何かに似ていると思ったら、
ブームの時に、ワイングラスを回している人に似ています。
私は人様から見たら、マニアや通といわれておかしくないジャンルや趣味を持っています。ちなみにワインのようなセレブなものでも高尚なものでもありませんが、蘊蓄に拘束されると自由に楽しめなくなるので、「××は、…に限る」というような言葉には、警戒心を抱かずにはいられません。
言葉というと、一つ一つの単語になってしまいます。難しい言葉でいうと、言説(話)に拘束されるのですね。
昔も同じことです。
『大鏡』には、美女で名高い宣耀殿女御の入内のときのエピソードとして、
「内にまゐり給ふとて、御車にたてまつりければ、わが身は乗り給ひけれど、御ぐしのすそは母屋の柱のもとにぞおはしける」
(入内なさると言って、お車にお乗りになると、体は車にお乗りになったが、お髪の端は母屋の柱のもとにおありになった)
とあります。
これは、計算した人がいて、当時の屋敷の間取りを考えると、七メートルだそうです。
平安時代は、海藻を良く食べました。他に干しアワビなど、髪によいと言われるものが食べられましたが、現代では、髪は、普通の人では75cmが限界。本当のところは、大負けに負けても2mでしょう。
ちなみに彼女たちが何をつかって洗髪したかというと、コメの研ぎ汁です。玄米ですから、理に適っていますね。
しかし、虚構でしかない7mが知れ渡ると、少しでも髪を伸ばそうと、狂奔するようになります。
つまり、現実から遊離して、言説はますます記号化するということでしょう。
(言葉は現実を正確に表すものではないが、ますます、現実を離れて独り歩きする)
そのやりとりのなかに、少なくとも、男性は存在しません。
異論があるかもしれませんが、やせていて男性から魅力的だと映る人は、壇蜜さんが限度でしょう。
痩せていなくて魅力的な人は、橋本マナミ、(デビュー当時の)宮崎美子など、履いて捨てるほどいます。
男受けを考えるなら、中肉中背〜グラマー体形になるのが、もっともいいです。
女性の世界に入っていけない。
ぼくが感じたのはそういうことでした。
村上天皇にしても、宣耀殿女御の長すぎる髪をみて、「いとをかしき髪なり」などと思ったかもしれませんが、それは決して彼の趣味嗜好ではないでしょう。現代に生れたら、ボブヘアの女性を魅力的だと思ったかもしれません。
女性同士の批評の世界で出来上がった世評をそのまま受け入れてしまったということでしょう。ワインバーでソムリエが激賞する高いワインを、うまいと思い込むように。
しかし、美的な感覚が自立していて、異性に依存していない
(ついでに言うと、男も同じです。彼女や奥さんにネクタイを選んでもらうなとは、よく言われます)
ことは、男性にとっても女性にとっても、とても健全なことだと思います。
■肥満率最低でも「太っている」=半数以上の女子高生が回答
(時事通信社 - 03月30日 22:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5050368
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