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2025年05月30日10:42

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『極北の初夏』第2話

『極北の初夏』第2話

 巨人入りの氷塊を異次元に送ったサガとカミュは、ロシア領・コラ半島にある都市ムルマンスクへと戻っていった。今回の任務で拠点とした都市だが、暖流の影響でこの高緯度にも関わらず冬でも港が凍らないため、軍港としても港湾都市としても重要な都市だ。その上、鉱物資源が豊富な地帯なので鉱山も多く、この地域では一番の大都市である。軍事的に重要な都市ということで、ロシアの他の地方都市に比べると医療や教育施設などのインフラ整備は恵まれている方だ。冬季にはオーロラ観察のための観光拠点にもなるが、サガとカミュが訪れたこの時期はすでに白夜が始まっており、残念ながらオーロラが見える時期は過ぎていた。
「しかし、本当にこの時間になっても明るいのだな…」
 市内で夕食を終えたサガが、午後九時近くになってもまだ明るい昼の光をたたえている空を見上げて、感心したような声を出した。
「この緯度なら七月終わりくらいまではこんな感じです。九月を過ぎたら夜の暗さが戻ってきて、またオーロラが楽しめるようになるのですが…」
 サガとカミュは並んで歩きながら、地元の協力者が手配してくれたホテルに戻った。観光目的で来ているわけではないし、軍事都市ということで外国人への監視の目も厳しいので、余計な寄り道はしないに限る。
「サガ、すみません…」
 ホテルに戻ったカミュはフロントで何か話したあと、サガのもとに戻ってきて申し訳なさそうな顔になった。
「どうした?」
「セントラルヒーティングの機械が故障してしまって、当面、お湯や暖房が使えないそうです」
「………」
 ロシアではよくあるように、このホテルもセントラルヒーティングで都市まるごとの暖房が供給される…はずなのだが、最近の戦争に伴う財政悪化や部品不足で整備不良から暖房や給湯がストップしてしまうことがよく起きるようになっていた。
 翌朝には出立するとはいえ、この時期でも気温は朝は0℃近く、昼でも10℃前後、という地域である。ホテルの設備は暖房が使える前提になっているので、毛布や布団だって何枚も用意してあるわけではない。
 今夜は入浴どころかシャワーもあきらめるとして、夜はしっかり着こんで寝るしかないか…とサガが覚悟を決めたところで、カミュがこう付け加えた。
「幸い、ホテルから有料で石油ストーブを貸してもらえました」
 ああ、それならお湯はともかく寒さはしのげるな…とサガが安心したところで、更にカミュが不安材料を追加した。
「ただし一台だけです」
「………」
 サガとカミュは、今回、シングルルームを二つ取って宿泊している。石油ストーブが一台ではどちらかが寒さを我慢することになるが、さてどうするか…とサガが困ったところで、カミュはこう言った。
「なので、今夜はあなたの部屋で一緒に寝ましょう」
「…は?」
 さらっと言ったカミュの台詞に、思わずサガは目を見開いた。

