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幸せを見つけるミチシルベコミュの成長とは?(「 世界はもっとあなたの思い通りになる」より)

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「 世界はもっとあなたの思い通りになる」
で深く知りたいと思った事に「成長」があります。

したがって1つトピックを立ててみました。

もう一度泰秀さんが考える「成長」の明確な定義を聞かせてください。考えでも構いません。

成長をどう定義するか、どう考えるかで、泰秀さんの「人生の目的」に対する考え方がよりクリアになると思いました。

(「 世界はもっとあなたの思い通りになる」2005年02月12日20:03書き込みより)

goodwill

コメント(7)

成長に対する定義を書きます。
自分の中で明文化できていないので、思索しながら書いていきます。
かなり未整理で申し訳ありません。


成長とは、経験の蓄積そのものです。

生きていると、さまざまな経験が蓄積されていきます。
経験は、時間の流れそのものです。

そうやって積み重なっていったもの、それ自体が成長だと思います。

花は、水が来て、時期が来ればやがて花を咲かせる。
誰に教えられなくても、時間が経てばその目的を達する。

同じように、人間もある目的にむかって育っていく。

もちろん、それを果たせないこともあるでしょう。
集団としてみれば、目的は果たしたことになる。

精子の話をすると、精子は卵子にたどり着いた一つだけが目的を達成したわけではない。
何億という精子が力をあわせて、初めて受精に結びつく。

同じように、花も、全ての花が咲かなくても、一輪の花を咲かせるために力をあわせている。
人も、そうだと思います。

社会全体の成長。

私は、生きているだけで、成長しているのだと思います。

時間の流れ、というものは、ある方向、ある目的に向かって流れているエネルギーの変化の総称である。



ここで、「成長」の定義をしてみます。
それは、「物語を先に進めること」。

個人で言えば、その人の中には物語が眠っています。

以下は、上記の定義についての説明です。

自我、というものは、物語そのものです。

自我は、一貫性と主体性があります。
たとえば、私が昨日約束したことを「今日は昨日の私と違うから」と言って拒否したら、信用されなくなります。
また、まったく自分で判断できない人間も信用されません。

実際の人間は、一貫性と主体性があるわけではありません。
それは、一部です。
その中で、一貫性と主体性のある部分だけが「自我」として認識される。
(この自我が弱まった状態をもとに戻すのが、心理療法の目的だと考えていいと思います)

それは、ある物語です。

その物語を作る過程で、都合の悪いものを認識しなくなります。
自我は主体性と一貫性を重んじるので、それが軽んじられた、あるいは、主体性を損なった、一貫性がなかった、という経験は意識されなくなります。

これらが劣等感コンプレックス。
これを再発見することで物語の中に組み込む。

物語とは、その人の自我そのものです。
「自分はこんな人間である」
「(それに基づいて)自分はこのような選択をする」
これは、物語です。

個人の物語は、世界の物語の一部です。
なので、世界の物語の一部を切り取って、クローズアップしたものです。
(人間の思考は、大別すると「区別する」と「配置する」の二つに別れると思います。
 区別、は、世界を切り取る作業。
 配置、は、切り取ったものを順序づける作業。)

個人レベルで言えば、成長というのは、自分のストーリーが先に進むことです。
「水泳選手になる」というストーリーなら、それに近づけば成長。
「人類の進化に貢献する」というストーリーなら、それに沿っていると自分で感じられれば、成長。

これは、ストーリーによって違ってきます。


世界全体で見てみると、ストーリーそのものは必ず先に進んでいる。
世界全体のストーリーが、時間というものだと思うからです。

時間は、戻りません
(戻っているのかもしれませんが、私達には分かりません)。

なので、全体としてみれば、全ては常に成長している。

個人で言えば、自分の物語を先に進めたときが成長になります。



泰秀
読み返したらかなり未整理なので、補足/整理します。

個人レベルで見れば
「経験を、自分の物語に配置して、物語を先に進めることができたとき」

が成長ですね。

全体(世界、宇宙)レベルでいえば、
「時間の流れそのもの」

が成長です。

「物語が先に進むこと」
が成長なので、物語の大きさによって成長の意味合いが変わってきます。



物語、について、人間は心理が発達していくと、やがて物語の規模が大きくなる。
個人の物語が、世界の物語に近づいていく。
(世界の物語そのものになることはできませんが)

