大阪市立大学に入学した1979年4月1日から
京大に合格して入学する直前の2002年3月31日までの
「学習ノート」→「自由ノート」→「Free Note」→・・・・
と続く444冊を
和室「中の間」の「カルテ棚」左側へ
寝室西側の「Fits Case 部屋」の本棚から
移動するついでに
せっかくなので
ノートの表紙のタイトルと
名前表記の変遷(ローマ字(英語)表記や筆名、日本語簡易表記など)を
確認している。
きのうの日記の
続きを
ここに残しておく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
しかし(前日の日記の続き)
249冊目(表記は No.249:1985年9月26日〜1985年10月3日)で再び筆名
「霞 大自然」が復活し、
251冊目(1985年10月11日)まで続き
252冊目(1985年10月23日〜1985年10月27日)と
253冊目(1985年10月29日〜1985年11月8日)では
筆名は消え「Free Note」と「Satoru = Hamada」と
「No. 253」と「since1979.4.1.」表記のみとなるが
254冊目(1985年11月11日〜1985年11月12日)から
261冊目(1986年2月5日〜1986年2月13日)まで再び
「霞 大自然」と
「Satoru = Hamada(256冊目までローマ字体、261冊目まで筆記体)」の
併記となり
262冊目(1986年2月17日〜1986年3月30日)で
ペンネームの表記が消え
しかし
263冊目(1986年4月8日〜1986年8月25日)で
「霞 大自然」と
「Satoru = Hamada(ローマ字体)」との併記が復活し
これを最後に
264冊目(1986年11月27日頃)以降
「霞 大自然」という筆名が使われることがなくなった。
264冊目の名前表記は「浜田 覚」であるが
265冊目(1987年8月26日頃〜1987年9月14日)では
「Satoru Hamada(ローマ字体)」表記である。
(265冊目に「生熊」の文字が見えるので
生熊(いくま)耕治(こうじ)君
(後のロック&ポップスバンド
cune のギタリスト。
現在は
BlUEVINE のギタリスト/ボーカル。)
の家庭教師を始めた頃だったのかもしれない。
生熊君は1974年10月16日生まれだから
1987年8月〜9月頃は12歳で1ヶ月後に13歳に成る頃だから
この時期、生熊君は中学1年生で、
私の父、濱田耕助(1928〜1996年)の
知り合いの看護師を母に持つ生熊君に
私が家庭教師を依頼された頃かもしれない。
ちなみに生熊君の母に聞いたところによると
生熊君の名前(耕治)の「耕」は
私の父を尊敬する
生熊君の母が
父の名前(耕助)の「耕」と同じ字を使ったそうだ。)
それ以後は
272冊目(1988年12月5日〜1989年1月6日)まで
本名の英語表記「Satoru = Hamada(ローマ字表記または筆記体表記)」
のみでペンネームは使っていないが
268冊目と
270冊目が
なぜか2冊づつ存在している。
なので
全444冊だと思っていた
「京大への道ノート」は
少なくとも現時点で2冊増えて
全446冊だったということになる。
そして
273冊目(1989年1月6日頃〜1989年1月17日)で
また突然ペンネーム
「霞 大自然」が復活する。
(名前表記は「Satoru - Hamada(ローマ字体)」。)
それ以降は
筆名「霞 大自然」は現れないように思われる。
で
274冊目(1989年1月17日〜1989年1月19日)から
284冊目(1989年4月21日〜1989年4月25日)までは
ペンネームも
ノートのタイトルも無く
ただ名前表記と
(ほとんどが「Satoru = Hamada(ローマ字体)」表記。
278、279、282、283冊目のみ「浜田 覚」表記。)
「No.(冊目)」表記と
「since 1979.4.1.」表記のみ。
(278冊目は「1979.4.1.以来」表記で
No. 279は「1979.4.1.より279冊目」表記。)
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最終更新
令和4(2022)年2月2日 21時13分
令和4(2022)年2月3日 20時40分
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