今から夕飯なので
例のごとく
夕飯後の過ごし防止に
日記枠確保。
今日のタイトル予定は
今日こそ?
「人生振り返りと人生目標」
あるいは
「人生の振り返りと人生設計」
みたいな感じ。
今日も
昨日の雪で
車が出せない状態まで
(雪かきに奮闘したのだが
雪かきの後、朝までに)
積もってしまったので
(ジムニーやシエラやフォレスターなら
大丈夫だろうけれども
それでも出口の高さが足らないかもしれないし
ハスラーでは完全に性能の限界を越えていると思われるので
チャレンジはせず)
車を出す範囲だけ
雪かきしたのだが
人生を振り返って
自分の傾向と対策を練って
無駄のない残りの人生を
設計したいので
上記のタイトルで
書こうというのが
今の気持ちだが
昨日と同じように
食べて寝たら
0時前になっていたり
0時を越えていたりすると
今日したことを
書くかもしれない。
現在時刻は
17時50分。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私の人生の振り返りは
自己紹介みたいなもの。
ただし
主観的な振り返りだから
客観的ではない。
客観的ではないが
主観的に見た
客観的自画像。
第一期(ピアノ期)
1959年5月12日誕生。
ピアノを習いに行く
(3歳か4歳頃。
兵庫県 芦屋市 月若町の金沢ピアノ塾。
いすゞのヒルマンで通ってたと思う。
母にヒルマンで大阪音楽大学(私立)附属児童音楽学園まで
連れて行ってもらって入園試験を受験したが入園せず。
結果が不合格だったからか、私が入園を嫌がったからか判らないが
たぶん不合格だったのだろう。
ただ「成績はトップだった」とか母から聞いたように記憶している。
成績が一番なら合格のはずなのだが。
追記(2022.3.5):
「成績がトップだった」と
母に聞いたのは2009年3月31日で、正確には
「トップの成績で合格したからしばらく(半年ほど)通わせていた」
ということだったらしい。全く記憶から欠落している。なぜだろうか。
大阪音楽大学でピアノを教えてもらった記憶がない。
ただ、ヒルマンでどこだかわからない学校へ連れて行ってもらったこと、
その校舎の近辺、校内の様子、
そこの渡り廊下に白いタイツを履いた小さな女の子が居たこと、
などは覚えている。
それが受験時だったのか、普段の授業の時だったのか判らない。
そもそもピアノの前に座って先生に教えてもらった記憶が無い。
金沢先生に教えてもらった時の記憶は残っているのだが。)
が
父のスパルタ教育が
私に合わず
中途でやめてしまう。
父は
私のピアノの才能を伸ばすのに
失敗した。
けれども
今でもピアノを弾くのは
好き。
第二期
1964年4月〜1966年3月
私立 光の園 幼稚園 入園
私立 光の園 幼稚園 卒園(まつ組)。
1966年4月〜1972年3月
大阪市立 大和田東 小学校 入学(4年生時に近所の日下珠算道場へ通い始める。)
大阪市立 大和田 小学校 卒業。
1972年4月〜1975年3月
大阪市立 淀 中学校入学(中学2年で哲学に目覚める。)
大阪市立 淀 中学校卒業(北野高校合格で珠算道場を辞める)。
第三期
1975年4月〜1978年3月
大阪府立 北野高等学校 入学
大阪府立 北野高等学校 卒業(器械体操部主将:90期)。
第四期(社会活動経験期)
1978年4月〜1979年3月
夕陽丘予備校 特進ゼミコース(前進研)。
(日本民主青年同盟学生(浪人)班加盟。
この活動は
「学生(浪人生)班の任務は学習すること、合格すること」
であったので続いた。
選挙活動や政治活動や同盟への加盟勧誘活動などが免除されていたので
続けることができた。)
1979年〜1984年3月
大阪市立大学 商学部 入学
(予備校時代からの流れで
理学部数学科の友人が先に日本共産党に入党し
勧められて入党するが
ビラ配りばかりしていて
学生の本分である研究活動をしないので
また
選挙時は
縁(えん)もゆかりもない人に
しかもその人たちの意思も無視して
票を投じることを求めたり
選挙以外の時には
入党を求めたり
機関紙(新聞)を購読することを求めたり
要するに
政治活動や営業活動が
私の本来的な性(しょう)に全く合わず
しだいに距離を置くようになり
私は活動に参加しないようになった。
要するに私は
民青同盟や
共産党とは
無関係に
(けれども思想としてはマルクスというか父の影響を受けているので
階級社会の最たるものである資本主義社会が大嫌いなので
大嫌いな資本主義社会の命令には従えない。
けれども