乳幼児期の物語は、非常に短絡的。
「ミルクが飲みたい」
「どうすればミルクが飲めるか」
「どうすれば欲求が満たされるか」
「どうすれば生存し続けられるか」
という部分。

まずは、肉体としての一貫性、主体性を求める。

続けて、少年期。
ここでしつけや教育によって、精神の一貫性、主体性が形作られます。

このあと、いくつかの段階がある。
それぞれ、物語の広さ・深さが広がっていく。

そのたび、「成長」の定義が変わるのだと思います。

肉体的な主体性・一貫性を求める

自分の個人的な主体性・一貫性を求める

自分の周辺の主体性・一貫性を求める

世界の主体性・一貫性を求める
(この順序とは限りませんが)

その都度、なんらかの主体性・一貫性を見つけることになります。
それが、その人の人生観、人間観、世界観になるのだと思います。

世界の主体性・一貫性はおぼろげながら存在すると思っています。
そこに近づいていくことで、より、生き易くなります。

ただ、そこに近づくことだけが成長ではない。
全ての人がその段階にいたるわけではありません。
(社会全体で見れば、おそらく少しづつ段階があがって来ているのだと思いますが)

それぞれの立場で、物語を進めていくことが成長だと思います。

泰秀
お返事ありがとうございます。
「成長」を理解したいための質問が4つあります。
僕が泰秀さんの仰る成長を誤解している可能性もあるので、知りたいと思いました。


人生の目的を失った時(それは自分の物語を失った時と僕は考えました)成長も止まってしまうという事でしょうか?


小林薫、宮崎勤など凶悪犯罪者は、自分の目的を持ち、自分のストーリーを描ききったと思うのですが、彼らも成長ですか?
段ボールの中で生活する浮浪者も、自分のストーリーを書き、あそこにたどり着いたと僕は考えますが、あれも成長と考えますか?
会社の中に1人はいる、誰からも嫌われている人も成長した人でしょうか?

物語はなんでも良いのですか?

3
成長(つまり「物語を進めていくこと」)は、幸せに繋がっていますか?

4
泰秀さんの仰る

肉体的な主体性・一貫性を求める

自分の個人的な主体性・一貫性を求める

自分の周辺の主体性・一貫性を求める

世界の主体性・一貫性を求める
(この順序とは限りませんが)

のうち、
「自分の周辺の主体性・一貫性を求める」「世界の主体性・一貫性を求める」とは具体的にどのような意味でしょう?


以上よろしくお願いします。

goodwill
質問に答えさせていただきます。

1.人生の目的
失った、と感じたら、その時は成長は止まるのではないでしょうか。
本当に人生の目的を失うと、死んでしまいます。
生きていれば、何か目的意識がある、ということです。
(それが、”生きている”そのものであっても)
死なない限り、個人は成長します。
死んだら、肉体としての個人の成長は止まります。

2.成長です
彼らは一つの物語を生きているのでしょう。
その人の周りに、「その人を変えたい」と思う人がいて、その人が変えられたらそれも一つの物語。
私自身も、「変えたい」と思えば干渉します。

成長は、常にしている。
特に方向付けが必要なわけではない。

人間は、細胞分裂で増えません。
常に、他の遺伝子を必要とする。
そうすることは、多様性を出すためなのではないでしょうか。

拡散していくことが必要であり、
その中で、環境に適応できなければ消えていく。

ただ、その「環境に適応できない人」が不要かといえば、そうではない。
それは、卵子にたどり着けなかった精子と同じです。
無駄死にではない。
全体を通じて、一つの方向へ向かっている。

