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2021年06月13日09:22

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自立の内容(起業計画)を考える

私にとって
「商品」
は
これまで62年1ヶ月間(1959.5.12〜2021.6.13)生きてきて
獲得した(生まれた時から持っている遺伝を含めて)
「知的(「知的」に限らず内在している総(すべ)ての)財産」
だ。

学校教育の中では
次のような学校で
次のような先生に
習った(教わった)。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

1962年?頃〜1966年頃
金沢ピアノ塾(兵庫県 芦屋市 月若町)
金沢 孝次郎(1898〜1969年) 先生(大阪で金沢ピアノ塾主催)の
息子さん(益孝(1924〜1995年)さんか和孝(1927or1926〜2014年)さん)
(追記(令和4=2022年3月5日):
 益孝さんは、大阪の金澤孝次郎さん主催の金沢ピアノ塾の経営を引き継がれたようで、
 また、二男の和孝さんの住所が兵庫県芦屋市月若町の隣町の松ノ内町であることが
 2000年版の電話帳(2000年版『住所でポン』)から知ることができるので、
 おそらく私が習っていたのは二男の金澤 和孝さんの奥様。
  奥様の名前は「ようこ」さんではなかったかと薄っすらとした記憶の中で思うが
 はっきりとしたことは判らない。しかし、金澤和孝先生に習った人は
 たくさんいらっしゃるし、ほとんどがピアノの先生として現役なので
 (たとえば辻本三千代さんとか)そういう人に尋ねる機会があれば聞いてみれば
 教えてくれるかも。というか、娘さんの佳代子さんに聞けば一番早いだろうが、
 佳代子さんとて、友人関係であるわけではないので、気軽には聞けない。)
が芦屋市 月若町で
奥様とピアノ教室を開いていて
その奥様に習っていた。

フォト

ピアニストの
金沢 佳代子さんは
そのご夫婦の娘さん。
(娘さんも私と同時期に習っていた。)

フォト
 (金沢佳代子さんは最前列左から3番目。昭和40(1965)年5月5日撮影。
  私は2列目一番左。金沢孝次郎先生と思われる人が私の左肩に左手を置いている。
  追記(2022.3.5):
  私の左肩に左手を添えてくれている人が、金沢孝次郎先生であることは
  さきほどの URL の写真からも推測することができる。)

1964年頃?(半年間ほど)
大阪音楽大学 附属 音楽学園 音楽基礎教育講座
(2009年3月31日の母の話によると
 「大阪音楽大学(附属の音楽学園の)幼児教育学科に
  トップの成績で受かったからしばらく通わせていた
」
 ということらしい。

 上の集合写真の最後列左から3番目は
 合田 延子 先生で
 合田 先生には後に
 YAMAHA の MIDI(自動演奏)Piano を
 Roland D50 と同じ頃に買った時に
 再び自主的にピアノを習い始めた時の先生だが

 その合田先生は
 このサイトによると
 「大阪音楽大学 同窓生代表」
 ということなので
 大阪音楽大学 卒業生だったのだ。)

1963年頃〜1967年頃?
父(濱田 耕助)によるピアの教育。
学校(小学校)へ行く前に「レッスン」と称して
スパルタ教育を施された。
この体験により
スパルタ教育に対して否定的になる。
なぜなら
この教育のせいで
好きなピアノを辞めることになり
今(2021年6月13日現在)でも後悔しているからだ。

1963年4月〜1965年3月
宗教法人 光の園幼稚園(亀井 京子先生、坂本 時子先生)

1965年4月〜1971年3月
大阪市立 大和田(東)小学校
(1年:山中先生、2年:森田 昭子先生、
 3〜4年:柚木 弘子先生、5〜6年:白神 義弘先生)

1969年〜1975年
小学四年生の頃に「そろばん塾に行く」
と自分で言って通っていた(塾長:日下(くさか)先生)。
珠算検定は2級まで受かっていた。

今考えれば
暗算をもっと練習しておけば良かったと
悔やんでいる。

北野高校に受かったので
勉学に集中するために
そろばん塾は辞めた。

1971年4月〜1975年3月
大阪市立 淀 中学校
(1年:澄川先生、2年:大場 慶子先生、3年:永山 雄司先生)

