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2017年12月08日02:02

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『太陽神の娘』第3話

『太陽神の娘』第3話

 空中を二台の荷車が飛んでいた。車輪がからからと回り、見えない天空の道を移動していく。荷車を引いているのは、翼のある黒狼と、やはり翼のある真紅のたてがみを持つライオンだった。荷車にはそれぞれ二人の女性が乗っていて、荷駄を引く獣の手綱を取っている。
 やがて聖域の上空にさしかかった荷車は、降り道を降りるようにらせんを描きながら降下してきた。
「来たわ。こっちよ」
 下で待ち構えていたキルケとサガが嬉しそうに手を振り、合図をする。彼らのいる場所を目指して、荷車が草地に着地した。
「ご苦労様。ヘリオドラ、ロドクレイア、ローティス、エレクトラ。皆、変わりはない?」
 キルケが侍女たちを出迎える。今日の彼女は、古代エジプト風の「カラシリス」という体型にぴったりと合わせて胸からひざ下までを覆う純白のワンピースドレスを着て、これまたオリエントの雰囲気を感じさせる黒地に金糸でパピルスを刺繍した帯を締めていた。ギリシャ式のキトンではなくエジプト風の衣装を変えてみたのは、彼女なりのおしゃれである。
「はい。奥方様もお変わりなく。アイアイエに残った者たちも、いつも通りにやっております」
 ヘリオドラという侍女が一同を代表して女主人に答える。
 空飛ぶ荷車を駆って現れた四人のキルケの侍女たちは、いずれも若く美しい女たちで、その出自はアイアイエの島の樹木の妖精たち(ドリュアデス)だ。
 「ヘリオドラ」というのは「太陽の贈り物」を意味する名で、その名の通り、彼女は明るい黄金の髪と金色の瞳に華やかな顔立ちをしたニンフだった。太陽神ヘリオスはキルケの父親でもある。同名の人物としては紀元前一世紀の抒情詩人メレアグロスの愛人だった遊女がおり、彼の恋愛詩によくその名が登場する。
 「ロドクレイア」は「薔薇の誉れ」という意味だ。こちらは赤毛に緑色の瞳を持ち、てきぱきと快活そうな感じだった。帝政ローマ期の詩人ルピノスの愛人だった遊女にこの名の女性がいる。
 「ローティス」は「蓮」を意味する。黒髪の直毛に黒い瞳というオリエント風の容姿をしており、ナイル河に咲く蓮の花を思わせる清楚なニンフだった。この名の持ち主としては、庭園の神プリアポスに求愛されたが蓮の花に変化して逃れたという神話を持つニンフがいる。
 「エレクトラ」は「琥珀」を意味する名で、その名の通り琥珀色の髪と瞳を持ち、あでやかな色香を漂わせている。この名を持つ女性は神話には多く、母殺しで有名なオレステスの姉、昴の女神プレイアデスの一人でゼウスとの間にトロイア王家の祖ダルダノスを儲けた女神、またオケアノス神の娘にも、同名の女性がいる。
「サガ様も、御機嫌よう」
「ほんに、大きくなられまして」
「またお会いできて嬉しいですわ」
「私たちのこと、覚えていてくれまして?」
 荷車から降りたニンフたちがサガの周りに集まる。サガもまた、四人のニンフたちと久闊を序した。
「色々と運んでまいりましたわ。御衣裳でしょう?お道具類に、お化粧品に、神酒(ネクタル)と神油(アンブロシア)に、地上では取れない薬草に薬液、それに機織り機も」
「機織り機まで持ってこさせたんですか?」
 驚いたようにキルケに問うたサガに、彼女がうなずいた。
「何を言ってるの。機織り機は必需品でしょう」
 古代ギリシャでは糸を紡いで織物を織るのは、代表的な「女性の手の仕事」だった。ニンフや女神たちも例外ではなく、『オデュッセイア』でもオデュッセウスの部下たちがキルケの館に来た際には彼女は「大きな不壊の機にかかりつつ、女神方の召される麗しくも見事な布地を織りながら、美しい声で歌声を口ずさんで」いた。これが後のオウィディウスの『変身物語』になると「(キルケの侍女の妖精たちは)素早い指で羊毛を梳いたり、長い糸を紡いだりはせず、代わりに草を整理し、乱雑に散らばった花や色とりどりの薬草を籠により分ける。彼女たちの仕事を監督するのはキルケ自身」と魔薬を作る魔女としての側面が強調されるようになる。
「欲を言うなら、鶏と豚、それに羊くらいはつがいで連れてきたかったのだけれどねぇ。でもこの家では飼育する場所がないものね。う〜ん、聖域の牧場に預けてみようかしら…」
 一人考えているキルケの様子に、なんだか着々と自給自足の体勢を整えつつあるなぁ、とサガは荷物を見ながら思った。
 サガとキルケが彼女の新居として選んだ家は、家というより邸宅と言えるくらいの、聖域でも珍しい規模の大きさを持つ住居だった。キルケが四人の侍女を呼ぶくらいだから部屋数も多く、庭もついていて、家庭菜園くらいならやれる。ただ鶏くらいは小さな鳥小屋をあつらえれば何とかなるだろうが、さすがに豚や羊を飼育する家畜小屋を増設するとなると、結構な大工事になりそうだった。
 ちなみにここでキルケが言っている家畜は天界のものなので、地上のものとは性質が違う。羊など、白い羊毛の他にも、金色の羊毛だの紫色の羊毛だの青色の羊毛だのを持つ個体がいて、染色しないでもそのまま多色織りに使えるという優れものだった。
