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偏差値30台から東京学芸大学を専攻首席で卒業し、東大の大学院で日本画を研究。その後、社会人1年目でギャルになった由女さん(26)。もともと美術の先生を目指していた彼女がギャルに目覚めた意外な理由から、教職をめぐる問題、また日本画の魅力についても聞いた。(全3回)
□● 由女さんインタビュー #1
◆□● “灘中合格判定”の神童女子→中学で偏差値30台に落ちぶれ→東大院卒の“金髪ギャル”に大変身…SNSで話題の高学歴ギャル・由女(26)とは何者か?
◆ 3つの教員免許を持つ由女さん
――今日はよろしくお願いします。卒業証書もご持参いただきましてありがとうございます。
由女さん(以降、由女) 教員免許も持ってきました。教員免許は3枚あって。
――中学校と高校の免許ですね。
由女 そうですね。中学校と高校の美術、高校の工芸の3つの教員免許を持ってます。
――たくさん教員免許を取られたんですね。
由女 東大の大学院に進む前に東京学芸大学に行ってたんですけど、学芸大は先生になるための大学なんで、基本的に教員免許を取らないと卒業できないんです。
と言いつつ結局先生になってないんで、すいませんなんですけど(笑)。――名字で使われている◯という漢字はかなり珍しいものですよね。
由女 うちのファミリーがいなくなったらこの名字は消えるくらい、珍しいそうです。
――「◯ファミリー」はやんごとなき一族なんですか。
由女 いや、和歌山県の中流家庭です(笑)。
◆ 教育熱心な家庭で育った子ども時代
――東大では日本画を研究されていたそうですが、一族が芸術系とか?
由女 地元は和歌山県の橋本市というところなんですけど、橋本市にある高野口町という町は、国会議事堂の椅子張りとか新幹線の椅子で使われているパイル織物の国内随一の生産地でして。
すでに廃業しちゃったんですけど、父親の家ももともとそこで織物屋をやっていたので、ものづくりの家系ではあるかな。
――学芸大の後に東京大学大学院に進まれたということですが、教育熱心なお家だったんですか。
由女 ですね。むちゃくちゃそうでした。
◆ 「母がみっちり教えてくれました」専業主婦の母親に叩き込まれた“勉強方法”
――幼稚園から塾に通ったり?
由女 ありましたね。幼稚園から英語教室に通っていて。両親は大学を出てないんで、子どもの教育を充実させたいという気持ちが強くあったみたいなんですけど、学業で成功体験があるわけじゃないから、右往左往やってたんじゃないかと思います(笑)。
――「右往左往」ということですが、どんな勉強法だったんですか。
由女 母が専業主婦だったので、みっちり教えてくれました。幼稚園の段階でひらがなの読み書きと足し算引き算は、全部母親に叩き込まれましたね。あと、英単語とか、音声で英語を学ぶ「フォニックス」とかもやってました。
私は左利きなんですけど、小学校1、2年の時に右利き矯正をして失敗したんです。失敗した人ってあまり聞いたことないですけど、4歳の時には読み書き計算が全部できるくらい、既にめちゃくちゃ左手で字を書いてたんで、もう矯正できなかったんですね。まあ、それくらい親は熱が入っていたということです(笑)。
――勉強自体は得意だった?