その資本主義社会を共産主義社会へ変えようとする
民青や共産党の活動にも
「性(しょう)が合わない」と言うのだから)
要するに
「自分以外の人の意見に従わされることに拒絶反応を示す」
という必然性を私は持っているのだと思う。
大学卒業後の就職と同じで
入学前の1979年3月に行われた
大阪府知事選での協力活動だけで
神経症を発症し
これが原因で1回生の単位を総(すべ)て落とした。
なので
神経症発症以後
(日本共産党を脱退していないので
脱退の意思表示をしない者を
日本共産党は一方的に離党させることはないと思うので
今でも党籍は残っているかもしれないが)
活動は一切していない。
今はむしろ
マルクスが
(ヘーゲルに依拠していたために)
気づけなかった点を更新した
本当の意味で
(そういう言い方をすると共産党は
「修正主義」とか「日和見主義」と言って
否定するか批判的にしか捉えないと思うが)
マルクスが目指していた
「階級社会の次に来るべき社会」
を提示したいと思っている。
つまり
本当の意味での
「神の国」
「仏の世界」
としての社会を実現するために
何が不足していて
何が必要で
どうすればよいのか
ということを
提示したい
と思っている。
2回生時=1980年から家庭教師を始める。
家庭教師は結婚の年=1995年まで続く。)
大阪市立大学 商学部 商学科 生産管理論専攻 卒業。
この時期は
自動二輪の限定解除に合格した時期でもあった。
バイク遍歴は
(1)SUZUKI RG250E
(2)YAMAHA GX400
(3)SUZUKI GSX750E
両親に乗せてもらった車の遍歴は
(1)いすゞヒルマン
(2)スズキ・フロンテ360(2代目)
(3)スズキ・フロンテ360(4代目)
車の免許は
ナナハンの免許(自動二輪限定解除)に合格してから
取得した。
車の免許を取得してからの遍歴は
(1)スバル 360
(2)日産グロリア 200E SGL
(3)トヨタ・クラウン Royal Saloon2.8
(4)Deimlar・Benz 230E(W123)
(5)BMW 320i(E30)これは妻が購入。
(6)スズキ Jimny Wild Wind(2代目4期)これは母が購入者。
(7)スバル Forester S/tb(初代)これも購入者は妻。
(8)ダイハツ Mira Gino ミニライト・スペシャル(NA)妻購入。
(9)ダイハツ Mira Gino ミニライト・スペシャル(ターボ)妻購入。
(10)スズキ・ハスラー J スタイル四駆ターボ
(ようやく私が購入。
とはいえ母の遺産である京都の家と土地を売却したお金を充当。)
そうだ。
同じことを
学位(博士号)の取得でも
やればいい。
つまり
好きなナナハンの免許が取得できてから
必要で義務的な車の免許を取ったのだから
学位も
好きな哲学の書物を書き終えてから
学位の申請をすればいい。
単著が先で
学位は後だ。
そもそも
論文博士は
その順序だ。
課程博士を目指すから
単著が後になってしまうのだ。
論文博士は
まず単著。
単著を審査に出して
合格と認定されれば
学位が授与される。
研究したいことを
研究したいままに研究し
書きたいことを
書きたいままに書いて
発表したいことを
発表したいままに発表し
(つまり
出版という形式であれ
配信という形式であれ
私が死んでも
半永久的に残って
誰もが自由に読むことができる形式で)
気が済んでから
じっくりと
学位の取得に
取り組めばいい。
もう
人から
指図を受けることから
一生解放されたい。
自分自身の納得の出来ないことを
何もしたくない。
それが「生活のため」であろうと。
私の哲学は
私にとって
「生活以上(の価値や意義を持つという確信は揺るがないの)」
だからだ。
第五期(就職期)
1984年4月〜1984年6月
依田ゼミナール 千里丘教室 常勤講師。
第六期(開眼期)
1984年7月〜1992年3月
塾講師を辞めてからの
家庭教師時代の方が
大阪市立大学学生時代よりも
本格的だったかもしれない。
家庭教師の生徒を通じて
ファミコンや98や基盤などのゲーム(全ジャンル)
ギター(Gibson Les Paul Custom:アンプやエフェクタ)や
シンセサイザー(Roland D-50)から
再びピアノ(MIDI、DTM)を今度は自分で習いに行ったりした。
ピアノは
幼稚園時代に買ってもらったのか
中古で誰かから譲ってもらったのか
とにかくヤマハのアップライトピアノが
元々大阪の家には平屋時代からあったのだが
コンピュータ・ミュージックに興味を持って
