『ただ人としての生を』第4話
そして合コンの日になった。
居酒屋に集まった女子学生たちは、「噂通り、本当に美形!」とサガとカノンの参加に喜び、アイオロスも含めて三人の周囲に群がった。次から次にお酒が注文され、彼らに酌がされる。調子よく飲んでいたアイオロスはそのうち潰れて、ソファに横になって寝始めてしまった。サガとカノンも、足元がふらつくくらいに飲まされた。
「ねぇ〜、LINEを交換してくれる〜?」
「二次会に行きましょうよ〜」
合コンがお開きになった後も、女性たちはしつこくサガとカノンにまとわりついた。
実のところ、あまり女性に興味を持てない双子たちにとっては鬱陶しいほどである。アーチェリー部の男子部員からは、「モテモテだな」と冷やかされたりしたが、嬉しいとは思えないサガとカノンだった。
二人は酔い潰れたアイオロスに肩を貸し、帰宅することにした。参加していた他大学の女子学生が一人、「私も方向が一緒なんですぅ〜。アイオロス先輩を介抱しますねぇ〜」と言って三人に付いてきた。
介抱とかいいからさっさと帰って欲しい、と思う双子たちだった。ねっとりとした声と、二人にまとわりつくような動きが色気がたっぷりすぎて、逆に双子たちには気持ち悪い。
「私、実はこの後にホテルも予約してるんですよ〜」
そんなことまで女性は言い出した。
「いや、ホテルとか行かないから」
「女性はあまり遅くなる前に帰りなさい」
サガとカノンがそう勧めても、彼女は「いいじゃないですか〜」と二人にくっついてきた。
面倒だな、と思いながら、双子たちが近道をしようと人気のない路地に入った時、女性の様子が変わった。
彼女は腕をカノンに絡めた。カノンが険しい顔になって腕を振りほどこうとした時、女性の輪郭がどろりと崩れた。
「……!?」
女性は真っ黒い流動性の物体に変わった。そしてモンスターのスライムのようにサガとカノンに襲い掛かって飲み込もうとした。
「え、ええええー!?」
「なんだ!?」
突然に非日常の光景が展開され、サガとカノンが動揺する。
「サガ、カノン、走れ!」
いつの間にか酔い潰れていたはずのアイオロスが、自分の足でしっかりと立っていた。酔い潰れていたと見えたのは、演技だったらしい。アイオロスは双子たちを促し、襲い来る黒いスライムをかわして、三人は走り出した。
「ア、アイオロス、あれは…!?」
「まだ思い出さないか、サガ?」
サガの問いにアイオロスが尋ねる。
「思い出す…?」
サガが呟く。走る速度の落ちた彼に、女性が変化した影が襲い掛かろうとする。その時、衝撃音が走った。
「サガ、行け!」
ビルの上にいたのは、黄金の鎧を着た後輩のシュラだった。さらに隣には同じような黄金の鎧をつけたアフロディーテもいた。彼の手から茨が伸び、影を絡めとって動きを止める。
「店長…?シュラ君…?君たちはいったい…?」
わけが分からないまま、サガとカノンは逃げた。
サガ、カノン、アイオロスの三人は人気の多い大通りに出た。だが通りを行きかっていた人々は、次々に輪郭を崩し、サガたちを襲った女性と同じように流動する黒いモンスターになった。
「くそっ…浸食がここまで進んでいたのか…!?」
アイオロスが舌打ちする。
「あきらめるでない、アイオロスよ!」
凛とした声がする。現れたのは黄金の鎧を着た童虎だった。
「天魔降伏!」
やはり鎧を着たシャカも現れ、手の中から光を発して黒い影を払った。
他にも、アイオリア、ミロ、カミュ、ムウ、さらにデスマスク、アルデバランと、サガとカノンの周りにいた後輩や知人が、黄金の鎧を着た姿で彼らの周りに集結していた。
「これが影の魔物の最後の破片たちだ。これを全て浄化すれば、サガとカノンは助かる!」
シャカが告げる。
サガとカノンは、黄金の鎧を着た男たちを見渡した。
二人の頭がキリキリと痛み、視界が歪む。
「う、ううう…」
「あ、頭が…」
