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2021年01月15日10:02

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『ただ人としての生を』第3話

『ただ人としての生を』第3話

 週末の土曜日、カノンはラダマンティスとの約束通り、彼と一緒に映画を見に行った。アメリカ製のアクション映画は演出がド派手で、ストーリーもシンプルで、二人ともあまり頭を使わないで楽しむことができた。
「まーまー、面白かったな」
 映画を見た後にファストフード店でハンバーガーを食べながらカノンがラダマティスに言う。
「そうだな。お前が楽しんでくれたのなら、良かった」
 ラダマンティスはあくまで生真面目に答えた。
 カノンはコーラのカップに刺さったストローをずぼずぼと抜いたり出したりしながら、ぼそっと話し始めた。
「…なんか最近、変な夢を見るんだよな」
「夢?」
 カノンが語り始めた。
「なんか…おれとお前が戦っているんだ。二人とも西洋の甲冑みたいなのを着ててさ…。おれは黄金の鎧を着て、お前は真っ黒な鎧を着てて…。それで何だか真っ暗な世界で二人で戦ってて…」
「………」
 カノンの話をラダマンティスは黙って聞いていた。
「そういう同じ夢を繰り返し見るんだよ。何でかな?前に見た映画の影響とか…?」
 う〜ん、とカノンは悩み始めた。
「まあ、深く考えるな、カノン」
「そーだなぁ。どうせ夢だし」
 そう言ってカノンはコーラを飲むのだった。
 ラダマンティスと別れたカノンがアケローオスのマンションに帰宅してみると、一人の客がリビングのソファに座っていた。
「よぉ、カノン、元気そうで何よりだ」
 瑠璃色の短い巻き毛をした若い男が、帰宅したカノンに手を上げて挨拶した。たくましい体つきの肉体に清潔そうな白いワイシャツとライトブラウンのジャケットを身に着け、下にはジーンズを履いていた。
「…誰?」
「あー…覚えてないか…」
 男は自分の巻き毛を掻いた。
「おれの弟だよ。アルペイオスというんだ」
 男の向かいのソファに座るアケローオスが来客の素性を説明する。
「へ〜。弟なんて、いたんだ」
 カノンが興味無さそうに言いながら、玄関で室内履きに履き替えた。そういえば顔立ちや体つきが何となく似ている、と向き合う二人に感じた。珍しい髪の色だが、兄のアケローオスと同じく染めているのかなぁと漠然と思う。室内を見渡して、カノンはサガの不在に気づいた。
「サガは?」
「買い足して欲しいものがあったんでな。買い物に出てもらってる」
「ふ〜ん…。で、弟さんが何の用?」
 カノンの問いにアルペイオスが答えた。
「いや、おおあに…じゃなくて、大兄さんがどうしてるか心配で、様子を見に来たんだ。侍女…じゃなくて家政婦の一人もつけずに、お前らと共同生活とか…不安要素しかないからさぁ」
 兄を案じる弟に、アケローオスはコーヒーを飲みながら答えた。
「まあ、見ての通り、何とかやれてるよ。料理をするのもだいぶ慣れた。最近はレトルトも豊富だし、家電も優秀だしな」
 アルペイオスは心配そうに兄に視線を向けた。
「やれてるならいいんですけど…。サガとカノンは家事を手伝わないんですか?」
 弟の問いにアケローオスが答える。
「トイレ掃除とか洗濯物をたたんだりするのは手伝ってくれるぞ。ただ料理はな…カノンはまだ大雑把ながらやれるが、サガはだめだ、ありゃ」
 と、ため息交じりにアケローオスが説明する。
「ひどいもんだぞ。ジャガイモの皮をむかせてみたら指先を切り傷だらけにするわ、レシピ本に『五ミリ角に』とあったら定規を持ってきて測り出すわ、かと思えばシチューを煮過ぎて鍋を焦げ付かせるわ…。料理センスが壊滅してる」
「あー…そりゃ…悲惨ですね…」
 しみじみとアルペイオスが感想を漏らした。
「そう。だからおれがやるしかないんだよ。まあ、何事も経験だ。…あ?」
 そこでアケローオスは視線を上にそらして、ソファから立ち上がった。
「ちょっと鍋の火加減を見てくるわ」
 そう言って彼はキッチンのほうに向かい、リビングから姿を消した。
「カノン、大兄さんにあまり迷惑をかけるんじゃないぞ」
 アルペイオスはカノンに説教を始めた。だがカノンは彼の言葉を右から左に聞き流して、アルペイオスの顔をじーっと見ていた。
「…ん?おれの顔に何かついてるか?」
「う〜ん?いや、アケローオスもいい男だな〜と思ってたけど、あんたも男前だなーって…」
 まじまじと来客の顔をカノンが見つめる。
「当然だ」
 カノンに美男子だと褒められたアルペイオスは、さも当たり前だと言わんばかりに胸を張った。
「うーん…」
 そこでカノンはにやっと唇の端を歪めた。そしてアルペイオスに手を伸ばし、彼を一気にソファの上に押し倒した。
「え?え?え?」
 ソファに横になったアルペイオスが、あっけにとられた顔でカノンを見上げる。
「よし、おれとやろう!」
