今から夕食なので
いつものとおり
今日の日記枠確保。
今日の日記は
「後期シェリングのサタン論」
でも書こうかと思っている。
後期シェリング
特に
『啓示の哲学』
は
私が日本で一番
(世界でも一番)
集中的かつ長期間にわたって
読み込んでいると思う。
(日本でなら『啓示の哲学(Philosophie der Offenbarung)』を
12年(1997〜2009年)もかけて(ベルリン大学講義を)全訳した
諸岡 道比古 先生が
一番だろうと誰もが思うだろうけれども
私に言わせれば彼でもシェリングが「神話」という言葉に与えた意味を
誤解している。合理的神学との違いが十分に解っていない。
だから日本では私が一番だ。
世界でなら
シェリングの再来と言われるマルクス・ガブリエルが一番だろうと
誰もが思うだろうけれども
私は彼でも
彼がシェリングの啓示の哲学の原草稿を解説した論文を読んだが
ガブリエルもまた啓示が解っていない。
だから世界でも私が一番シェリングの『啓示の哲学』を理解している。)
後期シェリングをマスターすることは
マルクスを越えることであり
マルクスを越えることは
共産主義思想を越えることであり
共産主義思想を越えることは
資本主義社会を継ぐ社会のヴィジョンを出せるということであり
資本主義社会を継ぐ社会のヴィジョンを出せるということは
現状を打破できるということであり
現状を打破できるということは
現代社会の矛盾を克服できるということであり
現代社会の矛盾を克服できるということは
今我々が抱えている問題の多くが解決されるということであり
今我々が抱えている問題の多くが解決されるということは
私たちが越えられないで困っていることが解決するということであり
私たちが越えられないで困っていることが解決するということは
私たちが幸せになれるということだ。
後期シェリングは
これまで誰もちゃんと理解して来なかった。
後期シェリングを越えられなければ
実現可能な未来社会を描けない。
宗教の意義を
きちんと理解した上で
現代社会の持つ矛盾を克服できる思想が出なければ
みなに幸せをもたらす社会を創造できない。
そういう意味でも
後期シェリングのサタン論を
正確に理解しておくことは
重要だ。
なので
今日は
そのことを
書いてみようと思う。
現在時刻は
19時46分。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
学的厳密さにおいて叙述すると
永遠に終わらないので
端的に
結論だけ書くと
後期シェリングのサタン論は
サタンの原理を
「あらゆる悪を知り
あらゆる悪の動機も知り
それゆえに
いかなる悪に対しても
対抗しうるために
必要不可欠な原理」
として捉える哲学だ。
しかもシェリングは
サタン原理を
「不可存在原理(非存在原理)」
であり
「非存在として可能性に留まる限りにおいて意義を有する原理」
であり
「現実となった時には
サタン原理は
悪を行為することしかできない原理」
であり
それゆえサタン原理は
人間の意志を誘惑して
(人間の意志はサタンの最も安らげる場所。
またサタンは人間の意志以外のどこにも安らげない。
サタンは人間の意志を虜(とりこ)にし
人間を意のままに支配することで安らぎを得る。)
人間を悪に支配された者と化し
人間を破滅に追い込もうとする。
そういう原理としてのサタン原理を
シェリングは
「das sein Könnende(存在可能者、存在し得るもの)」
(本性(Natur)に二重性(vox anceps=ambiguous voice)を持つもの)
と表現している。
この「存在可能者(das sein Könnende)」は
それが可能性である限り
悪ではなく
総ての悪に対する
最高の対抗者たりうる能力として働き得るが
この存在可能者に
人間が誘惑されてしまうと
存在可能者は人間の意志の主体となって
この者を悪以外為し得ない者へと堕落させ滅亡させるまで
この者を虜(とりこ=slave, captive, surrender)にしてしまう。
そういう原理を
総ての人間は意識の最内奥に持っている。
だから
本当の教育とは
人間がいずれ経験するであろう
総ての偽善の動機を
みずからの内部において経験して克服する方法の伝授である。
そういうことを
後期のシェリングは
神話と啓示の哲学で
述べている。
タイトルの
「蛇のように賢く、しかも鳩のように素直であれ」
は
『マタイによる福音書』10章16節
に現れるキリストの言葉
として伝えられている使徒マタイによる伝承だが
このことは
サタン原理を
内に持つ人間が
その誘惑に負けずに
その誘惑が持つ知恵を糧として
他者の悪行を見抜き
他者の偽善を暴く能力としてこれを活用することにのみ
サタン原理(存在可能者)を用いる為に
「鳩のように素直であれ」
という
「最高の矛盾、しかし満たされるならば最高のもの」(SW, XIV 272)
を身につけるべきこと
このことを
教育の原理
人類の課題
として
後期のシェリングは
神話と啓示の哲学で
主張している。
こういうことが
いままで誰も理解できずに
理解しないままに
キェルケゴールも
エンゲルスも
トロツキーも
シェリングの講義を中途で投げ出して
キェルケゴールは実存主義を
エンゲルスは共産主義を
トロツキーは無政府主義を
唱えたのであり
それらは総て
後期のシェリングを理解できていないがゆえに
ドイツ古典哲学を越えておらず
その意味では
ハイデッガーも
フッサールも
即ち
現象学も
後期シェリングの積極哲学を越えられていない。
キリスト教や
仏教も
戦争を阻止できなかったので
シェリングの哲学的宗教
を越えているとは
言い難い。
本当の哲学は
戦争も
犯罪も
偽善も
洗脳も
克服する。
戦争を起こす人間(国家)にも対抗できて
犯罪や偽善や洗脳など総ての悪に対抗できて
(それゆえ子を虐待死させる親から子を守ることができるし
親殺しする子の動機に対しても克服する手段をもつし
いかなる精神疾患であれ悩みであれ苦しみであれ)
これまでのどの宗教よりも
これまでのどの哲学よりも
そして当然
これまでのどの科学よりも
的確明快に解決する原理を持つ。
現代を席巻しているエリートは
人間が悪をなすことから自由ではないことを
見抜いてはいるが
その克服方法を
「そんなものあるわけないじゃん」
と嘯(うそぶ)いている。
解決できるわけないと思われていた
アンチノミーを
解いてみせたことで名を馳せたのが
カントだ。
解決できるわけないと思われている
人間の根源悪を
解いてみせたのが
後期シェリングの神話と啓示の哲学だったのだが
カントの哲学的功績に
匹敵する巨大な矛盾を解いてみせた
後期シェリングの功績が
讃えられないのは
シェリングが天才過ぎて
啓示でも
直観的に解るがゆえだ。
(「純粋経験批判」としての功績
つまり「理性の限界を規定した功績で歴史に名を刻んだカント」
に対して「経験の限界を規定した功績で歴史に名を刻めるシェリング」
が未だ誰も理解できないままに170年以上も放置されているシェリングは
不便(ふびん=かわいそう)だ。
啓示や悟りは直観で体験的に掴むものであり
論理的には永遠に掴めないので
論理でシェリングを理解しようとする人には
永遠に理解されない。)
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最終更新
令和4(2022)年2月23日 22時27分
令和4(2022)年2月24日 23時16分
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