二人がうなる。だが痛みが弾け、頭が爆発したのかと思った衝撃の後、サガとカノンは思い出した。
「そう、そうだ。私たちは…」
「アテナの聖闘士だ!」
二人の記憶がよみがえった。
冥界の最下層、奈落タルタロスには恐るべき魔物たちが封印されている。だが女神アテナと冥王ハーデスの聖戦で冥界が崩壊した隙に、逃げ出したものたちがいた。その一つが、今、サガとカノンを襲っている影の魔物だ。
魔物というが、「夜の女神ニュクスの指先から滴った血が奈落タルタロスに落ちて生まれた」というその魔物は、神の眷属と言ってもよいほどの存在だった。
地上に現れたその影の魔物は、次々に人に取り憑き、精神を食らっていった。精神を魔物に食われた人々は、廃人と化し、植物状態になった。
これ以上の被害の拡大を防ぐため、精神操作系の力を持つサガとカノンがこの魔物を討伐することになった。だが影の魔物の力は強く、二人は魔物の大部分を消滅させることに成功したが、自分たちも魔物に取り憑かれてしまった。
「それから…それから、私たちはどうなった…?」
そこでサガとカノンの記憶は途絶えている。
「サガ!」
アイオロスがサガを呼ぶ。
「双子座の聖衣を呼べ、サガ!」
「え…?」
「この魔物は夜の女神ニュクスと奈落タルタロスの眷属!太陽の光が弱点だ!おれたちの力で、太陽の光を作り出すんだ!」
黄道に位置する十二星座をかたどった黄金聖衣には、太陽の光が蓄積されている。黄金聖衣十二体がそろうことで、太陽の光を生み出すことができるのだ。それはかつて冥界で「嘆きの壁」を打ち壊した時に取った作戦だった。
「…分かった!」
サガが双子座の聖衣を呼ぶ。黄金の光が空を駆け、分解し、サガの体を覆った。アイオロス自身も射手座の聖衣を呼び、まとった。
そして射手座の矢をつがえたアイオロスが仲間たちに言った。
「この破片たちを、一か所に集めろ!」
黄金聖闘士たちが宙を舞い、地面を駆けながら、街路にいた人間たちが変化した魔物の破片たちに外側から攻撃をしていく。魔物の分身たちは攻撃を避けようと、中心に、中心に、と集まっていき、次第に球体になった。
「皆、おれの矢に力を集めろ!」
アイオロスの号令に従い、射手座の矢の先に黄金聖闘士たちは力を集中させた。
矢が放たれる。黄金の閃光が空間を切り裂く。黄金聖闘士全員の力は疑似太陽の光を作り出した。矢の先に集まった太陽の光は、球状に集まった魔物を貫いた。
『………!』
声ならぬ声で影の魔物が叫んだ。球状に集まった影たちが激しくうごめき、苦悶していることを皆に知らしめた。
「さあ開け、タルタロスの門よ!」
ラダマンティスの声がした。いつのまにか、ミーノス、アイアコス、ラダマンティスの三名も冥衣をまとってその場に集まっていた。三巨頭は力を合わせて、地獄の牢獄たるタルタロスの門を開き、空間をつなげた。
魔物は黄金聖闘士たちが作った太陽の光に追われて、暗闇を求めて父たるタルタロスの胎内へと逃げ込んだ。
「閉まれ、門よ!」
三巨頭の命に従って、ポセイドンが作ったというタルタロスの青銅の門が閉まる。再び冥界とこの場とが切り離された。
そして全てが静寂に包まれた。
「どうやら片が付いたようだな」
一人の男が現れた。
それはアケローオスだった。いつもの現代的な服装ではなく、古代ギリシャの衣装である一枚布で出来た青いキトンに白いヒマティオンを巻き付けている。河の神としての本来の姿がそこにはあった。
「アケローオス様…」
「いったい…何があったんだ?おれたちは…」
アケローオスが二人に状況を説明した。
「お前たちは退治し損ねた影の魔物に取り憑かれて、精神を食い荒らされたんだ」
魔物に脳を侵食され、意識を失い、記憶は断片となり、精神は荒廃し…このままではサガとカノンも廃人と化す運命だった。
そこで自らの聖闘士を救うべく、女神アテナたる沙織が力を発揮した。海皇ポセイドンも己の海将軍であるカノンを助けるため、数々の因縁を脇に置いてアテナに助力した。
