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2020年10月16日05:25

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滋賀県とは

近江への侵攻の総司令官であった井伊直政は、やがて彦根を与えられ、その子の代に彦根城を築城し、明治維新まで続く35万石の祖となりました。昭和30年代に入り、琵琶湖下流の工業的繁栄を見た県政に、「琵琶湖の水こそ金になる」という考えが生まれました。

「水を供給する代わりに金を出せ」です。そして自然のままだった琵琶湖がコンクリートで固められ、ダム化され水質の悪化が始まりました。琵琶湖に初めて赤潮が発生したのは、1997年5月。その後汚染が進み、ついに住民の間に合成洗剤追放運動が起きました。

滋賀県の約6分の1の面積を占める琵琶湖は、27兆5000億リットルもの満々とした淡水を抱く姿はまるで海です。「淡海」が「近江」の語源となったようです。湖西に安曇川という地名がありますが、これは北九州の玄海灘を拠点とした水軍、安曇族が移住してきたことに由来します。滋賀という名も、九州の志賀島に由来します。

ちなみに、伊藤忠、丸紅、ニチメン、兼松江商、日本生命、西部鉄道、大丸、西川産業、ワコール、ヤンマー、トヨタ自動車などは、すべて近江商人の流れを汲む企業です。近江商人の信条は、「勤勉、倹約、正直、堅実、自立」です。

現在でも保存されている家訓によれば、「金持ちにならんと思えば、酒宴遊興奢を禁じ、長寿を心がけ、始末第一に商売を励むより仔西は候はず」とあります。このような厳しい家訓や店則を守っていたからこそ、近江商人は巨万の富を築き上げる事ができたと言えます。

1500年ほど前から近江に伝わる「熟れ鮨」といわれるものがあります。海から遠く離れた近江では貴重な蛋白源でありましたが、かなり強烈なにおいがするため、他府県の人間の中には食欲を失う人もいます。

歴史的に領地が細分化されてきたことや、風土、気候が違うため、何につけても滋賀県人はまとまりにくいといわれています。そうしたことから、こすっからい性格が生まれ、足の引っ張り合いとなり、県人会活動などは成功しないことが多いといいます。

地元では、「琵琶湖の鮎は外へ出て大きくなる」といわれ、県内の高校生が大学へ進学する割合は全国最低です。また男性は就職先として、役所より商業会社や販売会社を選ぶ傾向が強く、モノを売って出世したいと考えるタイプが多いと言います。

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