MIDI ピアノ(自動演奏アップライトピアノ:ヤマハ)を
5年ローン(60回払い。1回2万1,700 円 ずつくらい)で買った。
第七期(関大大学院期)
1992年4月〜1994年3月
関西大学大学院 文学研究科 哲学専攻 倫理学及び宗教学専修 修士課程 入学
関西大学大学院 文学研究科 哲学専攻 倫理学及び宗教学専修 修士課程 卒業。
修士論文「哲学的に悟るということ 及び 哲学的悟りの方法」
第八期(結婚・京大受験期)
1994年4月〜2002年3月
第九期(京大〜京大大学院期)
2002年4月〜2021年3月
京都大学 教育学部 合格、入学(2002年3月、4月)
京都に家を新築してもらい住む(2005年11月)
京都大学 教育学部 中途退学(2009年3月)
京都大学大学院 教育学研究科 修士課程(研究者養成コース)
合格、入学(2009年4月)
京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程 進学(2012年4月)
京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程 研究指導認定 退学(2021年3月)
第十期(高天原の文化財級古民家で隠逸者として哲学創造期)
2021年1月23日(蒜山高原の古民家見学:1回目=単独)
2021年2月08日(蒜山高原の古民家見学:2回目=夫婦)
2021年2月22日(母の3回忌と仏壇の閉眼供養)
2021年2月23日(お墓の使用権名義を父から私へ変更)
2021年2月24日(お墓の霊標へ母の戒名彫刻を石匠に依頼)
2021年2月28日(スズキの軽自動車「ハスラー四駆ターボ」発注)
2021年3月12日(京都の自宅売却)
2021年3月16日(蒜山高原の古民家購入)
2021年3月26日(母の戒名を霊標へ彫刻完了)
2021年4月5日(母の納骨法要)
2021年5月18日(鈴木の軽自動車「ハスラー四駆ターボ」納車)
2021年5月19日(真庭市役所へ「空き家定住促進補助金制度」申請→即日認可)
2021年5月20日(蒜山高原の古民家再生開始)
2021年7月14日(蒜山高原の古民家へ引っ越し=フランス革命記念日)
2021年8月22日(蒜山高原の古民家再生第一期工事(生活空間)完了)
2021年9月26日(蒜山高原の古民家再生第三期工事(研究室)完了
工事関係者の違いにより第三期が早期に完了)
2021年10月15日(蒜山高原の古民家再生第二期工事(美容室)完了)
2021年11月19日(開眼供養。父の27回忌、母の3回忌も兼ねる)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
まとめ。
第一期 学習期
第二期 開眼期
第三期 表現期
学習期は
開眼前(前期)
と
開眼後(後期)
に
分けられる。
前期の学習期は
国家の教育方針内。
後期の学習期は
悟りの内容を正しく伝えるための
学術技法の修得期。
そして
(3)表現期
こそ
今だ。
そして私の「傾向(必然性)」は
「あらゆる強制と洗脳から自由に研究し表現し残すこと」
であり
そのための「対策(実現の方法)」は
「高天原(桃源)の古民家で
隠逸者(Abgeschiedenheit(隔絶して(人里離れて)いること;
世間から遠ざかった生活、隠棲=いんせい)=隠身=かくりみ)
として、手作りの哲学的宗教書を残し続けること」
だ。
「出版社からの出版」
となると
「出版社の経済観念(経営方針)の限界内」
に閉じ込められる。
「手作り」
であれば
(手作りの限界はあるし欠陥もあるが)
「資本主義の悪習から自由」
なので
純粋に自分自身の哲学的宗教を表現できる。
西田幾多郎や
シェリングや
ホワイトヘッドのように
「大学教授」として
「哲学書」を
「出版社から出版する」
のではなく
三浦梅園や
安藤昌益のように
その時代に評価されなくても
その後の時代の人の役に立てる書物を
残したい。
現世では
私の思想を理解しうる人間にのみ
配ることができれば
とも思う。
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最終更新
令和4(2022)年2月22日 4時22分
令和4(2022)年2月23日 7時52分
令和4(2022)年3月 5日 5時01分
令和4(2022)年5月22日 22時12分
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