛読漫画で、島崎藤村も辞書を引かないと読めないような人は、到底、日本語ができるとは言えません。
2 1の内容を、教養がある外国人と議論できる。
要するに外国の大学のゼミで議論できるということです。ハロー、ハワイユーは、英語を話せるとは言えません。
(ちなみに私は、どちらの能力も持っていません。)
このような人と、日常会話が出来てアメリカで生活できるという人との混同があるのではないでしょうか。
共に非常に大切なことです。本は読めないが日常会話はできるという能力は尊いもので、決して否定するつもりはありませんが、この二つは本質的に異なるものです。分けないといけません。
英語教育早期導入の議論のいかがわしさは、どういう英語の使い手を育てるのか、ハッキリしないというところにあります。
この十数人はといえば…
彼らの共通点は、
イ 文法や解釈の勉強が先行し、後から会話を身に着けたこと。
ロ いい先生に恵まれたこと。
ハ 対象となる言語を話す外国人に対して、非常に批判的であること。
二 日本語の読み書き能力が、十二分にあること。
ホ 学校の普通の課程を普通に終えていて、帰国子女などではないこと。
(わが師、小森陽一先生は、この項目は例外)
ヘ 日本の学校教育の文法などに批判的であること。
です。
この十数人こそ、国益に資する人です。
英語の早期教育を観念的に検討するより先に、本当にできる人がどうやってできるようになったか考えるべきでしょう。
この記事ですが、
教える人が小学校の先生というのは、先生も気の毒ですし、生徒も気の毒な話です。
旧師範学校の流れをくむ小学校の先生は、都道府県に存在する国立大学を出て、その都道府県に就職する傾向があります。
たとえば、新潟大学を出て、新潟県の教員になるなどです。
英語の比率は低いところもあり、しかもセンター試験と、二次の下線部訳みたいな問題です。発音については、sとthの区別が出来なくても、合格します。センター試験にしても、大学によっては、合格のボーダラインが70%を切っているところがあります。しかも、卒業してから時間が経っています。
この記事の「頭を抱えている」英語の先生の中には、事実上英語がほとんどできない人がいるでしょう。
私の経験(現代文、古文、漢文)からすると、実力のない先生は、いい先生に、決してなりえません。
教科内容の20倍くらいの力がないとよく教えられないからです。
100キロの制限速度がある道路を、100キロちょうどしか出せない車で走ったら、危なくて仕方がないのと同じです。
同様のことが、高校の英語教育にも言えます。
都立高校の英語の先生のtoeicの目標点数が、750点だとか。
これでは、うちの娘の高三時のスコアより、100点も低いではありませんか!
(ところが、観察すると、先生方は日々忙しく、英語の勉強どころではありません。個々の先生の責任というより、システムの問題です。)
人材育成システムという最も大切なインフラが整備されていないのに、制度が先行するとは、無茶苦茶な話です。
■「まさか自分が教えるとは…」英語教育で小学校教員に募る不安
(AERA dot. - 04月21日 11:31)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5080530
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