「え?」
 カノンが勢いよく言った誘いに、アルペイオスは反応が遅れた。
「あんたは寝てるだけでいいから。黙っててくれたら、あとはおれがやる」
「え?」
「何事も経験、経験♪」
「………」
 状況が飲み込めず、アルペイオスは呆然と固まったままだった。その間に、カノンはやりたい放題にやった。アルペイオスのワイシャツの裾にカノンが手をかけ、それをまくった時、アルペイオスは沈黙と硬直から解凍した。
「…ぎゃーっ!」
 金切り声で叫んだアルペイオスは自分にのしかかるカノンを蹴飛ばした。取るものも取りあえずリビングを飛び出し、外套と外履きの靴をひっかけると、アルペイオスは猛ダッシュで部屋から逃げ出して、そそくさとマンションを後にした。
 アルペイオスが大慌てて遁走していく無様な有り様に、カノンはソファの上で腹を抱えたけらけらと楽しそうに笑った。
「おい、どうした?」
 アケローオスがキッチンから様子を見に戻ってくる。そして弟の不在に気づいた。
「アルペイオスはどうした?」
「おれが襲ったら、逃げ出したよ」
 カノンはソファの上で無責任に明るく笑っている。
「カノン、お前なぁ…」
 状況を察したアケローオスが顔をしかめてぼやいた。
「何をしてるんだ、何を?」
「だってさー。弟の味は兄とどう違うのかなぁ…って思ってさぁ」
 ちろりと赤い舌でカノンが自分の唇を舐める。ひどく煽情的な仕草だった。
「そこでおれの弟までたぶらかすな。おれだけにしておけ、おれだけに」
「なに?嫉妬?」
 カノンがアケローオスを挑発するような視線を向ける。
「違う。害悪をまき散らすなと言ってるんだ」
「ふふん♪」
 カノンは鼻で己をたしなめるアケローオスを笑った。ちょいちょいと指先を動かしてアケローオスを招く。アケローオスが側に寄ってくると、カノンは彼の首筋に腕を回して、相手をソファの上に引き倒した。
「…おい」
「な、やろう?」
 艶っぽく笑んだカノンが誘う。
「あのなぁ…」
「いいだろう?弟にふられたんだから、兄が慰めてくれよ〜」
 ふざけたようにカノンがアケローオスに抱きつく。
「こら、やめんか」
 と言いながらも、二人がイチャコラとソファの上で絡み合っていると、玄関の扉が開いた。サガが買い物から帰ってきたのだ。
「あ…」
 ソファの上のカノンと、買い物袋を手に下げた玄関のサガの視線がばったり合う。
「………」
「あ、兄さん、おかえり」
 カノンがわざとらしく「兄さん」呼びして、これまたわざとらしくサガに機嫌よく笑う。笑いながら、アケローオスに回した腕に力を込めて彼を引き寄せた。
「あ、あのな、サガ、これは…」
 うろたえたアケローオスが、無言で立ち尽くすサガに言い訳をしようとした。すると。
「…ずるい!」
 サガが叫んだ。
「は…?」
 アケローオスがきょとんと眼を開く。サガは玄関で駄々をこねて怒り続けた。
「ずるい!カノンばっかり可愛がって…!」
 最近、気になっていたあることに思い当たり、サガはさらに怒った。
「そういえば、最近はカノンが朝に私より早く起きることが多いと思ったら…!アケローオスとそんな仲になっていたなんて…!だから私より早く起きてたんだ!二人とも、ひどい!私だけ仲間外れにして…!」
「え?そっち…?」
 常人とは完全に違うサガの怒りのポイントに、アケローオスは反応に困った。
「ずるい!私も混ぜろ!」 
 サガはずかずかとソファの上にいるカノンとアケローオスに近付き、「てやっ!」と二人の間にダイブした。
「お、おい、サガ」
 たくましい体つきの男三人が乗り、重量でソファがきしむ。状況に戸惑いながら、ソファが壊れたら困る…と頭のどこかで冷静に思うアケローオスだった。
「私の相手もして!」
「………」
 アケローオスはせがむサガを抱きとめて、ため息をついた。
「…本当、そういうところはお前もカノンも変わらんのな…。今回はおれは本当にただの世話役をするつもりだったのに、なんでこんなことになってるんだよ…」
「???なんのことです?」
 アケローオスのぼやきに、サガは不思議そうに尋ねた。
「いや、いい」
 大きくため息をついて、アケローオスはサガとカノンを離した。
「ちょっと待ってろ。鍋の火を止めてくる」
 立ち上がったアケローオスを見て、カノンがくんくんと鼻を動かす。キッチンからリビングのほうに食欲をそそる匂いが流れてきた。
「そういや、さっきから何かいい匂いがするな〜。なに?」
「アルペイオスが鹿肉のブロックを持ってきてくれたんだ。今日は鹿肉のシチューだ」
「おお!鹿肉って高級料理じゃん。楽しみ〜」
 人間の三大欲求、食欲、性欲、睡眠欲のうち、二つを満たす術を見出したカノンが嬉しそうに顔をほころばせた。
「とりあえず鍋の火を止めたら、おれの寝室に移動するぞ、お前たち」
「オッケー」
 カノンは運動でもするかのように軽く言い、サガは恥ずかしそうに笑んで見せた。
 そうして夕食の前に、三人はベッドの上で「一合戦」をしたのだった。

