mixiユーザー(id:2223977)

2026年07月24日23:41

35 view

宗教原理の獲得が、差別意識や支配欲を克服する理由

とはいえ
差別意識や
支配欲は
人間の本性で
生得的な本能でもあるので
克服は
生半可では
不可能。

だから
「宗教原理の獲得=宗教体験」
と言っても
レベルの違いがあって
中途半端な宗教体験は
本人は大満足で
「全部判(わか)った」
と自信満々
であっても

結局は
理性が情念の奴隷である
という人間の本性を
保ったままである限り

教祖が
信者を
幸せにすることは
出来ない。

本当の宗教原理は
覚者をして
差別意識と
支配欲を
完全に消し去ってしまう。

そもそも
宗教体験とは
自分自身の奥から
意識的な自分が
「こいつには絶対に勝てない」
と白旗をあげざるを得ないくらいに
「圧倒的な力」
に
思いがけなく遭遇することで
「意識が
 その圧倒的な力を
 意識の主体として
 受け容れる」
体験。

その体験は
当初
何が出てきたのか
全くわからないけれども
「これが神というものなのか」
と実感できる
圧倒的な力。

しかも
その力が
自分自身の内側から
それも
自分が生後に経験的に形成してきた世界
ではない場所から
自然発生的に
湧き上がってくる力(働き)
であるので

「全く反発心が
 湧き上がらずに
 なぜか素直に受け入れられる
 圧倒的な力」
である。

そして
その「力(働き)」が
何であるのか
その力を実際に体験した者でなければ
この力を説明できないので

私は
その力(このものそのもの、或いは「この働きそのもの」)
を
うまく説明している
哲学者を探したところ
最初は
西田幾多郎を
見つけたけれども

西田の説明は
私が宗教体験で遭遇した力(働き)を
説明してくれてはいるものの
その説明方法が
不十分だった。
〔たとえば「非連続の連続」とか
 「一般的限定即個物的限定、個物的限定即一般的限定」
 と言うのみで
 「非連続の連続」はカントに言わせれば単なる形容矛盾で
 説明になっていないし
 「一般的限定即個物的限定、個物的限定即一般的限定」
 では
 「即」の内容が説明されない限り
 単なる独断論でしかない。〕

この
西田幾多郎の説明に欠けていた「論理」の部分を
「なぜならば」ということで
どこまでも詳しく何度も説明しようとする姿勢を貫く哲学者が
後期のシェリングだったわけです。

だからこそ
私は
私の宗教体験の内実を
より詳しく理解するために
シェリングの『啓示の哲学』を
読み続けているわけです。

そころで
そんな中
当初
「このものそのもの(この働きそのもの)」
としか表現できなかった
宗教体験で獲得できる原理が
その後の研究によって
「自分自身に内在している
 自分自身に直系の
 すべての祖先から
 自分が引き継いでいる意志(情報)」
であることが
判ってきた。

それで
この「すべての祖先」という
カントに言わせれば
「すべてを遡ろうとする理性の本性がアンチノミーを引き起こしている」
と指摘されるであろう捉え方
が
差別意識や
支配欲を
克服する力(原理)と
成る。

カントの
「全系列が与えられていると考えることは誤謬推理だ」
という指摘は
受け止めて
だから我々も
宗教体験を持ったからと言っても
我々自身が
すべてを認識出来たわけではない
こと
〔宗教体験の限界〕
を
自覚すべき
なのだが

「すべての祖先を辿る」
という
観点
は
「母方と父方の祖先を辿ってゆけば
 赤の他人であると思える人であっても
 辿れば辿るほど
 共通の祖先を持つ確率が
 高くなってゆく」
という
発想を齎し

ところが逆に
歴史上の事実として
現代よりも
過去の方が
人類の数は少ないのであるから

だれの先祖も
何代か辿れば
そのうち
その当時の
地球上の人類の数に
等しく成るし
地球上の人類の数を越えた
祖先が存在している
という計算になる。

たとえば
祖先の数は
2の n 乗で増えるのだから
10代前の祖先の数は2の10乗だから
1024人だが
20代前の祖先の数は2の20乗で
104万8576人となる。
30代前の祖先の数は2の30乗だから
10億7374万1824人だが
30代前の祖先は
平均25歳で結婚したとして
25×30=750年前だが
今から750年前(1276年)の地球上の人類の数は
3億6000万人〜4億3000万人
と推定されているので

30代も遡れば
全人類の数よりも
多くの祖先がいる可能性ができるけれども
それらが全部別の人であることは
数学的に不可能であることになるので
必ず共通の祖先を持つことになる。

なので
赤の他人であると思える人たちも
祖先を遡れば遡るほど
自分の祖先と共通の祖先を持っていることになる。

その事実を知ると
現在は姿も形も違っているけれども
そして
生まれた環境も
生後に受けた影響も
全く違っているとしても

自分に内在している
遺伝情報に関しては
祖先を辿れば辿るほど
共通する部分が増えてゆくことに
気づくことになる。

もちろん
現在の自分の遺伝情報の中の
生きて働いている情報は
個々人で異なっており
だからこそ
DNA 鑑定で
同一人物であるかどうかを
判定できるので

別人は
どこまでも
別人なのであるけれども
それでも
祖先を辿れば
共通する部分を
必ず見つけることができる
ということを
知ることができる。

そこに至って初めて
差別意識や
支配欲を
克服する可能性が
生まれる。

もちろん
そういう理屈よりも
「生理的に受け付けない」
という感情の方が
優先されることを
避けることは困難であるので

結局は
支配欲や
差別意識で
認識して判断して行為する人が
多いのだけれども

宗教原理の獲得
とは
そもそもが
内在超越者としての
「直系全祖先情報」
であるところの
「直系祖先の総意」
に気づくこと(実感すること)
であるので

この体験を
体験に留めるだけでなく
反省(よくよく考えてみること)に反省を重ねて
十分に
超越論的に
独断論と懐疑論の両極を
避ける訓練ができれば

差別意識と
支配欲を克服した
認識と判断と行為を
選べるようになる

ということです。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年07月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る