mixiユーザー(id:2223977)

2026年07月24日02:37

43 view

物自体 と memento mori と 超越論哲学的宗教

山田 五郎(本名:武田 正彦)先輩
の
ご自身の最後としての
memento mori
という題目での
ご講義が
1本遺(のこ)されている
ことを
マネージャーの黄(こう)さんが
令和8(2026)年7月22日15時頃に
山田五郎 オトナの教養講座
にて
報告され
その最終講義が
アップロードされるのを
楽しみにしているのだけれども

memento mori
について
色々と
考えているうちに

令和8(2026)年7月23日の
13時頃に

ふと気づいたこと
があって

それは

「カントが現象と物自体を
 区別したのは
 人間の理性が
 認識(し経験することが)可能である
 現象(界)
 と
 人間の理性が
 認識できない
 物自体(界)
 を
 区別する(自覚する)
 と
 同時に
 現象と物自体とを
 同位(同等)関係として
 捉え(認識し)判断し行為すること
 が
 アンチノミーを解決するための
 必須の前提条件となる
 ということを
 カントは
 結局
 三批判書を通じて
 言おうとしていた
 のだ
」

ということ

と
同時に

メメント・モリ
という警句を通じて

「人間は
 自分が生きている時のことしか
 考えられない
 けれども
 自分かいつか必ず死ぬ
 ということも
 生きているうちに考えて
 自分が死んだ後のことも
 考えた上で
 今を生きて
 自分が死んだ後に残された人たちが
 困らないようにした上で
 死ぬことができる人こそが
 人格者なのだ
」

ということ。

そのことは
カントの超越論哲学でも
第二批判書にも
書かれていた(魂の不死とかで)。

そして
シェリングや
西田幾多郎や
(その弟子の久松真一や西谷啓治や)
ホワイトヘッドが
言わんとしたことは

「宗教原理を獲得する
 (「啓示を受ける」や「悟りが開ける」)
 ということは
 自分が認識できる世界
 (現象界や自分の祖先の世界や
  自分と同じ国の民の世界や
  自分と同じ民族に属する人々の世界など)
 と
 自分が認識できない世界
 (物自体界や死後の世界や
  他者の世界、つまり
  自分の祖先とは違う祖先を持つ人の世界や
  自分と違う国の民の世界や
  自分と違う民族に属する人々の世界)
 が
 同位(同等)関係〔Koordination, Beiordnung〕
 であることに
 気づくこと
 であり
 それこそが
 啓示や悟りの
 実質(意味内容)
 であるし
 神や仏の(宗教の)世界
 なのだ
」

ということ

これらのこと
に
気づいた。
〔令和8(2026)年7月23日13時頃〕

第1期哲学専念期
(1985年6月〜1992年3月31日)
には
第1宗教体験が
生起し(1990年11月5日午前中)

第2期哲学専念期
(1994年4月1日〜2002年3月31日)
には
宗教体験図式化が
生じ

第3期哲学専念期
(2026年4月16日〜 )
には
第2宗教体験が
生起した(2026年7月23日13時頃)。
〔第1宗教体験から35年8ヶ月と18日。
 第1宗教体験時は31歳6ヶ月に1週間と6時間足らず。
 第2宗教体験時は67歳2ヶ月と11日に3時間足らず。〕

超越論哲学的宗教
は
カントの超越論哲学
と
シェリングの積極哲学(哲学的宗教)
と
西田哲学(絶対無の場所における自覚哲学)
を
引き継いで

その判断で
マルクスの唯物史観を
捉え直し

現象界しか見えない人間が
その限界を自覚することで
物自体を
現象界と
同位関係に捉えることで
アンチノミー問題のみならず
理性と情念の問題をも
越えてゆくための
方法と原理を

カントが
超越論哲学への道を
1781年に開始して
245年が経過した今

再びその道を
今度は
宗教原理を獲得する方法を
備えつつ
超越論哲学的宗教
として
歩みを始めたい。

第3期哲学専念期
は
だから
超越論哲学的宗教
構築の時期
だ。

私の哲学は
国家や
民族や
人類にさえ
拘束されないことを願い
ただ
地球人であることを
自らの限界と認識して
内容を構築しようとする哲学である。

そうであることを
可能とするために
私は
学位(博士号の取得)も
大学教官職も
放棄した
(国家と大学の意志から自由であることを可能とするために。
 学位の追求は、放棄していると言っても
 学問の技法を修得することを放棄したわけではない。
 ただ、学術の向上とは無関係な圧力に屈するようでは
 学問の自由は得られないので
 そのような拘束を課して来る学位には
 同意できない理由からの
 学位取得放棄)。

三島由紀夫が
日本人であることに
縛られること(それが自分の限界であること)を
「ああ、それでいいんだ」と
認めたように

私は
地球人であることに
縛られること(それが自分の限界であること)を
「それでいい」と
認める哲人
です。
〔なぜならば、地球という環境を外せば
 自分も人類も地球上の生物も
 生きてはゆけない環境を
 「それでもいい」と
 認めることになってしまうけれども
 自分が地球人である以上
 地球環境を守ることを
 放棄することはできない
 から。〕

山田(武田)先輩が
西洋絵画史の
万人が理解しやすい
解説書を
たくさん
残したように

僕は
僕の生まれつきの哲人性質を
生かして
超越論哲学的宗教の書を
この世界に産み落として
から
死ぬべきだと思います。

破産が先か
破滅が先か
超越論哲学的宗教書を
この世に残せること
が先か。

山田 五郎(武田 正彦)先輩のように
「生きてるうちに
 自分らしい
 単著を残すこと」
が
自分の生きる道だと
覚悟したいと思います。

======================================
最終更新
令和8(2026)年 7月24日 3時18分
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年07月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る