 カミュがホテルの従業員から受け取ってサガの部屋に運び込んだ石油ストーブは、なかなか年季の入った日本製だった。幸い、ストーブの上部にやかんを置いてお湯を沸かすことも出来て、シャワーは無理でもサガもカミュも顔や手足をお湯で洗うことが出来た。
「そろそろ休みましょうか。明日は早いですし」
 白夜の光を遮る遮光カーテンを閉めると、カミュは当たり前のようにサガのベッドに入り、先にベッドに入っていた彼の横に潜り込んできた。
「サガ、少し詰めてください」
「…ああ、うむ…」
 ごくごく普通に隣に潜り込んで来たカミュに戸惑いつつ、サガが壁際に移動してベッドのスペースを開ける。
「狭いが…カミュ、大丈夫か?」
「まあ、何とか。でもさすがに大人二人はきついですね。昔は寒い時は氷河やアイザックと三人で同じベッドで寝たりもしたのですが…あの頃は二人ともまだ小さかったから」
 カミュの思い出話に、「あ、師匠モードに入ってるのか…」と妙に納得したサガであった。
「確かに、シベリアの冬は厳しそうだ」
「同じベッドで寝た方が薪の節約にもなりますし。寝床の下にペチカの暖気を通すようになっているので、そこで寝るのですが、子供は体温が高いから、くっついて寝るとさらに暖かいのですよ」
 「ペチカ」というのはレンガでできたロシアの伝統的な暖炉のことだ。ただの暖炉ではなくて調理器具や室内の暖房を兼ねており、壁の中に煙突を巡らせることで室内を暖めるのだ。
 師匠モードに入ったカミュは懐かしそうに弟子たちとの思い出をサガに語っていった。寝物語というわけでもないが、そんなカミュの思い出話を隣で聞かされながらうつらうつらとしてきたところで、サガはカミュにこう言われた。
「…そういえば、あなたと一緒に寝るのもずいぶんと久しぶりですね」
「ああ…」
 話を振られて、カミュがまだ聖域に来たころのことをサガが思い出した。
 幼いころから小宇宙を発現させてしまっていたカミュは、自分の力を制御できず、ポルターガイスト現象を起こしたり、周囲の物を凍らしてしまったり、と、事情を理解できない人々からは恐怖体験でしかない事件を起こしてしまっていた。そして「悪魔憑き」と恐れられ、両親によって食糧庫を兼ねた地下倉庫にずっと閉じ込められていたのだ。
 だが教皇シオンによる星見と現地のネットワークからの話により、水瓶座の黄金聖闘士として迎えに行ったのが、当時は十三歳だったサガだった。
「聖域に来たころ…お前はまだ新しい環境に慣れなくて、しばらくは私から離れようとしなかったな…」
 当時のことを思い出してサガが苦笑する。
 虐待と言っていい経験のせいか、大人たちを恐れ、誰に対してもおどおどとした臆病な赤毛の少年は、彼を迎えに行ったサガの腕にしがみついてずっと離れようとしなかった。そして結局、サガはカミュが落ち着くまで彼と寝食をともにして、言葉や聖域での生活の仕方、小宇宙の制御の仕方に聖闘士の基本的な闘法、とあれこれを教えながら面倒を見ることになったのだった。
 さらにそこにまだ幼いアイオリアやミロが加わり、当時のサガとアイオロスは二人で幼い黄金聖闘士たちの保育士と師匠を兼任しているようなものだった。
 今思えば、てんてこまいだが明るくて希望に満ちた日々だった、とサガも懐かしく思い出す。まさかその数年後にはあんな事態になるとは想像もできず…。
「あなたに初めて会った時…」
 カミュが幼い日の記憶を思い出す。
 透き通るように美しい、背は高いが少女のように繊細で秀麗な顔をした少年が、白い手を地下倉庫で幽閉されていたカミュに差し出した。
『私は双子座のサガ。君を迎えに来たんだ、水瓶座』
 出入り口から入る明るい日の光を背にしながら、少しぎこちないフランス語で彼がそう語りかける。そしてそのすらりとした全身からカミュに見えたのは…。
「あなたの姿はまばゆい黄金の輝きに包まれていて…私は、天使様が自分を迎えに来てくれたんだ、と思った…」
 カミュの言葉に、サガがその時の状況を思い出して少し考えこんだ。
「あの時は黄金聖衣は身につけてなかったと思うが…」
 サガの言葉にカミュがくすりと笑った。
「違いますよ。今なら分かります。私が見たあなたを包む金色の輝きは、黄金聖闘士の小宇宙から発せられるオーラの一種だったと…」
 それでも幼い私には、あなたは天使様だった、と。カミュはそう言い、幼い時にしていたようにサガの腕にぎゅっとしがみついた。
「お前はそんな風に思っていたのか。あまり話さない子供だったから、何を考えているのかよく分からなかったな」
 サガは微笑み、子供の頃のようにカミュの頭を撫でた。
 そんな無口で引っ込み思案だった子供のカミュを散々にからかったのが同じ年齢のミロだった。サガがいくらたしなめてもミロは聞かず、カミュの赤毛を茶化したり引っ張ったりしていた。だがある日とうとう我慢の限界が来たカミュに
「黙れ、この麦わら頭!」
 と、ぶん殴られ、殴り倒されたミロは尻もちをついてぽかーんとカミュを見上げた。そしてその後はなぜかカミュのくっつき虫になって、いつの間にか彼の親友ポジションを獲得していたのだった。
「…ね、昔みたいに、お休みのキスをしていいですか?」
「どうした、急に?」
「とても懐かしい気持ちなんです。いいですか?」
「…いいよ」