両神は力を合わせて精神世界に虚構の世界を創り、サガとカノンの精神体をその世界に隔離した。そうすることで彼らの精神を食いつくそうと狙う魔物から双子たちを遠ざけ、時間的余裕を稼いでいる間に寄ってくる魔物の破片を全て浄化しようとしたのだ。また同時に魔物によって荒廃させられた精神のリハビリとして、二人に偽の記憶を与えて「普通の人間としての生活」を虚構世界内で送らせることにした。いきなり「アテナの聖闘士」としての人生を過ごさせるのは、リハビリとしては少々ハードモードだったからだ。
「おれがお前たちと同居して世話をしていたのは、お前たちの守護者としての役割を任されたからだ。お前たちが眠っている時が最も無防備で、魔物の破片に襲われやすい。だからお前たちと一緒におれが生活して、お前たちを狙って寄ってくる破片をせっせと浄化していた」
「そうだったんですね…」
アケローオス河神が周囲に集う黄金聖闘士たちを見渡す。
「周りの黄金聖闘士たちもな。彼らも精神体としてこの世界に加わったが、お前たちの行く先々で役割を与えて周囲に配置して、お前たちの回復を見守ると同時に、寄ってくる魔物の破片をお前たちの見えないところで片付けていたんだ」
明かされた事情にサガとカノンが感動する。
「皆、そんなことをしてくれていたなんて…。ありがとう」
「世話をかけた」
サガとカノンが礼を言うと、黄金聖闘士たちははにかむように笑ってみせた。
「お前が助かるためなら、おれはどんな苦労もいとわないよ。それに学生生活も、結構楽しかったしな」
そう言ってアイオロスがサガに笑う。
「三巨頭たちもな。あの魔物をタルタロスに再封印するために、快くこの作戦に参加してくれたよ」
「ありがとうな、ラダマンティス」
「…カノン、お前が助かって、良かった」
カノンとラダマンティスが言葉を交わす。ミーノスとアイアコスは、二人をにやにやと笑って眺めていた。
その時、ゴゴゴ…と地鳴りのような音が聞こえた。周囲の建物が塵となり、煙のように消えていく。
「これは…」
「この世界は役目を終えた。もう消える。現実世界に戻るぞ」
アケローオス河神が消失していく世界を見上げる。
「じゃあな、サガ」
「また元の世界で」
黄金聖闘士たちは、その場から次々に姿が透明になって消えていった。三巨頭の姿も同じようにして消える。
「さあ、帰ろう、カノン」
「ああ、サガ」
サガとカノンが互いの手を握る。そして二人は光の中に飲まれた。
ベッドに寝かされていたサガとカノンが目を開いた。清潔そうな白い病室の壁が目に入る。二人の傍らに座っていたアテナ沙織が、慈母のような笑みを浮かべた。
「サガ、カノン、よく戻ってきてくれましたね…」
「アテナ…」
「この度はご迷惑をおかけしました」
ベッドを下りて礼を取ろうとする双子を沙織は押しとどめた。
「いいのですよ、あなた方は私の大切な聖闘士。助けるのは当然です。ところで…」
そこで沙織は、美しい顔に玲瓏たる笑みを浮かべた。整った美しい笑顔だが、目が笑っていない。
「『巨乳のゴリラ』とは誰のことかしら、カノン?」
「…いえ、それは…あの…っ」
虚構世界で自分が言ったことを沙織が知っていると分かり、カノンがうろたえる。何しろ沙織が創造した世界なのだ。起こること全てを彼女が把握していたとしても不思議ではない。
「おほほほ、いいですよ。あなたは記憶がなかったのですから」
「…う、その…すみません…」
鷹揚にカノンを許して愉快気に笑う沙織の前で、主人に叱られた犬のようにうなだれるカノンだった。
「シードラゴーンッ!」
その時、部屋に飛び込んできた人物がいた。ジュリアン・ソロ…いや、彼に憑依した海皇ポセイドンであった。
「ポ、ポセイドン様…」
自分に飛びつこうとしたポセイドンの体をカノンは腕を伸ばして遠ざけ、全力で拒否した。
「おお…無事でよかった…!アテナから話を聞いた時、私がどれほど心配したかー!」