1975年4月〜1979年3月
大阪府立 北野 高等学校
(1年:植村先生、2年:白石 亮三先生、3年:柏尾 洋介先生)

1978年4月〜1979年3月
夕陽ケ丘予備校(全進研 特進ゼミ)

1979年4月〜1985年3月
大阪市立大学 商学部 商学科(生産管理論専攻)橘 博教授

1992年4月〜1994年3月
関西大学大学院 文学研究科 哲学専攻(倫理学及宗教学専修)修士課程
(鯵坂 真 教授、川�� 幸夫 教授、丹治 昭義 教授、井上 克人 助教授。
 川�� 幸夫 教授は京大大学院出身でエックハルトなど中世神秘家の専門家だが
 京大に入ってから
 相国寺の林光院で、久松信一を中心とした宗教哲学の講義をしてくださった。
 それは久松信一が戦中から京大の宗教学や仏教学の院生を相手に講義した
 「京都大学 学道道場」の後継の FAS 協会でのことだった。)

2002年4月〜2009年3月
京都大学 教育学部 教育科学科(現代教育基礎学系)矢野智司教授、鈴木晶子助教授

2009年4月〜2012年3月
京都大学大学院 教育学研究科 教育科学専攻 教育学講座(教育哲学)修士課程
(山名 淳 准教授、鈴木 晶子 教授)

2012年4月〜2021年3月31日
京都大学大学院 教育学研究科 教育科学専攻 教育学講座(教育哲学)博士後期課程
(山名 淳 准教授、鈴木 晶子 教授、西平 直 教授、廣瀬 悠三 准教授)

京大での19年間で
(関大大学院を出てから京大に受かるまでの間(花岡先生)も含めると)
お世話になった先生(教授)は

花岡 永子 先生(大阪府立大学名誉教授)
(花岡先生は、今(2021.6.13)でも応援してくださっている。)
山本 誠作(せいさく)先生(京都大学名誉教授)
小川 侃(ただし)先生(京都大学名著教授)
日下部 吉信 先生(立命館大学名誉教授)
淺沼 光樹(こうき)先生(京都大学文学部非常勤講師)
小坂 国継(くにつぐ)先生(早稲田大学名誉教授)
(小坂先生は東京の西田哲学研究会を主催して居られて、何度か参加した。
 現在(2021.6.13)西田哲学研究会(東京)は小坂先生の都合で休会中。)
田中 裕(ゆたか)先生(上智大学名誉教授)
美濃部 仁(ひとし)先生(明治大学教授:日本フィヒテ協会会長)
岡田 勝明(かつあき)先生(姫路獨協大学教授:日本フィヒテ協会元会長)
鶴岡 賀雄(よしお)先生(東京大学名誉教授)

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

学校教育で
与えられた教育
だけでなく

家庭教育環境で
(父母や祖父母を中心に、父母の親戚の方々によって)
育(はぐく)まれた
内実

と

もともと生まれつき持っている
内在超越(内在している可能性の総て)

が
私の「商品」
だ。

資本主義社会で
生活してゆくには

私に内在している「財産」を
「商品」として
「販売」することなく
「生活の糧」としての「金銭」を
獲得することは出来ない。

これまでのように
父母や祖父母や
妻や
妹に
金銭的に援助してもらっていては

蒜山高原では
生活してゆけない。

京都では
妻の美容室だけで
16年間
なんとかやってこれた
けれども

美容室が飽和状態の
蒜山高原では

私が生活の資金を獲得すること
無くして
生活を継続できるという見通しが
立たない。

妹の旦那様の指摘通り
(あるいは仲介不動産屋さんの言う通り)
古民家のリフォームには
(新築1軒分相当の)
改修費がかかってくる。

その改修費を捻出する為にも
私が「自立すること」が
「絶対条件」として
現成している。

けれども
これまで62年間学んできた
その「成果」としての
私の「哲学」からしても

この資本主義社会のシステムに
「迎合」するような
「マーケティング」で
「儲けよう」とは
思わない。

「資本主義社会」では
「金がなければ生きてゆけない」
という「事実」
と
「資本主義社会」を
「未熟な社会」として
否定する「哲学」を持つ
私の「判断」
が
闘っている。

