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2022年02月13日07:27

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哲学する(philosophieren)仙境として住む蒜山高原の古民家

(トップの写真の左奥は大山(だいせん)。
                 右側は蒜山(ひるぜん。「ひるせん」とも。)

私が
古名(旧国・地名)で
美作國 大庭郡 八束村 大字 下福田 字 上井川
に
いつから建っているのか不明の
(生きてる人は皆「生まれた時から在った」と言う)
古民家で
(登記上、昭和24(1949)年には建っていたことが判るので
 少なくとも73年以上前に建てられた、元茅葺の古民家であることは確か。)

まるで呼ばれたかのように
住むことになった

その意味を
考えている。

フォト

今得た結論は

私の天命である
「自由に哲学すること」
を完遂するための

仙境(せんきょう:俗界を離れた清らかな所)
或いは
桃源郷(とうげんきょう:俗世間を離れた別天地、理想郷)
または
Shangri-La
(シャングリラ:
 人里離れた隠れた場所、
 地上の楽園=the earthly paradise、
 どこか名前のわからない(言えない)場所)
としての
高天原(たかまがはら=蒜山高原)に
永遠的に存在している古民家に
住む(=澄む)
(「住む」と「澄む」の「掛け言葉」は鴨長明の
 「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も 流れを 尋ねてぞ すむ」より。)
ということ。

もともと私が
(東大後期模試で全国一位だったこともあるが)
東大ではなく京大を選んだのは

京大が
「純粋に学術を研究するための最適な場所」
として京都を選んで制定された
日本で二番目の帝国大学だった
からだ。

そしてその恩恵は
京大に入学した
2002年4月1日から
京大を研究指導認定退学した
2021年3月31日までの
延べ19年間で
十二分に
得ることができた。

そして今私は
妻の健康保持のため
神話の国へ導かれたのだが

これもまた
私の本心が
無意識のうちに
私をして
地上の楽園を
選ばせ

そこで自由に哲学することの
現実的条件を整えさせたのかもしれない。

現実的実際的な
見かけ状の条件としては
京大の図書館が使えなくなった
ということは

実質的には
研究者としての生命を
絶たれたに等しい。

けれども
そうすることなく
(京大の図書館利用権を放棄することなく)
仙境に住むことは
叶わない。

首都であり政治の中心地である東京に位置する東大では
好むと好まざるとにかかわらず
国家権力や政治家の影響を受けざるを得ない。

それを避けた京大でも
学界と学会の影響下にあり
そこから距離を取ることができない。

完全性を意味する波羅蜜は
到彼岸であり度であり
いわば
煩悩を克服するための方法である。

悟りも啓示も
本来は
煩悩の克服だ。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識(知情意)=眼・耳・鼻・舌・身・意
を
遮断することはできない
が
コントロール(制御)することは可能だ。

コントロールの主体を
仏(あるいは縁起)とするか
神(唯一神)とするかで
帰結としての
意識(悟りか啓示か)も
変わってくる。

仏教の修行法を採(と)るか
キリスト教の修行法を採るか
あるいは
医学的療法としての自律性療法(心身医学)を採るか
で
結果(帰結)としての
宗教意識(「完成態としての境涯(円現=エンテレケイア=完全現実態」)
も
変わってくる。

「隠逸」
もしくは
「隠身(かくりみ)」
を
地で行く。

言うは易(やす)し
行うは難(がた)し
を
行う。

そのためには
これまでに蓄積した
哲学創造のための
書籍を資料を
十分に活用できるように
図書館(の書物)や
医師(のカルテ)の
ように

いつでも特定して取り出せるように
整理整頓されていなければならない
(知的生産の技術)。

これを実現するために
すべての労力を用いる。

私は仕事(労働)はしない。

仕事や労働は
「主人に服従すること」だから。

私の主人は
「私自身(自己)」であり

「私自身(自己)」とは
私の「内在超越者(直系全祖先情報=直系祖先の総意)」のこと
である。

私の「内在超越者」の「主人」は
我々の「外在超越者(全存在と全非存在の主)」としての「神」である。

この「神」は
「神々の神(神の中の神)」であり

日本の神道(『古事記』)で言えば
天之御中主神(あめ の み なかぬし の かみ、あま の み なかぬし の かみ)
であり

真言宗で言えば
大日如来だが

真言宗の大日如来は
(大悲←空海が呼称)胎蔵生曼荼羅における大日如来
と
金剛界曼荼羅における大日如来
の
二種類がある
(天之御中主神における
 男性を象徴する「高御産巣日神(たか み むすび の かみ)」
 と
 女性を象徴する「神産巣日神(かみ むすひ の かみ、かむ むすび の かみ)」
 のように)
ので
(それらを統一する概念(実在)としての「大日如来」だろうが)
「唯一神」とは
言い難い。

ともかく
「多神を認め、多神を含む唯一神」
のほうが
「多神を認めず、多神を排除する唯一神」
よりも
許容力があり
包容力があり
統率力があり
愛があり
徳がある。

そういう
「人格」を感じさせず
ただただ「強い」神を
「魔王(悪魔の主=Satan=the Prince of Darkness)」
と言うのだろう。

そういう
「人格も徳も無い
 端的な強さ」
に
憧れる気持ちは
しかし
「煩悩」の一つである
「征服欲」
だ。

「悪行」
や
「悪魔」
は
「権力欲」や
「征服欲」が
生み出した
「歪んだ心」
であり
「破滅の運命(地獄)」
の中にいる(を棲家とする)
存在である。

悪魔(悪神=サタン)は
克服不能な存在なのかもしれない
が
サタンが居るからこそ
善神の存在意義も深まる。

サタンが居なければ
善神が善神であることさえ
気づかれ得ないの
だから。

フォト

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最終更新
令和4(2022)年2月13日  9時35分
令和4(2022)年2月14日 12時59分
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