 大学構内の中庭を歩いていたサガとカノンは、ユズリハの木の根元の芝生の上で座禅を組んでいる二人を見かけた。
「また童虎先輩と哲学科のシャカが座禅を組んでる…」
「ほんとだ…」
 サガとカノンの文学部の先輩にあたる童虎は四年生で、中国の古典文学を専攻している。今年は卒論を書かねばならない年のはずだが、なぜかここで座禅を組んでいる姿をよく見かけるのだった。そして彼の相方として一緒に座禅を組んでいるシャカは哲学科の一年生で、変わり者ぞろいの哲学科の中でもとびきりの変わり者として有名だ。「大学入学前にインドに修行に行って悟りを開いた」とか「神と電波で交信している」とか、色々と彼にまつわる奇妙な噂をサガとカノンも聞いている。
 変わり者二人と目線を会わさないようにしてサガとカノンが童虎とシャカの前を通り過ぎようとした時、シャカが突然口を開いた。
「サガ!カノン!」
 双子たちは内心ぎょっとして足を止めた。
「何か…?」
「君たちはまだ目覚めないのかね?」
「は…?」
 いきなりシャカからかけられた言葉に、サガもカノンも首をひねった。
「目覚めるって…なに?」
「あれか?悟りを開くとか、そういう意味?」
 だがシャカは二人の言葉には構わず、一方的に話し続けた。
「皆が君たちの目覚めを待っているのだよ。あまり焦らすものではない」
「………」
「………」
 意味不明のシャカの言動に、サガもカノンも戸惑うしかなかった。
「これこれ、シャカよ。そうせかすものではない」
 隣で座禅を組んでいた童虎が後輩をたしなめる。
「物事には時期というものがあってな。サガもカノンも、目覚めるにはまだ時期が来ておらんのだ。焦っても良い結果にはならんぞ」
「はあ…」
 先輩の意味深でありがたそうな言葉に、サガはあいまいにうなずいた。
「シャカ!童虎先輩!」
 その時、向こうから駆けてきたのは、シャカと同じ哲学科の一年生のムウだった。
「ああ、もう!ここの芝生は立ち入り禁止だって、いつも言ってるじゃないですか。先生に見られる前に早く出て!」
 チベット仏教を専攻しているというムウは、変人シャカの「世話係」と周りに見られていた。ムウに促され、シャカと童虎が立ち上がって芝生の外に出る。
「では、サガ先輩、カノン先輩、また」
 そう言ってムウはシャカと童虎を連れて立ち去っていった。
「なんだったんだ?」
「さあ…?噂通りに変なヤツ…」
 噂にたがわぬ変人ぶりを発揮した後輩と先輩の言動に、サガとカノンはそろって首をひねるのだった。

