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2016年03月10日21:49

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彼は「道の右側を歩く」存在となった

今月予定している次の「臨在サイト 更新・新設・リニューアル作業」の項目は、「ラマナ関連書籍解題・紹介」コーナーへの「ラマナ・マハリシの教え(82年めるくまーる社刊・絶版)」のファイル作成・編入であるわけだが、まあ記事内容は柳田文献を中心に大体出揃っているとして、写真紹介の画像をどうしたものかな?・・・・と考えていた。

うちにもちろん同書があるのだが、それは家主夫妻の蔵書の一部としてこの家の納戸に残されていたものであり、あまり保存状態が宜しくない上に表紙カバーが失われているため、写真撮影の対象には不十分なのである。


ということでネット検索したら丁度良い具合の画像があったのでこれをダウンロードしたので問題は解決したのだが、ものはついでにと埼玉県全公立図書館蔵書横断検索サイトで調べてみたら、なんと県立図書館とさいたま市立図書館に蔵書があるではないか!!


県立図書館の方は今閉館中で予約不能状況ということもあって、さいたま市立図書館の蔵書を早速予約した。

ついでにクレンペラー指揮によるマーラー9番(ウィーンフィルとのライブ)とハイドンの時計&軍隊のCDも予約したので、今度の土曜日に出かけて借りてくるとしよう。


それで要すればそれの写真撮影をしてファイルを構成し、ラマナアシュラムの「シュリ・ヴィダヤヘイブン&プルナーバス」の祝賀の日にあたる18日に臨在サイトへ新規編入・掲載の予定である。



閑話休題。


アルナーチャラで何度か会ったK氏が先日逝去されたそうだ。

この土日が通夜・告別式だそうで参列しようかな?とも思ったが、

まあ彼のことならば今や「辛い肉体の頸木」から解放されて安寧の境地にあるだろうから(ここ数年は闘病生活を送られていた)、「肉体的存在の別れの儀式」に私が参列する意義もあるまい・・・と思い直した。

基本的に葬儀というものの意義は「残された者たち」の気持ちの整理のためにあるわけだし。

(もっとも一説に寄れば、肉体を離れた魂が「自分の葬儀の様子を外側から見る」ことで「自分が死んだ事実」を確認するために儀式が必要なのだ・・とも言われる)



そしてこのK氏は存命中は熱心なギリプラダクシナ実践者でもあった。


堅気の仕事に従事していた彼は、短期滞在を繰り返すパターンで現地をしばしば訪問していたのだが、1週間に満たない滞在期間中に「アルナーチャラ山頂への登頂2回&ギリプラダクシナ3回」などというぶっ飛んだ記録を残したり、挙げ句の果てにアルナーチャラ山中で熱射病にかかって救出されたり・・・などという破天荒なエピソードの持ち主であった。

(かっては中国拳法のある流派を実践的に研究されていたりもして、上述のような旺盛・頑健な身体エネルギーの持ち主であっただけに、私と同年輩でありながら不治の病に倒れてしまった・・のはいささか皮肉な運命ではある。)



そんな彼ならば、これからはアルナーチャラの元で故・柳田先生共々「道の右側」を歩く存在となるであろう。

ギリプラダクシナに当たっては「肉体無き存在の方々」は道の右側を歩かれているので、我々は彼らの邪魔とならないように「道の右側を空けて」歩かねばならない・・・というのが不文律のマナーなのである。


そんなわけだから、次回アルナーチャラ滞在時にはギリプラダクシナの際に「道の右側を歩いている」K氏に挨拶ができるであろう・・・少なくとも一回は彼の追悼プラダクシナとして歩くことにしたい。

・・・多分それが葬儀に参列しない言い訳ということで、彼は苦笑しながら許してくれることだろう。


K氏よ、アルナーチャラの臨在の元に安らかに!!  合掌

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