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2019年03月31日20:43

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牽強付会な「三位一体」

今回の訪問・滞在にあたって出発前に考えていたことは、

「できるだけ定常的に御山の中に入ってぼんやりしよう」

ということであり、一応ギリプラダクシナの翌朝以外は午前中に1時間半ほどそのように過ごしている。

当初はギリプラダクシナ前日(3日に一度ごと)に「スカンダ・アシュラム」まで往復するスケジュールをも考えていた・・のだが、「この時期にしては異常な暑さ」も相まって、実際にはアシュラム裏門から10分ほど登った地点に開けている岩棚の辺りでぼんやりしている次第。


実際問題として、今回は「現地ご案内」の業務予定&要請が入ってこないので、そうなると怠惰なる私としてはギリプラダクシナ以外でわざわざ「遠出する」気にはならず、それは登山道もまた然りなのですな。


しかし「全然行かない」のも何なので、先日ようやくスカンダ・アシュラムまで行ってきた・・・「部屋を出た」時点では「どうしたものかな?」であり草履も財布も持たずにだったので、定番のケーヴ〜大寺院へというコースは取らず単純往復となった。

建物の屋上のスペースに入れないようになっていた・・のは残念であるのだが、その代わりに?内部でじっくりと座ってきた(これまで入ったことのないスペースにも)。



でまあ、インプレッションとしては、

「真我」・「アルナーチャラ」・「ラマナ」という構図を、「聖霊」・「父(なる神)」・「イエス」に相似した「三位一体」である・・・という風にとらえたら、

「一神教的な唯一絶対神」が「絶対的聖性」としての「アルナーチャラ=ラマナ」という構図として案外すんなり受け入れやすい・・・のかもしれないのかな?・・・

むしろ「ヒンドゥ・パンティオン」と「八百のかみがみ」の相似の方に影響されやすい我々は、確かに「山が神様」というのは日本的な感覚では大変親和性のある捉え方ではあるのだが、それがかえって「超絶的・絶対的聖性」としてはなかなか受け入れ難い・・のではないだろうか?


・・という風なことをふと思いめぐらした。

昨今では州政府の通達により「アルナーチャラ山頂への登頂」が禁止されてしまった・・のだが、「超絶的・絶対的聖性」を護持する・・という意味合いでは、むしろ好ましいことなのかもしれない。



(因みに禁を破って警察に捕まると「罰金1万ルピー」とのこと・・この罰金をネコババしようという魂胆で、警官とぐるになって「ノープロブレム」を連発して山頂に誘う「悪質ガイド」もいる・・そうなので要注意!!)



そしてその「三位一体」という概念から連想して、ふと「日差し」・「庇」・「尚志」のシンクロ?・・・に妄想は展開した(笑)。

「HI(ZA)SASHI」・・・「ひ(ざ)さし」

すなわち「太陽」とその恵みである『日差し』、同時に「身体的存在」には強烈すぎるそれを緩和する機能を持つ「構造物」である『庇』、またそれは私の本名の『尚志』の音ではないか!


一般的には「尚志」という漢字熟語(志を尚くする・・「こころざしをたかくする」)が人名に使用された際には、読みとしては「NAOSHI=なおし」であることが殆どなのに、なんでまた私の場合は「ひさし」なのかなあ?・・なんぞと子供の頃から思い、発音としてはあまり好きではなかった位だが、

こうしてその理由?は、「日差し」と「庇」との「三位一体」の暗喩でもある・・・という発見は、なかなか牽強付会ながらも素敵に画期的!?ざんすねえ(笑)。



そういえば先日はラクシュミーさん(フランス在住の日本人女性で、なんと私のブログ(サイトというよりも・・)を読んでここにやってきた・・そうである!)と話をしていて、例によって「アルナーチャラの神話的起源」を説明したわけだが、よく考えてみると・・・

「天地を貫く巨大なる光の円柱」という本性、眩しすぎて見えないその本性を「現象世界内に開示する」ための「山としてのお姿」、その人間としての顕現であるラマナという存在


・・・・と似通ったアナロジーではないか!! まあ私がラマナに比肩する存在などとは到底思えないことはもちろん差し引くとしても(笑)。

☆アルナーチャラの「神話的起源」はこちらをどうぞ↓

http://onbsras.sakura.ne.jp/giripradakshina-folder/sriarunachala.htm



「ひさし」はH音、ギリシャ神話の太陽神ヘリオスも同じですな・・・そして「シリウス」の本来的語原は「焼き尽くす」だし、何よりも私は天照皇大神を信奉する者でもある。

そんな具合で、やはり私自身も「炎のエレメント」に属するらしい、もっとも各種占術の鑑定によれば、「風」の要素も多分に備えている・・模様ではあるが。



さらにもう一つのインプレッションが去来・・・

「私は軽やかなる一個の馬鹿である」

という点ですな、ポイントは「馬鹿」の方ではなく(それは何を今更なので)、「軽やかなる」の方である。


さてさて、その「軽やかなる一個の馬鹿」(あるいは「宙海渡る神の庭にて踊る祝福せし道化人形」でもある)は、果たして何を夢見ているのか?


これはそれを「披瀝するにもっとも相応しい」であろう、4月1日に公表するとしようではないか、わはははは・・・・・!!


(ただし1日はギリプラダクシナ予定なので、実際の掲載は翌2日予定ざんす。)

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