「…は、御心配をおかけしました」
「さあ、無事を祝って、再会のキスをさせよ!」
「………」
自分に抱きついてキスをしようとするポセイドンを、カノンは無言でいなすのだった。カノンの必死の抵抗に、やがてポセイドンは何とか抱擁をあきらめた。わざとらしくうるうると涙をにじませて、悲しがってみせる。
「ううう…。本当は私がお前たちの守護者の役割を担いたかったのだ。なのにアテナに反対されてアケローオスに任せることに…。私もお前たちとの同居生活を楽しみたかったのにぃぃぃ…!」
ポセイドンが歯噛みして悔しがった。彼の様子に沙織がため息をついた。
「ですから、言ったでしょう?あなたには二人の世話役は無理ですって。家事の一つもしたことなどないくせに」
そして沙織は付け加えた。
「本当は、最初は私が一緒に生活して二人を守護しようかと思ったのですよ。でも私も家事には自信がないので…。だからアケローオスの伯父上に任せることにしたのです」
それ以前に、未成年のジュリアンや沙織が成人のサガやカノンの身の回りの世話をしているのは、状況として不自然すぎる…という理由もあった。
「…いや、私も家事とかしたことはなかったんですけれどね…」
そう言って部屋に入ってきたのはアケローオス河神だった。彼は家事に追われた双子たちとの共同生活を思い出したのか、少しうんざりとした顔をしていた。
「そりゃあ、アルペイオスと狩りをした際に、その場で獲物をさばいて調理して食ったことくらいはありますがね。私の経験もその程度ですよ?」
「でもアケローオスの伯父上なら、何とかなると思って。実際、何とかなったじゃありませんか」
伯父に面倒事を押し付けたことに悪気など全く感じていない態で沙織が言った。
「あー、はいはい、私のような下っ端の神は、上位の神々にこき使われる運命ですからね。雑用でも何でもこなしますよ」
沙織の言葉に、冗談半分、本気半分で答えるアケローオス河神だった。「何とかなる」ようになるまでは、彼も結構見えないところで苦労していたのである。
「隣の部屋にいる黄金聖闘士たちも、皆、無事に目覚めました。呼びますか?」
「ええ」
「会いたいです」
アケローオス河神の言葉に沙織が承諾し、サガも頼む。
その時、カノンはアケローオス河神の背後に隠れている男がいることに気付いた。
「あれ?アルペイオス?」
兄の広い背に隠れて双子たちの様子をうかがっていたのは、アルペイオス河神だった。アケローオス河神の実弟で、ギリシャ・ペロポネソス半島を流れる河の神である。
「なにしてんだ?」
「その前に、誓え!カノン!」
兄の背に隠れたまま、アルペイオス河神が叫んだ。
「誓うって、何を?」
「おれを襲わないと!アテナの御名にかけて誓え!」
虚構世界でカノンに押し倒されたトラウマを引きずって、兄の背後で大きな体を縮こまらせてぶるぶると震えているアルペイオス河神だった。
「いや、そんなに怖がらなくても…」
「めっちゃ怖かったわ!山の中で熊に出会った時より怖かったぞ!」
アルペイオス河神が叫ぶ。
「いや、熊とか…あんた、素手で倒せるじゃん」
猛獣扱いされたカノンが文句をつける。狩猟が趣味のアルペイオス河神は、これまでに熊はおろかライオンすら何頭も狩った経験があるのだが、カノンに襲われたのはそんな猛獣たちを相手にするよりも恐ろしかったらしい。
「いいから、誓えー!」
「はいはい、誓います、誓いますって。アテナの名にかけて、もうアルペイオス河神を襲ったりしません」
実に不真面目な態度で、カノンはそれでもアテナの名前にかけて誓いを立てたのだった。
誓いを聞いてようやくアルペイオス河神が兄の背後から出てくる。
「虚構世界で大兄上やお前たちがどうしているか心配で、ちょっと潜り込んで様子を見に行っただけなのに…。あんな目に合わされるとか…最悪…」
「だから、もうしないって」
「絶対だぞ!」
「しない、しない」