3.つながっています
幸せは、物語の中で派生するものです。
目的そのものではありません。
どんな物語にも、幸せも不幸せもあるでしょう。
最終的に幸せになるかどうかは分かりません。

「幸福感」というものは、ある条件が満たされた時に発生します。
脳内にドーパミンや、エンドルフィンが放出された時。
一つの化学反応であって、それ自体は人生の彩りに過ぎないような気がします。

その化学反応がおきやすい考え方、生き方というものがあるとは思いますが、そこを全ての人が目指しているわけではないようです。

4.
「自分の周辺の主体性・一貫性を求める」
周りの人の言っていることに筋を求めたり、合理性を求めたりする段階です。
自分の周りの人を、自分の中で理解しようとする。
周囲の存在も、主体的で一貫性のある存在であることを求める。
約束を守って欲しい、とか。そういう感情です。

「世界の主体性・一貫性を求める」
世界の流れ、世界の物語を読み解こうとする段階です。
どこへ向かっていくのか、どのような目的があるのか。

主体性、一貫性のある存在として「自我」が仮定されます。
(実際には、そのような存在はないのだと思っていますが)
そういった「自我」的なものをあらゆるものに見つけ出そうとする。
自分が混沌に取り囲まれていると考えるのではなく、ある秩序のなかにいて、その秩序を見つけようとする段階です。

泰秀
質問です。

2に関して

小林薫、宮崎勤など凶悪犯罪者
段ボールの中で生活する浮浪者
会社の中に1人はいる、誰からも嫌われている人
は皆、成長の過程にいる。

そしてそのような「環境に適応できない人」は、
一見無駄に見えるが
全体として必要である。

とします。

以下の泰秀さんの台詞。
>ただ、その「環境に適応できない人」が不要かといえば、そうではない。
>それは、卵子にたどり着けなかった精子と同じです。
>無駄死にではない。
>全体を通じて、一つの方向へ向かっている。

僕は卵子にたどり着けなかった精子にはなりたくないし、環境に適応出来なかった人にはなりたくない。
そうならないために成功哲学があり、幸せのミチシルベがあるのでは無いでしょうか?

全体の為に生きるなんてまっぴらだと思うんです。
第一、全体ってなんですか?

人生の終盤に
「あなたは卵子にたどり着けなかった精子だったのだ」
と僕は言われたくない。

全体なんてどうでも良い。
究極的には、世の中には自分しかいないんだと思うんです。

全体を通じてひとつに向かっているか、など僕にとってはどうでも良い問題です。

泰秀さんは卵子にたどり着けなかった精子で良いかも知れないけど、
多くの人はそれではいやだと思うのですが。

どう思いますか?


そう考えて、3を議論します。
『成長(つまり「物語を進めていくこと」)は、幸せに繋がっていますか?』
という問いに
『つながっています』
と答えていますが、
泰秀さんは
犯罪者でも、嫌われ者でも、路上生活者でも人生の落伍者でも
幸せも不幸もある。
だから何になろうと構わない。

そして最終的に幸せになるかどうかは分からないと言っているのでしょうか?

幸せのミチシルベなどないという事ですか?


>「幸福感」というものは、ある条件が満たされた時に発生します。
>脳内にドーパミンや、エンドルフィンが放出された時。
>一つの化学反応であって、それ自体は人生の彩りに過ぎないような気がします。
成長こそ人生で重要なものということでしょうが、
何故「成長」が重要なものなのでしょう?

成長が人生で重要と思っているのは泰秀さんのような一部の人かも知れません。
小さな家族でよいから、安定した幸福感を味わいたいと思っている人は多いと思います。

どうせ人間は死にます。
「成長」が何故必要なのでしょう?

