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2026年10月06日07:00

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ウルトラQ と 初ゴジ と ガメラ と 初代Wiz と Ultima の共通点と違い

〔mixi 日記22.5周年記念企画
 22日連続 日記投稿チャレンジキャンペーン最終日
 は
 ウルトラQ と 初ゴジ(初代ゴジラ映画)とガメラと
 初代 Wizardry と Ultima などに
 共通している観点と
 それぞれの力点の違いなど
 について
 考えてみようという趣旨の日記です。

 私の話は
 長いし
 なかなか完結しないので
 先に言いたいことの結論を
 書いておきます。

 それは
 「どの話や映画やゲームも
  人間の過ちについて
  鋭く指摘することで
  人間が気づけるように
  導こうとしている
  のに
  
  話や映画やゲームが
  利潤追求に流されて

  人間の過ちを見ようとせず  
  むしろ
  人間の過ちを指摘している怪獣や魔物を
  敵扱いして
  排除する
  物語や映画やゲームに
  変質してしまう
  ことで
 
  人間は
  自分達の過ちに
  気付けないままで居る
  ことになっている。

  このままでは
  地球にとって
  人類は
  癌細胞と同じく
  地球(宿主)を殺して
  自分達もまた死ぬ(自滅する)
  運命を辿ることになる。」
 
 ということです。

 またいつものように
 投稿を既成事実にするために
 途中で出して
 編集によって
 少しづつ完成に近づける方法を採用しています。〕

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ウルトラQ
は
そもそもアンバランスが原題。

また
ウルトラQという言葉も
ウルトラC(C難度を越える体操競技の技=D難度技)
からの発想で
「超難問(ウルトラ Question)」
の意味で

何が難問か
と言うと

「地球の自然環境バランスを
 人間が崩しており
 自然が巨大生物と成って現れることで
 人類に
 「警告」を
 告げている。

 いったい人類は
 どうやれば
 この「難題」を
 切り抜けられるか。」

という「難問」。

この難題を突きつけて
みんなで考え直そうではないか
というのが
本来の趣旨。

けれども
本当は第1話の予定ではなかった
「ゴメスを倒せ!」
が
第1話で放映され
ゴメスは
敵として
リトラに
やっつけさせる
という話に
成ってしまっている。

これは
見ている人は
面白いかもしれないけれども
ゴメスは
そもそも
ゴジラの着ぐるみを改造された怪獣
だから
人間の過ち(水爆実験で地球環境を破壊する行為)
を
警告するために
自然が人類に送り込んだ
自然の意志の「使者(使徒、メッセンジャー)」
であるのに

ウルトラQの
第1話では
単に
人間の平穏な暮らしを脅かす
悪い奴(やつ)
という設定に
成り下がってしまっている。

リトラも
生まれてすぐの幼いからだに鞭(むち)打って
ゴメスを倒すことには成功したけれども
力尽きて
死んでしまう。

可哀想(かわいそう)だ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

時代は遡って
ゴジラの場合

ゴジラも
初代ゴジラでは
人類が水爆実験を行ったことで
ジュラ期の生物である恐竜が
海中深くで生き延びていたのが
水爆によって
凶暴化して
地上に現れて
自分達の平和な暮らしを脅かした
人類を倒しに
文明の象徴である
東京を破壊する恐怖の生物に
変質してしまった
と言う設定。

けれども
この映画では
まだ
人類の水爆実験が
良く無いこととして
描かれている。

ウルトラQでも
まだ
巨大生物は
地球環境のアンバランスを
警告する
象徴(シンボル)としての
役割を担(にな)っている。

けれども
ウルトラマンに成って以降は
怪獣は
自然環境破壊を訴える意志の象徴
ではなく
人類の敵
地球の環境を破壊する敵
として
人間の意志を代表するウルトラマンが
倒す
という設定に
変わっている。

これは
自然環境を破壊している人類が
自然環境破壊を訴えている自然の意志の使者(使徒、メッセンジャー)
である怪獣を
敵扱いして
殺そうとする
自分の非を認めず
むしろ
怪獣に自分達の罪を押し付けて
自分達の罪には目を瞑(つぶ)ってしまう
ことだ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ガメラの場合は
「子達の味方」
という設定で

ゴジラや
ウルトラマンよりは
怪獣を敵扱いしていない
(とはいえ大人は敵扱いしている。
 ガメラを受け容れているのは子達だけだが)
だけ
まだましだけれども

それでも
地球環境の破壊に対する警告
という趣旨は
ガメラでも
描かれていない。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

初代 Wiz(狂王の試練場)
は
地下迷宮で出逢(であ)う
様々な障害を克服して
最奥に隠れている敵をやっつけて
地上の平安を守ることが
目的だけど

そこでは
心の内面に潜んでいる
悪(煩悩)を退治する
という意味と
取ることも可能であり
警告的だ。

とはいえ
プレーする側は
そんな意識は
全く生じることもなく

ただただ
レベルアップにのみ
中毒的に没頭することに
なるので

「人類が不可避に陥る過誤を
 解決するための方法を一緒に考える」
という
アンチノミー(理性が不可避に陥る矛盾)の解法を示した
カントの批判(超越論)哲学のような
機能を持ってはいないけれども

それに近い働きを
持っていないわけではなかった。

ただ
初代 Wiz 以外のシリーズは
僕はプレイしていないので
内容は体験していないのだけれども。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

Ultima(ウルティマ)
に関しては

ゲームの目的からして
少なくとも IV では
「徳を積むこと」
が
目的として設定されていた
ように思われ

ゲームをプレイすることが
人格形成に繋(つな)がる要素を
持っていた。

それが
日本で発売された
ドラクエシリーズでは
「徳を積む」という目的は
全く影を潜めて

むしろ
お姫様を救うために
旅をして
その冒険の途中で
様々な経験をして
楽しむ
という要素を
広げた
遊びとしての意味が
広められたゲームになっている。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

ゲームは
楽しめれば
良いわけで
そこに
警告や戒律は
むしろ
無い方が楽しめる。

映画も
娯楽映画として
息抜きに
役立てば
それで興行収入も上がるし
変に「説教」を
聞かせれる映画なんて
誰も好んで聞こうとはしないだろう。

テレビドラマでも
「教育」めいたことを
聞かされるのであれば
誰も見ようとはしない
だろう。

なので
ゴジラも
ガメラも
ウルトラ Q も
ウルトラマンも
ウルティマも
ウィザードリィも
娯楽として発売されている
のであるから

そこに
「警告」や
「訓戒」の
要素は
無くても良い
のかもしれない。

ただ
名作として
語り継がれる
映画
(例えば『ベン・ハー』や『ロード・オブ・ザ・リング』など)
や
話〔物語(例えば『聖書』やシェイクスピアやゲーテによる作品など)〕
は
必ずどこかに
人間や人類に対する
「それでいいのか」
という指摘が
含まれていて

鑑賞(読書)後に
深く考えさせられる作品
が多いと思う。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

次回予告

次の日記では
自由と暴力(必然)
自律と暴力(他律)
の
アンチノミー(二律背反)
は
カントなら
あるいは
我々は
どのように解決できるか
という問題を
考えてみたいと思います。

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最終更新
令和8(2026)年 10月6日 9時16分
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