カノンが手を振る。
そこで隣の部屋で寝ていた黄金聖闘士たちがサガとカノンの部屋に入ってきた。互いに無事を喜び、双子たちは改めて仲間たちに礼を言った。
「サガー!助かって良かったよー!」
アイオロスがサガに抱きつく。カノンはあたりを見渡した。
「あれ?ラダマンティスはいないのか?」
「三巨頭は冥界だ。彼らはアテナとの盟約で地上に出てこれないが、精神世界に入るなら肉体がどこにあろうと出来るからな」
「そっか…」
アケローオス河神の説明に少し寂しそうな顔になるカノンだった。
「サガサガサガー!本当にサガが無事で良かったー!」
サガに抱きついたアイオロスは愛しい人の名を連呼し続けた。アイオロスはこんな風に人目もはばからずサガへの恋情を示すので、カノンなどは彼のことを「『サガ』としか鳴けない雄鶏」と評している。
「ううう…本当はおれだってサガと一緒に暮らしたかったのにぃ…!アテナに『あなたでは眠っているサガたちを守るには力不足』って言われてさぁ…。それであきらめて、嫌だったけど、アケローオス河神に託したんだよぉ…。でも、案の定、変なことになってるし…ううう…」
うなりながら悲しむアイオロスだった。
「う…その、すまん…」
恋人であるアイオロスに関する記憶を全て失っていたとはいえ、虚構世界で彼のことを適当にあしらっておきながら、アケローオス河神には肉体関係を迫ったことを、さすがに悪く思ってサガは謝罪した。
「…いいよ、何となく、そうなりそうな予感はあったし。でも出来るだけサガの側にいたいから、アテナにサガと同じ文学部にしてもらったんだよ。文学とか全然興味はなかったけどさぁ…」
「…それで、講義の間はほとんど寝て、アーチェリーばかりやっていたんだな、お前は…」
ほとんど真面目に講義を聞いていなかった虚構世界内でのアイオロスの学生生活を思い起こし、サガが言った。あの世界で生活していたころは、カノンにしろ、アイオロスにしろ、勉学もせず何のために大学に入ったのか…と嘆き半分で思っていたサガだったが、サガの好みに合わせる形で彼らは文学部という「設定」になっただけだったのだ。それなら二人の様子に納得もいく。
「つーか、アイオロス、サガとお前が同棲生活とか、おれが許さねーし!もしお前とサガが一緒に暮らしてみろ。おれが毎晩、寝室になだれ込んでお前らの邪魔をしてやるからな!」
カノンがアイオロスを怒鳴りつけた。アイオロスがサガへの恋情を人に隠さないように、これまた双子の兄への執着を隠さないカノンだった。
「相変わらず、おぬしはブラコンじゃのぉ」
呆れたように童虎が言う。
「ブラコンではありません。兄のような世間知らずは悪い男に騙されたら破滅に一直線なので、タチの悪い虫がつかないように私が注意を払っているだけです」
真剣な顔で童虎にそう反論したカノンだった。カノンのブラコンぶりは誰の目にも明らかなのだが、なぜか当事者であるサガとカノン本人だけはその自覚がないのだった。
「…いや、どう考えても、アイオロスよりお前の方がタチが悪い虫だろ…」
ぼそっとデスマスクが呟いた言葉に、サガとカノンをのぞく黄金聖闘士一同は深くうなずいたのだった。片や命がけで主君アテナを守った正義の英雄。片や兄に悪をささやいたりポセイドンをたぶらかして地上に大きな被害をもたらした大罪人。一般的には、まあ、そういう評価になるのもやむなしである。
「アテナ、私たちはどれくらい眠っていたのでしょう?」
サガの問いに沙織が答えた。
「ほんの三日ほどよ」
「三日!?」
サガとカノンがその返答に驚く。
「うそ…。なんか…半年か一年くらい学生生活をしてたような気がする…」
「あの世界は夢の世界のようなものだからな。時間の感覚も現実世界とは違う」
「そうなのか…」
アケローオス河神の説明にそう呟いた双子たちだった。
改めて、沙織がサガとカノンを含む黄金聖闘士たちに尋ねる。