妻は
いわゆる「美容業」
とは異なる
「自分スタイル」を貫いて
これまでの美容室
岡山市内での「美容室アドゥア」8年間
(平成元(1989)年〜平成8(1996)年)
大阪市内での「美容室 葵(あおい)」8年間
(平成9(1997)年〜平成17(2005)年)
京都市内での「美容室 やまぼうし」16年間
(平成17(2005)年〜令和3(2021)年)
を成功させている。

私もまた
妻のように
いわゆる「美容業」のスタイルに
流されずに
「自分の器(うつわ)(の範圍)内(ない)で」
あるいは
「自分がやりたいように(自分スタイルで)」
(とはいえ自己中・自分勝手では
 営業そのものが成り立たなくなるのは目に見えているので
 「経営」の成り立つ「最低条件」は押(おさ)えるようにして)
「納得のゆくスタイル」の
「自立」を
目指したい。

そのために
いわゆる「哲学」
いわるち「宗教」
の
「間違い」
あるいは
「思い違い」
を
伝えて

私が(最も広く深いと)思うところの「哲学」
私が(最も広く高いと)思うところの「宗教」
を
伝えてゆきたい。

伝えることが
目的
喜んでもらうことが
目的。

伝わらなければ
失敗。

喜んでもらえなければ
失敗。

お金が得られても。

逆に
喜んでもらえている
ということが
収入に繋がり

伝わっているということが
収入に繋がるような

システムを
構築したい。

そのために
様々な
補助制度や
支援制度
(真庭市の「空き家活用定住促進支援金」制度
 岡山県の「地域課題解決型起業支援金」制度
 日本国(経済産業省:中小企業庁)の「事業再構築補助金」制度
 真庭商工会の「まにわ創業塾」制度など)
を
活用したり
利用して

自分自身の
自立に
役立てたい。

その場合
補助金制度を
利用することが
自分にとって
マイナスになるリスクも考慮して
慎重に対処したい。
(「空き家活用定住促進補助金交付」制度には
 申請し(2021年5月19日)即日交付決定したが)

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

そもそも
私が元来
「宿願」として
持っている願いは

「哲学的宗教(自分自身の考え)を
 自由に研究し
 自由に執筆し
 自由に出版し続けること」

なのだから

「それ」を
「商品」として
「主体的に
 独立して
 生み出し続けること(=個人事業)」
を
行えば良い。
(それが「個人事業主」たる条件。
 つまり
 1.自分の計算で
 2.独立して
 3.継続的に(つぶれないで)
 4.事業をする者。)

どんなに儲かっても
一時的でつぶれてしまえば
元の木阿弥。

どんなに小さな売り上げでも
続くことなら
生きてゆける。

生き残るためには
自分が納得のゆくことを
納得のゆく形で
続けることだと思う。

そもそも
私は
楽しくなければ
生き甲斐が無い
と思っている。

生きていけても
やりたくないことを
やっていては
何のために生きているのか
本末転倒の気がする。

哲学のことを
人がどう思おうと
宗教のことを
他人がどう捉えようと
そんなことは
どうでもよい。

自分は哲学が好きなんだし
自分は宗教が判るんだから
自分が伝えたいことを
伝えることを
これからも続けてゆきたいと
本気で思えるのであれば
それをやれば良い。

嫌いなことは
どんなに収益率が良くても
続かないから
意味が無い。

元来好きなことで
生活することを
考え続けるべきだ。

自分に合った生き方を
選択すべきだ。

「蒜山高原」は
自分で選んだ
「自然環境」だ。

「蒜山高原の古民家」も
自分で選んだ
「住み家(すみか)」だ。

自分で選んだ
「環境」で
自分で選んだ
「生き方」を
するのだ。

自分で選んだ
「生き方」
とは
「自由に研究し
 自由に執筆し
 自由に出版(表現)し
 自由に販売し
 自由に消費すること」
だ。


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最終更新
令和3(2021)年6月13日 15時58分
令和4(2022)年3月 5日  4時26分 
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