由女 それだけ叩き込まれてたんで、周りに比べたらできましたよね。
小学校に入ってから進研ゼミ小学講座をはじめたんですけど、他の「チャレンジ」家庭に比べて執拗にやらされまして。全部自力で満点取れるまでやり直しさせられるから寝られないし、それで夜中までビービー泣いてると、父親に「黙れ!」って怒鳴られるみたいな。
◆ 小6で灘中合格判定→中学入学後に偏差値30台になったワケ
――ご両親には、我が子を有名大学に行かせたいとか、何か明確な目標があったんですか。
由女 親のモチベは謎ですよねえ。とにかく勉強さえしておけば苦労しないだろうっていう、そういう思いだったんじゃないかな。
あと、私は小さい頃から愛嬌があるタイプではなかったので、「バカとブスは東大に行け」じゃないですけど、それで苦労しないように、親心だったんじゃないかなと思いますね。
かたや妹はランドセルのCMのオーディションとか出させられて、勉強はそんなにやらされてなかったんで、子どもの適性に合わせてたのかなと。
――そのまま順調に成績も上がっていって。
由女 何の自我もなく、大人たちに言われるがままひたすら勉強したら、小学校6年の時点で灘中の合格判定が出るくらいになって(編注:灘中は男子校だが女子も受けられる模試を受験した)、全国模試のランキングに名前が載ることもありました。
親には小3くらいからずっと「県立の中高一貫校に行くのよ」と囁かれ続けていたこともあり、死ぬほど勉強して地元のそこそこ優秀な中高一貫校に入りました。今考えれば死ぬほど勉強するほどの学校じゃなかったと思うんですけど(笑)。
――中学受験の反動で、中高時代は勉強しなくなったりしませんでしたか。
由女 まさにそうですね。そもそも、親が私に勉強を教えられる限界が小5ぐらいにきてしまって。中学受験をした段階で、高度すぎて口出しできなくなったんです。
私自身は何の目的もなくずっとドリルをやってたもんですから、受験に合格して完全に野放しになった中学から何もしなくなり、偏差値は30台まで落ち込みました。
◆ 「美術部に入って絵を描いてみたら…」美術の先生を目指すようになった理由
――社会人1年目でギャルになったそうですが、中高時代はメイクとかファッションには興味がなく?
由女 勉強と運動ができるヤツが一番エラい世界だったこともあり、ヤンキーとかギャルがいるような学校じゃなかったんで、触れ合う機会があんまりなかったですね。ただ、そういう世界に憧れはありました。
――その後は東京学芸大学に入られたということですが、先生になるのが夢だったんですか。
由女 そうですね。当時は美術の先生になろうと思ってました。
――後に日本画を専攻されるわけですが、もともと絵が得意だった?
由女 小学校6年間、母親に言われて習字をやってたんですけど、私は左利きだから苦労してたんです。
で、もうこのまま左利きで書道を続けても伸びしろがないと思ってやめて、中学に入ってから友だちのつながりで美術部に入って絵を描いてみたら、うまかったんです。
――絵の素質があった?
由女 というか、書道と同じ要領だったんです。書道も、平面の座標上のある点からある点に対して線を引いたり、払ったりして形をとるじゃないですか。
それはスケッチとかデッサンの世界でも同じだったし、習字の場合、筆の入る形があるんで右手で書くのが標準仕様になっているけど、絵だと利き手にバリアがない分うまくできたんです。
――当時からそこまで言語化して考えていたんですか。
由女 思いましたね。これって習字と一緒だし、こっちの方が楽で簡単じゃんって。
◆ 「公務員になってほしい」という田舎の家庭の影響で決めた進路
――それで美術の先生という進路が固まっていったと。
由女 中高時代は、美術は5で、それ以外はオール2ぐらいまで落ちぶれてましたけど、田舎の家庭だと「公務員になってほしい」というのがあって。
それに、和歌山県橋本市で生まれ育った自分の世界では、デザイナーとかアニメーターは“絵で食える職業”という認識はなかったんですよね。結局、今はデザイナーやってますけど(笑)。
――学芸大では、美術の勉強をされて?
由女 そうですね。美術の専門的な勉強と、「憲法」、「人権」、あと「教育基本法」といった学校の先生に必要なものを勉強して。
それに、美術と一口に言っても、絵も彫刻もデザインもあるし、歴史もあるっていうので、そういうのを幅広くやりましたね。
◆ 「一番正しいと思った」「そこに正義がある」日本画を専攻した経緯
――その中で日本画を専攻したのはどうしてですか。
由女 これを言うとガンぎまりの人みたいですけど、日本画をやるのが一番正しいと思ったというか、そこに正義があると思ったんです。
――「正義」ですか。
由女 私は、一番きれいにデッサンができるのが日本画家だと思っていて。
各々、いや彫刻だ、洋画だ、とかって言う人はいると思うんですけど、ものの形とか陰影をきれいに取ったり、理論的に絵を作っていけるのが日本画なんです。
日本人だから日本画をやるべきだろ、みたいな思いもありますし、ガチで先生になろうと思ってたんで、人にものを教える立場になるなら日本画が最適だと今でも思ってます。
実際、美術予備校の先生も日本画出身の方が多かったですね。
◆ 意識が高かったゆえになれなかった教師
――日本画を描く人は基礎的な画力が高いということですか。
由女 彫刻は彫刻を作るために必要なデッサンを描きますし、建築は建築を作るために必要なデッサンを描く。でも日本画は、“絵のための絵”みたいな感じなんで、単純に絵がうまいんです。
油絵もありますけど、今そっちはコンセプトアートみたいな世界観になってきてるんで、きれいに絵を描くという時代を脱してて。どっちかというと着眼点であったり、自分の感性で表現やデザインをしていくのが評価される世界なんで、そのもののあり方を形取るという世界ではないんです。
で、私は先生になるんだったら日本画だというのがあったし、日本人だったら日本画をやりたい、という気持ちでしたね。
――そこまで熱い気持ちがあった中で、教師とは別の道に進んだのはなぜですか?