「皆、虚構世界での生活はどうでした?」
「ははは…。なかなか楽しかったですよ」
「大学生としての生活など、私たちには縁がないと思っていましたから」
アルデバランやムウの言葉に、沙織は微笑んだ。
「私が虚構世界でサガとカノンに大学生としての生活を与えたのは、精神のリハビリをする意味もありますが、あなたがたにも『普通の人間の生活』というのを味わってほしかったからでもあります。あなたがたは、幼い頃に聖闘士になって、聖闘士としての人生しか知らずに過ごして来ました。だからせめて虚構世界だけでもただ人として…と」
「ありがとうございます」
アテナの思いやりに、アイオロスが一同を代表して礼を言った。
「もっとも、日本育ちの私が作った世界なので、街並みや大学の様子も、日本風になってしまいましたけれどね」
そう明かして沙織はころころと笑った。
「そ、そういえば…」
「学食のメニューとか…全然、ギリシャ風じゃなかった…」
虚構世界で生活していた時は全く違和感を感じていなかったのだが、今さらながらにしてそのことに気付くサガとカノンであった。おそらくあの頃は彼らが虚構世界での生活に疑念を持たないように、記憶や精神も操作されていたのだろう。
「普通の人間としての平和な生活も、悪くはなかったな」
「そうだな。街が日本風なのも、あれはあれで面白かった」
ミロとカミュがそう会話をする。
その時、突然カノンが悔しがり出した。
「くっそー!」
「ど、どうした、カノン?」
驚いたサガにカノンが告白した。
「そんな事情だと分かっていたら…、もっとはっちゃけておくんだったー!せっかくの青春をムダにしたー!」
「………」
弟の反応にサガが無言になる。
「い、いや、十分、はっちゃけていたと思うぞ?あれだけミロとゲーセン通いをすれば十分ではないか?」
講義はほとんど寝て過ごしているくせに、バイト仲間のミロと毎週末ゲームセンターに通うことだけは、実に熱心だった虚構世界内でのカノンであった。
「あの程度、はっちゃけたうちに入るか!もっと遊んでおけば良かったー!酒とか!女とか!博打とか!」
「…それは大学生のはっちゃけぶりではないぞ…」
ツッコむ兄をよそに、カノンはなおも悔しがり続けた。
「他にも、スキーとか!海水浴とか!キャンプとか!飲み会にももっと参加しておくんだったー!あと徹夜でゲームとか、やりたかったー!」
「………」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーっ!今からでも時間を巻き戻して、やり直してーっ!ちっくしょぉぉぉー!」」
本気で悔しがっているカノンに、呆れた顔になるサガだった。
「いや、徹夜でゲームとか、そんな不健康なことはおれがさせんし」
同居して双子たちの生活全般の面倒を見ていたアケローオス河神がカノンに言う。
「あんたはおれのかーちゃんか!?」
「ゲームは一日一時間」とか言い出しそうなアケローオス河神に、カノンがツッコんだ。
「大兄ちゃんだ」
アケローオス河神は、大真面目な顔でそう返したのだった。
「あなたは煩悩が多すぎるのだよ、カノン。もっと修行したまえ」
おごそかな口調でシャカがカノンに説教をする。
「しかし必要があったとはいえ、おれにアテナにポセイドン、それに黄金聖闘士全員に冥界の三巨頭も勢ぞろいでかかるとは…大した大捕り物だったな」
アケローオス河神が一連の事件をそうまとめる。これだけの顔触れがそろっての魔物退治など、そうそうあるものではない。さすがにゼウスさえ恐れた怪物テュポーンの異母兄弟に当たる魔物なだけある。
「私たちは、皆に守られていたのですね…」
サガとカノンは部屋に集まった一同を見渡し、改めて感謝の意を強くするのだった。
こうして、サガとカノンの「学生生活」は終わりを告げた。
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