 そう言ってサガが笑むと、カミュは子供の時にしていたようにサガの頬にキスをした。お返し、と、サガがカミュの額にキスを返す。
「ふふふ…」
 サガから「お休みのキス」をもらって気分が上がったのか、カミュはさらにサガに強く抱き着いて体の上に乗り上げると、サガに頬ずりをしたり軽いキスをしたりと繰り返した。
「こら、カミュ…」
 サガにたしなめられても、カミュは軽く笑いながらサガに戯れ続けた。
「ふふ…何だか、あなたとしたい気分になってきました。ねぇ、しません?」
 艶っぽく誘ってくるカミュに、さすがにサガはぎょっとした。燃える炎のような赤毛に宝石めいた真紅の瞳を持ち、冷たい白雪の肌を備えたカミュは、どことなく人外の魔物か妖精のような趣きと魅力をたたえている。
 色めいた艶で揺らめく紅玉の瞳に見つめられて、「あ、まずい」とサガは危機感を覚えた。真紅の赤狐に狙いを定められた白兎の心地である。サガにはその気はない…多分ないのだが、「…一回くらいならいいかも?」と流されてしまいそうになる。
「…冗談はやめなさい」
 サガはカミュの誘いをあくまで「冗談」と流すことにして、子供に言い聞かせるかのように彼の頭をぽんぽんと叩いた。
「あなたが相手なら、私はいいけどなぁ…。いつでも抱かれるし、あなたが無理なら抱く側でも…」
「………」
 サガは黙ってため息を一つつくと、再びカミュの頭を軽く叩くのだった。
「その気になったら、いつでも声を掛けてくださいね」
 サガの柔らかな拒否にカミュも無理を通そうとはせず、最後にサガの頬にキスを一つして、再び彼の隣に横たわった。
「…あ、今夜のこと、氷河には言わないでくださいね。師匠の威厳がなくなるので」
「ああ…うん…」
 かなり勝手なカミュの言い分を、サガは大人しく飲んだ。そもそも「カミュと一つ床で一緒に寝たら誘惑されました」など、他人に触れ回る話ではない。
「あと、ミロにも。彼、結構嫉妬深いんですよ」
「あ、ああ…」
 まあそういう仲なのだろうな…と薄々思ってはいたが、思わぬ形で裏付けを得てしまったサガが言葉に詰まる。
 自分も「アイオロスには今夜のことを言うなよ」とカミュに口止めをするべきなのかと思い、そう考えたのがあまりに馬鹿馬鹿しくなって、改めてため息をつくサガであった。
「…今回の任務が終わったら、あなたはカノンと一緒に誕生日の休暇を過ごされるのですよね」
「ああ」
 それまでの艶っぽい話から一転して話題を変えたカミュに、サガが相槌を打つ。
「私も…カノンとは一度、じっくりと話をしないといけないと思っているのですけれど…」
「それは、お前の弟子が海将軍になっていた件か?」
 氷の海で行方を絶って亡くなったと諦めていた弟子のアイザックが海皇ポセイドンの意志によって助けられ、海将軍クラーケンのアイザックとして、サガの双子の弟で当時は海将軍筆頭・海龍の地位にあったカノンの世話になっていた。だが十二宮の戦いでカミュは死に、その後にポセイドンとアテナの戦いでアイザックも斃れた。その後、カミュとカノンは聖域と冥界の協定によって復活したが、両者はその辺の話をじっくりを顔を合わせてする機会を得ていなかった。いや、機会を得ようと思えば得られたのだが、カミュの方で避けていた風であった。
「アイザックのこと…あの後、どう生きていたのか、そしてどう死んだのか…。私も、まだカノンに尋ねる勇気が出てこなくて…」
 サガの隣で寝るカミュは弟子の話に顔を曇らせた。
「…私から、カノンに話をしておこうか?」
 だがサガの問いに、カミュは「いえ」と拒否した。
「やはりその話は自分からカノンに尋ねます。そう、いつか私の心積もりが出来たら…」
「そうか」
 サガは改めてカミュの頭を撫でた。
「ここムルマンスクは、私が初めてアイザックに会った土地なんですよ」
 フィンランドの生まれながら聖闘士を志した少年のアイザックは、現地の聖域の協力者たちの手配もあって国境を越えてロシアに渡り、ここムルマンスクで師となるカミュにと引き渡されたのだった。
「思えば、お前もまだ幼かったのに東シベリアで弟子を何人も取らせて…苦労を掛けたな」
 あの頃は、氷の闘法を使える聖闘士はカミュしかおらず、その技を継承する弟子の育成は急務ではあった。だがもう一つ…。
「私を聖域の争いから遠ざけておきたいというあなたの配慮も、薄々は気付いていましたから…。でも…私はあなたに会いたかったし、あなたが居てくれなくて寂しかったな…」
 悄然とカミュが呟く。
「…すまない」
「そう思ってるなら、今度は勝手に行方をくらませないでくださいね」
「うん。すまない」
 心のど真ん中にぐっさりと太い釘を刺されて、サガは苦笑するしかなかった。
「…サガ、ぎゅーっと抱きしめてもらっていいですか?子供の時みたいに…」
「ああ」
 カミュの求めに、サガは横になって彼を抱きしめた。幼いカミュにそうやって寝かしつけていたそのままに。
「…ね、やっぱり、しません?」
「………」
 再び上目遣いに言ったカミュの誘いに、サガは黙って寝たふりを決め込んだ。カミュは当然サガの「寝たふり」に気付きはしたが、それ以上は追及せず、サガに引っ付いたまま、彼も静かに目を閉じたのだった。

<FIN>

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