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2026年07月24日14:08

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区別(Koordination)と差別(Subordination)の区別

私の mixi 日記
「memento mori に答えがあった」(2026年7月23日投稿)や
「物自体 と memento mori と 超越論哲学的宗教」(2026年7月24日投稿)
でも
書いたけれども

「現象と物自体の区別
 とは
 自分が経験できる世界〔自分や自分の仲間(祖先)の世界〕
 と
 自分が経験できない世界〔物自体(自体存在)や他者や死後の世界〕
 の
 区別
 であるけれもど
 その区別が
 差別である場合には
 アンチノミーに陥り
 アンチノミーを解決するためには
 現象と物自体を
 同位関係と認識し判断して行為する
 のでなければならない
」

ということ
なんだけれども

認識の段階には
高低の区別は
あるのだけれども
低い認識と
高い認識を
区別すること
と
差別すること
は
区別されなければならず

高い認識が
低い認識を
差別して
排除する認識と判断と行為は
アンチノミー問題を引き起こし
矛盾が激化して
どちらか或いは双方が
破滅に追い込まれる。

そうではなくて
低い認識と
高い認識は
高い認識が
低い認識を認めて
低い認識の自由を侵さず奪わないように
することで
アンチノミーを避けることができる。

ただし
低い認識は
高い認識を
そもそも理解できないので
低い認識は
高い認識に反発するけれども
高い認識は
低い認識を
低い認識の反発に刺激されて
押さえ込んだり潰そうとするのではなく
低い認識の存在権利を認めることで
アンチノミー問題を避けることができる。

この考え方は
どちらの認識が「高」く
どちらの認識が「低」い
のか
という問題を
引き起こすのだけれども

例えば
実際には
低い認識である方(ほう)が
高い認識である方(ほう)に対して
「お前たちの認識の方(ほう)こそ低いのであって
 我々の認識の方(ほう)こそ高いのだ」
と主張するのだけれども

本当に高い認識は
どちらが高く
どちらが低いということに対して
断定(独断)せず
どちらの存在意義も認めた上で
双方の権利を同等に保証しうる認識や判断や行為が
出来る。

そもそも「高低」という捉え方自体が
差別的な捉え方であるので
表現の方法を
考え直すべきなのだけれども
認識の進展を表す場合には
「高低」という表現は
差別の意味を含まない。

たとえば
キリスト教において
旧約聖書と
新約聖書は
一応『新約聖書』は
『旧約聖書』の認識を克服した高い認識
と捉えられて
区別されているけれども
差別されているわけではない。

キリスト教における
カトリックと
プロテスタントの
区別も
差別ではない。

カントが
感性と構想力を下級認識能力
悟性と判断力と理性を上級認識能力
と区別したのは
差別するためではない。
〔対象を認識する度合いが
 より「判明」である認識を「上級」と呼び
 「曖昧」あるいは「漠然」である認識を「下級」と呼んで
 区別するため。〕

シェリングが
神話と
啓示を
区別したのは
認識の高低を表すためである
といっても
差別するためではない。

同じように
私が
第2哲学専念期で作成した
宗教原理図式
(私のいわゆる「哲学概念図」)

フォト

フォト

フォト

フォト

も
認識の高低を区別しているけれども
これは差別のためではない。

差別意識は
人間の認識段階における
低い段階で
これはなかなか克服されないけれども
差別意識を克服しうる力
が
宗教原理(啓示や悟り)。

マルクスが
平等な原始共産制社会
から
不平等な階級制社会
を経て
再び平等な未来の共産制社会へ至る
という唯物史観を述べたのも

差別意識という人間の低い段階の認識を
克服して
現象界と物自体界を
同位関係として扱える
超越論的認識段階へ至る過程を
社会の水準で表現しただけのこと。

現実問題の
ほとんどは
差別意識や支配欲の未克服
によって
生じている。

癌だって
癌細胞が
通常細胞を
差別して
自分の世界で
通常細胞の世界を
支配しようとすることで
自分の命を養っている
宿主の命を奪ってしまうことで
結局は自滅する運命にあるように

差別意識や
支配欲は
自滅の運命を辿る
パラロギスムス(誤謬推理・反理)
でしかないので

克服しなければ
結局は
自分自身も滅ぶ運命にある。

山田五郎先輩の命を奪った
癌細胞も
山田五郎さんの命を奪った後
結局は
自分達が生きる糧を得ていた
山田五郎さんの肉体を滅ぼしてしまったことによって
生きる糧を得られなくなり
滅びてしまったことでしょう。

令和8(2026)年7月14日の夕方に
山田 五郎(本名:武田 正彦)先輩は
ご自宅で亡くなられたようで
令和8(2026)年7月17日に
ご自身の最後の著作の解説動画を(スタッフの編集により)アップロードされ
令和8(2026)年7月18日18時〜19時30分まで
東京カテドラル聖マリア大聖堂で
葬儀ミサ・告別式がカトリック司祭によって捧げられ
その後
荼毘に付された(火葬された)はず
なので

癌細胞が
もしも
〔癌細胞はほとんど不死なので〕
葬儀ミサ・告別式の瞬間まで
生きていたとしても
火葬によって
全滅したものと思われます。

癌細胞は
通常細胞に
自分自身を
「正常細胞」と
思わせる〔騙(だま)す〕
ことによって
通常細胞からの
攻撃を逃れて生き延びて
通常細胞の環境を破壊し続ける
ことで
自滅する必然性を持った
非存在当為者(非存在すべきもの=存在すべきではないもの)
です。

癌治療において
大切な治療視点は
山田五郎さんも
抗癌剤治療が
当初は効果があった
〔癌細胞を半分くらいの数まで減らせることが出来ていた〕
が
休薬期間中
〔抗癌剤治療は同じ抗癌剤を使い続けると
 癌細胞が薬に対する耐性を獲得して
 抗癌剤が効きにくくなるのと
 抗癌剤の副作用で患者の体力も落ちるので
 休薬期間を設けて体力の回復を待つことを主治医に勧められる〕
に
試した

新しい免疫療法
の
効果が
出ずに

また
それ以外の最新医療(分子標的薬療法)に
保険適用できる申請も
断られてしまった
ことで

結局は
最後は
再び
抗癌剤治療を
採用されて
〔2度目は
 異なる抗癌剤の組み合わせ
 が用いられ〕
その結果
命を落とすことになってしまった
抗癌剤治療〔癌細胞を排除することを主眼とする治療法〕
の
方針(考え方)
よりも

本庶佑さんによる新しい免疫療法など
癌細胞の作戦(策略)を見抜いて
その詐欺行為に騙されないように身を守る
自助治療(免疫寛容を標的とした抗体医薬による癌免疫療法)
の方が
実効力があるのではないか
と思える。

とはいえ
山田五郎(武田正彦)先輩の場合は
1度
抗癌剤治療の
休薬期間に
オプジーボなどの
「その他の治療法」を
試す機会を得られたのだけれども
効果が出なかったのが
残念で

また
分子標的薬による治療を
保険適用で受けられるように
申請した時に
どの病院も受け入れてくれなかった
ということは
医療制度の限界の壁に阻まれて
命を落とすことになってしまったのは
残念至極。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

いずれにせよ
差別意識や
支配欲を
克服するための
宗教原理の獲得を方法とし
宗教原理によって初めて自覚される存在階梯の同位関係を原理とする
超越論哲学的宗教
の
非体系の体系(永遠に更新され続ける体系)
を
構築してゆきます。

=====================================
最終更新
令和8(2026)年 7月24日 23時52分
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