mixiユーザー(id:12410478)

2018年04月11日06:57

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自分でモノを考える動機とは。

世の中には、もっともらしいが、完全に間違っていたり、内容がなかったりする考えがあります。

曰く、
「いじめをなくすために、みんなで話し合おう」
「人が貧乏なのは、社会に貢献していないからだ」
「努力すれば、結果は後からついてくる」
などです。

そういう言葉を聞いて、物足りない何とも言えない寂しさを味わう、その日々の過程が知性を身に付けることでしょう。
飢えと不満が、知性の原動力になると思います。
学生などが、単位をとるためではなく、自分の興味に基づいて勉強する動機も、こうした寂しさがあるからでしょう。

他人と自分が違うという認識も大事でしょうね。
たとえば、知識を身に着ける、学歴などのスペックを上げる…これは、他人には関係ないことです。

東大卒の人と友達になっても、自分が東大卒になれるわけではありません。
当たり前ですが、そこを肌でわからない人には、清談は無理です。
(私は、対話という言葉を使うのに抵抗があります。ヨーロッパ臭くなるからです。)

数学の虚数も、実用化の段階(計算に使われるようになった)まで、数百年かかったと聞きます。
成果が上がるかはともかく、そういう、自分が生きている間に結果が出るとは限らないものを考え続けることこそ、知性だと思います。
現状に対する寂しさは、しばしば、必然的に、自分が生きている時間を超えます
だから、学歴やスペックなどに本質的に回収されません。

このサイトで紹介されている本は、ビジネス書です。
だから、読む気が全く起こりません。
実利と知性は、本質的に相いれないものだからです。
その二つが結合することは、
虚数が、結果的に科学技術の発展に貢献したように、長い時間や、他者の応用力や偶然が必要となるからです。

ところで、
ここ数年の私がはまっている本は、『快庵的傳大中寺禪室内秘書』です。
この本は、室町時代、快庵(『雨月物語』の「青頭巾」のモデル)という僧侶が住職だった上州の大中寺という寺の僧侶の公案に関する問答を記録したものです。
影印本とガリ版刷りのところどころ間違っている翻字のコピーでして、
一ページ読むのに丸一日かかりますから、当分、楽しめそうです。

たとえばですが、

… 一休禅師は、「仏界には入りやすいが、魔界には入りにくい」と言っているが、その訳は、魔界は個人の体質だからだ。それを説明しようと言葉にすると、その言葉は仏界の言葉になってしまう。光が消えたところ(あるがままではなく)さまざまな解釈や思いが交錯するところが、魔界だ。

などという部分に考えさせられるものを感じています。

偏愛や思い込み、恐怖や自足などの個人の感情が苦しみの原因であるとは、古人が説いているところです。

しかし、それが、今は、「創造性の開発」「個性の尊重」「民族性の護持」などの妄想により、実利と短絡しています。
おかげで、戦後の『正法眼蔵』などの注釈書も間違いが目立つようになり、明らかに時代の悪影響の後がうかがえます。

私のような凡俗も、モノを考えようとすると、どうしても時代批判、すなわち、実利に逆行する方向に進まざるを得ません。



デキる人が持っている「知性」の正体とその身に付け方
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=112&from=diary&id=5065258
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