トランプVSバイデンで、バイデンが勝った。もちろん表面的に見ればそれが事実かもしれない。しかし、勝ったのはバイデンでも民主党でもないと私は思う。勝ったのは、議会制民主主義を求める人々の気持ちである。ひとりの英雄や(誰かにとっての)カリスマが主役になり、すべての決定のイニシアチブを握る構造に米国社会は「NO」を突き付けたのだ。
大統領は主役ではなく、民が主役なのである。大統領は少し眠たいと揶揄されるぐらいカリスマ性のない存在のほうが良いのかもしれない。むしろ多様な意見の調整役として、分断を埋める脇役として、バイデンが選ばれたように思う。
あるポートランド在住の米国人は言った。「これは敵を選ぶ儀式です」「これでじっくり、民主党を批判できる」。今、多くの米国人のなかにこの感覚がある。女性初の副大統領となったカマラ・ハリスは言った。
「Democracy is not a state. It is an act(民主主義は状態でなく、行動なのです)」
今、私は、日本の人たちにも声を大にして言いたい。ここアメリカ合衆国で、バイデンや民主党が素晴らしいと手放しで語る者は少ない。ここからまた、米国市民が権力を見つめ、民主主義を積み重ねていく。まるでピザの空箱を積み上げるように。
そう、大統領はその土台にすぎないのだ。市民の望まぬ存在となったとき、大統領は変えることができる。それが今回、米市民の得た成功体験なのだろう。そこに人々は歓喜しているのだ。人々はバイデンの勝利を祝っているのではない、民の勝利を祝っているのだ。
取材・文・撮影:大袈裟太郎/猪股東吾
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