 講義の合間にサガとカノンはロビーの自動販売機でコーヒーを買い、アイオロスと雑談をしていた。
「最近、変な夢をよく見るのだ」 
 ぽつりとサガが話し出す。
「なにか…古代ギリシャの遺跡のようなところに私たちが住んでいて…。アイオロス、お前と私は同僚で…黄金の鎧のようなものを着ていて…。地上を護る女神の戦士とか何とか…」
 変な夢だ、とサガが語った。
「あ〜。おれもなんか、そういう夢を見るわ。おれの場合は、おれとラダマンティスが鎧を着て戦ってる夢だけどさ…。他にもアイオリアがいたり、バイト先で会うミロがいたり…皆が黄金の鎧をつけててさ。なんかファンタジー映画っぽい設定なんだよなぁ…なんだろう?」
 そういう映画を見たことあるっけ?とカノンが兄に問う。
「二人で似たような夢を見るとは、奇妙だな。そんな映画を見た記憶はないのだが…」
「まあ、いいじゃないか。そのうち分かるさ」
 アイオロスはそう言って話題を変えた。
「それよりサガ、カノン、来週の週末に他大学のアーチェリー部と合コンをするんだけどさ。お前たちも出てくれない?」
「え?」
 サガが問い返し、カノンもきょとんとなった。
「いや、アーチェリー部とか、おれたち部外者だし…」
「そうなんだけど、向こうの女子学生の要望なんだよ。お前たち、『グラード大学の美人双子』って有名らしくてさ。それで女連中が『絶対に二人を連れて来い!』ってご指名なの。頼むよ」
 アイオロスはそう言ってサガとカノンを拝んでみせた。
「まあ、お前がそこまで言うなら…」
「いいけど…。たまにはおれも飲みたいし…」
 あまり乗り気でないながらも、サガとカノンは承諾した。
「ありがとう!助かるよ〜」
 そうしてにこにこと笑うアイオロスであった。

「なにぃ!?」
 「来週末に他大学のアーチェリー部との合コンに参加する」というサガとカノンの予定を知らされたアケローオスは、二人が驚くほどに大仰な反応を見せた。
「くっ…!おれがお前らのためのおさんどんに追われてナンパの一つも出来ないでいるのに、お前らは女子大生と合コンだと!?」
 もはや当たり前のようにアケローオスはサガとカノンと同衾していた。三人が共寝するそのベッドの上で、アケローオスはシーツを握り締めて悔しがり続けた。
「ちくしょー!おれだってなぁ…、おれだって…、ボンッ!キュッ!ボンッ!な女子大生とキャッキャウフフしたいわ!お前らばっかり、キャンバスライフを満喫しやがってーっ!」
「……………」
「…え、と…」
 全く予想していなかったアケローオスの反応に、サガとカノンはどう返すべきか困った。悔しがるアケローオスを眺めていたカノンが、ようやく返事をする。
「い、いや、あんたって…女をナンパとかしたかったんだ…。ほとんどこの部屋から出かけないから、引き籠もり体質なのかと思ってた…」
「は〜あ〜?おれはどっちかといえば、陽キャでパリピな性格だぞ?」
「…いや、自分で言うなよ…」
 カノンがアケローオスの自己分析に呆れる。
「そして女を侍らせてウハウハするのが大好きだ!お前たちはなぁ…お前たちには、ボインが足りないんだよ!ボインが!」
 そう言ってサガの形良い、ただし真っ平な胸板を撫で回すアケローオスだった。
「うう…ボイン…」
 惜しそうにアケローオスはサガの胸を撫で続けた。
「いや、いくら撫でても、私にボインは出来ませんからね?」
 いつまでも残念そうに自分の胸を撫でるアケローオスに、サガが念を押す。
「しくしく…」
 アケローオスは泣く真似をしてサガの胸板に顔を伏せた。
「そこまで悲しむことかよ…」
「あなたがそんなに落ち込むなら…、私たち、合コンに参加するのは止めましょうか?」
 サガの言葉にアケローオスが顔を上げる。
「つーか、いっそ、あんたも来る?」
「………」
 カノンがそう言った後、アケローオスは大きくため息をついて、ベッドの上に体を伸ばした。
「まあ、いいさ。行ってくればいい」
「いいんですか?」
「青春を謳歌できるのも今だけだ。うんと楽しんできたらいい」
 気を取り直したアケローオスが双子たちにそう言う。
 サガとカノンは彼の言葉を、「大学生活を楽しめるのも今のうちだけだ。人間はあっという間に年を取って社会人になるから」という意味に解した。
「出来るだけ早く帰ってきますから」
「そうそう。お泊りはしないから」
「いや、したいならしてもいいけどな、お泊り」
「しません」
「しないって」
 そう言って、ボインが足りない分だけ、アケローオスに手厚く「サービス」をする二人だった。

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