由女 本当に学校の先生になるつもりで入ったんですけど、あまりにも意識が高かったがゆえに、大学2年生のときにバーンアウトしちゃったんです。
□● 由女さんインタビュー #2
◆□● 「優秀な人ほど先生にならない」教師を目指した真面目な女子大生→夢を捨てて“金髪ギャル”に大変身…東大院卒ギャル(26)が大学で気づいた“教育の残酷な真実”
◆ 東京学芸大学に通いながら東大大学院の研究生になったワケ
由女さん(以降、由女) (会議室に貼ってあるカレンダーの絵を見て)あれも日本画ですよ。
――そうなんですか。全然それっぽく見えないです。
由女 村上裕二さんの作品ですね。村上隆さんの弟です。
――全然知りませんでした。
由女 この人は今No.1日本画家であり、日本美術院展の顔みたいな人です。ウルトラマンとかゴジラも描いてるんですけど、まあ、知らんがなって思うじゃないですか(笑)。
「日本画」って、「日本」の名を冠しているにもかかわらず、まったく普及してないんですよ。
――由女さんは東京学芸大学に入ってから日本画を専攻されていたんですよね。
由女 学部2年生から日本画研究室に入ったんですけど、自分なりに突き詰めて考えた時に、「閉じてる」と思ったんですね。4月に入って10月にそう思ったんですけど(笑)、今でもその思いは変わってなくて。
日本画をすばらしいものだとは思っているんだけれど、世間とめちゃくちゃギャップがあるんで、それを埋めたり、良くないところを直したりしたいなと思って、東大大学院の研究生になりました。
◆ 美術の先生を目指していたが、バーンアウトしてしまった
――もともとは美術の先生を目指していた中、早々にバーンアウトしてしまったそうですね。
由女 それもあって東大の研究生になったんですけど、子どものために何ができるのか、どういう先生であるべきなのかとか、学校というのはこういう場所であるべきだとか、「べき」でむちゃくちゃ考えて、考え過ぎて専攻首席で卒業するんですけど(笑)、学部2年生ぐらいで早々にバーンアウトしちゃったんですね。
――理想と現実にギャップがあった?
由女 私みたいな理想に燃えてた人が先生にならないんですよ。成績優秀者ほど先生になっていない現実がありましたね。
◆ 「やる気を出すほど待遇が悪くなる」大学時代に気づいた教育現場の現実
――それは由々しき事態だと思いますが、原因はなんだと思いますか。
由女 能力や労力に見合った給与体系になっていないことが一番ですね。教師の世界は年功序列ですし、残業代も出ない。子どものためにむちゃくちゃ頑張っても給与には絶対反映されないし、土日の休みもない。つまり、仕組み的に、やる気を出すほど待遇が悪くなるんですよ。
でも学芸大は親切で、学部1、2年の時に「何%の人がうつ病になって、何%の人が退職して、何%の人が過労死ラインを超えて残業してます」と、教職の現実を丁寧に教えてくれるわけです。
――そうなると、構造自体を変えたい人も出てきそうですね。
由女 それは実際考えましたね。文科省に行くしかないのかなと思ったけど、結局仕組みを変えるには政治家にならないと意味ないじゃないですか。すると、「何で学芸大出て政治家になるんだ?」みたいになって、ああ、じゃあ、どうしようもねえわって。
なので、優秀な人たちは学校の先生にはならないし、意識の低い人はほんとに低いので民間企業にも受からず、人手不足の教育現場に行ってしまうという。
とはいえ、同期で心がどこまでも清らかな子は学校の先生になりましたけど、そういう人は一握りな気がしますね。
◆ 「ロボットで日本画が描けるようにしたい」東大の大学院に進んだきっかけ
――学芸大と東大の研究生の二足のわらじを経て、東大の大学院に進もうと思ったきっかけは?