「そのうち、あなたにも新しいチュニックを作ってあげるわね、サガ。今着ているものはだいぶ色が褪せてきているから」
「はい」
 新しい服を手ずからあつらえてくれるという養母の好意に、サガはにこやかに微笑みを返した。
「というか、あれもこれもと荷物を詰め込み過ぎなんだよ。あ〜、重かった…。なんでこのおれ様が牛や驢馬みたいな真似を…」
 くびきから解き放たれた有翼の黒狼が、地面にべたっと腹ばいになった。キルケの使い魔の一人で魔界の侯爵閣下マルコキアス様である。
「まあ、そう言わず。あなたもご苦労様、マルコ。あとで神酒(ネクタル)を分けてあげるから」
「頼むぜぇ。ちくしょー、もう動きたくねぇ…」
 地面に転がって怠けモードに入ったマルコキアスとは対照的に、同じく荷車を引いていたヴァピュラの方は、人間の男性の姿に変化した。赤毛とエメラルド色の瞳にライオンの姿だったころの面影がある。そして勤勉にも、彼はニンフたちの荷降ろしを手伝い始めた。
「さあ、荷物を家の中に運んでしまいましょう」
 ニンフたちが荷車に積んでいた荷を運び始め、キルケは家の中で家具の配置や部屋の割り当てについてあれこれと指示を出し始めた。特に霊草類の扱いとなると、彼女の指図がどうしても必要だった。
 そうしてサガもまた荷の始末を手伝っていると。
「なんだ、なんだ、どうした?」
 聞き覚えのある声がした。サガが顔を上げると、彼の双子の弟が近くに姿を見せていた。
「カノン、視察から帰ってきたのか」
 サガの双子の弟は「双子座」の称号を有する傍ら、海将軍筆頭・海龍として海界に住んでその地の統治に当たっている。ここ一ヶ月ほど、海界で地方の視察に出ているということで、サガは彼と連絡を取れずにいた。
「ああ。ここにお前がいると聞いてきたんだが…何をしてるんだ?引越しの手伝い?」
「ああ、実は…」
 と、サガが言いかけた時。
「ぎゃああああーっ!」
 と、すさまじい悲鳴が響いた。悲鳴を上げたのは、マルコキアスである。
「出たぁぁぁぁーっ!こっち来るなー!カノンーッ!」
 跳び起きたマルコキアスは、そのまま近くにあった崩れかけた大理石の柱の上部を両手両足で抱えて蝉のように柱にへばりついた。
「え、マルコキアス?なんでここに…?」
「うわああー、寄るな!しっ、しっ、あっち行け!」
 柱の根元に近寄って上でへばりついているマルコキアスを見上げるカノンを、黒狼が追い払おうとする。
「カノン、お前の魂胆は分かってるぞ!どうせまたおれの翼の羽を引きむしったり、尻尾をつかんで引きずり回したりする気だろ!されてたまるかーっ!」
 どうやら幼少期のカノンに散々に働かれた狼藉の数々が、マルコキアスにはかなりのトラウマになっているらしかった。
「はぁ〜?何だよ、その態度は。幽霊でも見たみたいに…」
 だがそう言って顔をしかめたカノンも、キルケが家の中から出てきた瞬間。
「ぎゃああああーっ!」
 と、悲鳴を上げ、マルコキアスのさらに上、柱の柱頭の部分に跳び乗った。膝を折り曲げ、手を柱頭に着き、背を丸め、髪を逆立ててキルケを威嚇する様は、ほとんど野良猫と変わりなかった。
「なんだぁぁぁーっ!なんでこの女が聖域にいるんだーっ!」
「相変わらず失礼な子ねぇ。カノン、久しぶりに会ったのだから、挨拶くらいなさい」
 今度はキルケが柱の根元に近寄り、先程カノンがしていたように、柱の上を見上げた。
「しっ!しっ!こっちに来るな!」
 キルケを威嚇しながら、カノンが兄に視線を向ける。
「なんでだよ!?何でこの女が、聖域にいるんだよ!?」
「…いや、実は三週間くらい前に私を訪ねてきて、それから一緒に暮らしているんだが…」
「なんだってぇーっ!?おれは聞いてねぇぞ、そんな話!」
「お前は視察に出掛けていて、話す機会がなかったからな」
「まあ、いいわ。今日は引っ越し祝いでご馳走を作るから、カノン、あなたも食べていきなさい」
 にこやかに勧める養母にカノンがわめき続ける。
「お前の手料理なんか、食ってたまるかーっ!どうせ記憶喪失になる薬とか盛る気だろ!それでおれをアイアイエに連れていくんだーっ!」
「ステュクスの流れにかけて、そんなことはしないわよ」
「嘘だーっ!絶対ぇ、信じるもんかーっ!」
「やれやれ…」
 キルケを拒絶して柱の上で威嚇を続ける弟にため息をつくと、サガは彼を無視して荷物の運び入れを再開したのだった。

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キルケの侍女たちについて。『オデュッセイア』では、キルケとオデュッセウスが寝台でいちゃこらやってる最中、「一方その間、屋敷の中では四人の女中たちが忙しく立ち働いていた。この家で家事をする女たちで、みな泉や森、また海に注ぐ聖なる河川から生まれた仙女たちであった」と、彼女たちが椅子をセットしたり、折り畳み式の食卓を広げて食事の支度をしたり、お酒の用意をしたり、入浴の準備をしたりしてます。ここでは四人とあるけど、その後は総勢四十六人からなるオデュッセウス一行を一年間接待してるから、きっと四人よりたくさんいたと思う。必要に応じて数が増減するんだろう、多分。
侍女たちの名前は私の創作で、由来は作中に書いてる事柄から。樹木系の名前でそろえてみました。

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