「明治」は、何回も落選していますが、
その一つの理由は、分解すると「日月水台」になるから、水害が起きるというものでした。
(もちろん、明治年間には大きな水害は起こっておらず、杞憂だったのですが。)
そういうことが問題になるのは、漢字には測字という文化があるからです。
これは、実は娘の命名の際も気にしました。平仮名の元となった字の部首に、「刀」を意味するものが入っていることが気になったからです。
国書からよさげな言葉を引っ張り出して、旧元号やおくりなと照合するのは、学部生でもできること。
それ以上のことを調べないといけません。
昨日の日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1970964000&owner_id=12410478
で述べた、音通と書き下しがアウトだと思います。
測字は、李淳風が高名ですが、李淳風以来の方法として、
部首を付け加えて判断するという方法があります。
そうすると、「令」は、「零」「澪」「冷」などになるから、失格です。
(これが、音通ということです。発音は同じですから、言葉の霊性ということを考えると、同じになるからです。仮に言葉の霊性、言霊…といったことを考えないなら、それこそ、悪徳元年でも不幸元年でもいいわけで、元号を選定する意味はありません。)
(ちなみに、裁判で、裁判長が「無罪」という判決書を書いてきて、言い渡しの時にまちがって「死刑」と言ってしまったら、「死刑」が有効だそうですね。その理屈は忘れてしまいましたが、発語というのは、それほど重要なことです。)
こういうことから考えると、
1 イエスマンになってくれそうな学者を起用して、もともと決定していた元号を形式的に監修させた。あるいは、学者の意見を無視した。
ということが考えられます。
安保法の際に、御用学者と考えられている人まで、違憲と判断したのに、押し切られてしまったということが思われます。
最後に山中伸弥さんなどに審議させたのは、単なる言い訳です。漢文ができる人は、ゼロ。「令月」が、美しい月だという説明を受けたら、「そうだ、そうだ、きれいでいい元号だ」と賛成するでしょうね。林真理子などはともかく、山中さんは、国民的な尊敬を受けている人です。山中さんがいいと言ったら、大多数の国民は納得します。絶好の魔よけになりました。
企業が、事件があってから、言い訳に、役に立たないセクハラ研修を行うのと同じです。
そもそも、学者に本当の意味で委嘱したら、
2 引用が文選だということは、分かったはず。
万葉集から採ろうとしたら、先行研究を調べるからです。
また、それ以前に、
3 国書は日本文化でも中国文化でもある。
と諫めるはずです。
下の渡辺氏のおっしゃることは、正論です。決して珍奇な説ではなく、皆が、心からそう思っているということです。
たとえば、『六祖壇経』などに著された中国禅は、道元の『正法眼蔵』、そして、曹洞宗快庵派の門参『快庵的傳大中寺禪室内秘書』によって、大きく発展しました。
特に、コミュニケーションをどう考えるかという点では、新生面を切り拓いたといっていいです。
学者が外に出て活動して、得た知識を社会に還元しないのか、
社会が学者を無視しているのか…
次代に積み残した課題です。
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5563474
初の「和風元号」の出典となった「万葉集」の「初春令月、気淑風和」との文言について、複数の漢学者らから、中国の詩文集「文選(もんぜん)」にある「仲春令月、時和気清」の句の影響を受けているとの指摘が出ている。
万葉集が8世紀末ごろの成立とされるのに対し、中国の美文をまとめた文選は6世紀に成立。7〜8世紀の遣隋使(けんずいし)・遣唐使が持ち帰ったとみられ、文章を作る上での最高の模範とされた。「仲春」の句は、1〜2世紀の文人政治家の張衡(ちょうこう)の作品。張衡は地震計の作製など科学者の先駆としても知られる。
万葉集と文選の当該部分は、初春と仲春と時期がやや違うが、「令月」との表現や、陽気の説明の「和」が一致する。
平安前期ごろまでに成立した日本書紀をはじめとする古典は、中国古典の表現を元にして書かれた部分が多いとされる。元号の出典にする場合、「中国の古典の表現を孫引きすることになる」との指摘が出ていた。だが、元号に詳しい所功・京都産業大名誉教授は「日本人は外国から取り入れたものを活用してきたわけで、単なるまねではなく、自分たちのものとして利用してきた」と評価する。
中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。
今回初めて漢籍から選ばれなかったことに注目が集まるが、中国哲学の宇野茂彦・中央大名誉教授は「日本の文化というのは漢籍に負うところが非常に多い。文化に国境は無い。漢籍を異国の文化だと思わないでほしい」と語る。
政府は「文選」が原典に当たるかなどについて評価は避けている。
今回の出典をどう評価するか。改元時に公家らが行った審議「難陳(なんちん)」で、中国古典だけでなく日本書紀も引用されたことがあったことを先月論文で初めて指摘した水上雅晴・中央大教授は「文選との類似性が考えられ、隠れた典拠にやはり漢籍があることになる」としつつ、「日本で1300年以上使い続けられている元号の典拠がはじめて国書になったのだから、画期的な年号と言える」と意義づける。
水上氏は、江戸時代末に「令徳」の元号案が出た際、「徳川に命令する」という意味にも読めることから幕府が撤回させたと指摘。令和について「和(日本)に命令する」とも読めるが、今回どんな議論がされたのか気になるという。
難陳の議論は、公家が多数の記録を残し、後世の参考にしてきた。今回の議論はどうだったのか。平成改元の記録未公開をどう考えるか。水上氏は「改元手続きについては、慌てて準備するのではなく、制度をきちんと整えることを考えるべきだ。『令和』改元からは、いつ公表するかは別問題として、細部に至るまでの記録をしっかり残してほしい」と要望した。【畠山哲郎、竹内麻子】
ログインしてコメントを確認・投稿する