由女 学校の先生にならないんだったら民間に就職するかと思ってたんですけど、東大の研究生の時はコロナの時期だったこともあり、思っていたほど日本画の活動ができなかったんですね。
その時ロボット教室でバイトしてたのもあって、研究生の時にロボットで日本画が描けるようにしたいと思ってたんです。
――ロボットに日本画を描かせる発想はどこから思いついたんですか。
由女 ロボット教室で働いていて、日本画を描いてたから(笑)。
――そのハイブリッドで日本画ができるんじゃないかと。
由女 というのもあるし、日本画って細密画がもてはやされる世界線なんですけど、細密画って人間がやることじゃないくらいしんどいんですよ。
――由女さんが描かれていた東京タワーの画も緻密ですごいですよね。
由女 ものすごく手がかかるから、いつも泣きながら描いてて。
草とか森とかを描く人が多いんですけど、とにかく大変なんでロボットに描かせたい気持ちがあり、それを東大で面白がってくれたこともあって、研究生として入ることができたんです。
◆ 「ダブったら寮を追い出されてしまう」東京学芸大学を首席で卒業した理由
――燃え尽きたと言いつつも、学芸大を専攻首席で卒業されたこともすごいですよね。
由女 普通にやってたら首席だったんですけど(笑)。
主には成績を落としちゃいけない理由があって、月4500円のまじボロボロの国公立大学の女子寮に住みながら、学費免除とかの申請を出してたんですよね。
私は和歌山の中流家庭出身なんですけど、世帯年収600万円で4人扶養家族がいたんで、親が仕送りで苦労していることもわかるし、これ以上迷惑をかけたくない気持ちもありました。そもそも東京に行くこと自体、賛成されてなかったんで。
――金銭的な問題で東京の大学に行くことに賛成されなかった?
由女 そうですね。「国公立大で、安い寮で生活するから東京に行かせてくれ」っていう交渉をして。自分の娘が国公立大に行って、しかも公務員になるんだったら許してやるか、みたいな感じですかね。ほんとに渋ってましたけど。
成績優秀者だと学費が全額免除してもらえる上に、国から援助がもらえるんですね。それで国から月2万7000円もらっていたこともあり、ダブったら寮を追い出されてしまう事情もあって、成績をキープする必要があったんです。
◆ 「親は私のことを、次元を超えた存在として見てる」
――東京大学大学院に入ってみて、レベルが違うと感じたことはありますか。
由女 ありましたね。理系の大学院だったので、私自身が理系のバックグラウンドがないこともあり、学芸大の3、4年ぐらいから大学数学を独学で勉強しだしたんですけど、それを使って何かしたことはなくて。
だけど東大の皆さんは、線形代数学とか微積とかを活用した実験だったり、ものづくりみたいな経験がある人たちなんで、次元が違いました。
で、彼らはどんなに無理難題な宿題でも絶対にやってのけてくるんですよ。
――そうなんですか。
由女 インタラクティブアートといって、画面上の操作で何か反応を起こしてアートにするものを作ってこいという宿題があったんですけど、開発経験が乏しいはずなのにそれをクリアしてきて発表してる、みたいな。
そういう環境だったんで、しんどいなと思いながらやってて。でも、卒業しないと親の仕送りも大変だしということで、なんとかやってました。
――たとえばご家族に東大でやっている研究のことを話すと、「?」になったりしませんか。
由女 親は私のことを、次元を超えた存在として見てるんで。
――なりますよね、ちょっと。
由女 全国模試のランキングに名前が載るようになった中学受験の時からそうじゃないかなと思いますけどね。自分たちの手を離れた何かだと思われてる(笑)。
ずっとわけのわからないことをやってるけど、親としては子どもが東大に入ったらもうなんでもいいんじゃないですかね(笑)。
――やっぱり東大へ行った時は喜ばれましたか。
由女 おばあちゃんは入退院を繰り返していたんですけど、孫が東大に入ったと聞いたら病気が一時的に治って。それだけでも東大に入ってよかったなと思います(笑)。
********************************* その2へ続く ***********
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