僕には、成長こそ、生物が生き残るために作り上げた欲が変形したもので、人生の彩りに過ぎないようにも見えるのですが。

以上お願いします。

goodwill
お久しぶりです。
私の中の混乱が、いくつか解消されてきたのでその部分だけお答えします。

>第一、全体ってなんですか?
>全体なんてどうでも良い。
>究極的には、世の中には自分しかいないんだと思うんです。

私たちは、一部であり、同時に全体でもあります。
私はその時々に属しているもの、たとえば会社や地域の一員であり、その意味では一部。
さらに言うと、私という人間はそれ自体が閉じた社会でもあるので(臓器などからすれば)、全体です。


世の中は階層構造になっています。
ある階層の全体は、ある階層では一部(要素)になる。
逆もそうです。
その階層が無限に続きます。
全体とは、上の階層全体のこと。
成長とはそれら無限に続いていく階層を、着実に登っていくことです。

>小林薫、宮崎勤など凶悪犯罪者
>段ボールの中で生活する浮浪者
>会社の中に1人はいる、誰からも嫌われている人
>は皆、成長の過程にいる。

誰でも、成長の過程にいます。
ただ、おっしゃるとおり、彼らが彼らのままで幸福であるとは思えない。
それは、私の誤りです。極端すぎました。

幸福の基準はさまざまです。
おっしゃられるように、

>小さな家族でよいから、安定した幸福感を味わいたいと思っている人は多いと思います。

そう思います。

この目的に向かって、進んだという実感を持てることが、幸福につながると思います。

成長は、最終的には自らの目的に向かっていく作業です。
ただ、その過程でつねに成功だけがあるわけではない。
失敗することも成長には役立ちます。

失敗と成功は歴然と存在します。
失敗とは、自分の考える幸福から遠ざかる(と感じる)こと。
成功とは、自分の考える幸福に近づく(と感じる)こと。



幸せを見つけるミチシルベとは、私の考えでは目的そのものです。
目的を持ち、それに向かう。

目的をたて、達成すること。それが幸せです。

目的を達成するための方法は、目的が人それぞれであるように方法も人それぞれでしょう。

ミチシルベとして普遍的に使えるものは、目的の見つけ方だと思います。

目的の見つけ方について、どのような近道があるのか。
目的を達成するためにはどのような手法・思考法があるのか。
それを考えていくことが、幸せのミチシルベにつながる、と今の私は考えています。
この方向で議題を進めて行きたいと思いますが、いかがでしょう?

泰秀
泰秀さん。

●早速ご回答ありがとうございます。

さて早速本題に入ります。

>私たちは、一部であり、同時に全体でもあります。
>私はその時々に属しているもの、たとえば会社や地域の一員であり、その意味では一部。
>さらに言うと、私という人間はそれ自体が閉じた社会でもあるので(臓器などからすれば)、全体です。
>世の中は階層構造になっています。
>ある階層の全体は、ある階層では一部(要素)になる。
>逆もそうです。
>その階層が無限に続きます。
>全体とは、上の階層全体のこと。
>成長とはそれら無限に続いていく階層を、着実に登っていくことです。

●なるほど。
イメージとして伝わるような気がします。

『私たち』というとそうですが。
『私』はいつまでも個の階層にしかいないように感じます。
少なくとも僕は『私』を『私たち』と感じる事は出来ません。

そこに心が在るという意味では『私』は肝臓でも腎臓でもなく、脳でしょうし
世界全体、会社全体、家族全体が『私』という事はないように僕個人は感じます。

自分を『私たち』と捉えるという事ですか?

全体つまり最終的には例えば社会全体が何か1つの目的に向かっていれば
『私』の人生は、それほど成功しなくても幸せになれるという事でしょうか?

多分僕は泰秀さんの仰りたい事を、きちんと理解していません。
分かりやすく教えてくださると嬉しいです。
もしまだ混乱の中にいるので在れば、これに関しては、きちんと答えが見つかるまで保留にしてくださっても構いません。


>幸福の基準はさまざまです。
>おっしゃられるように、
●そうですね。

>>小さな家族でよいから、安定した幸福感を味わいたいと思っている人は多いと思います。
>そう思います。
●ええ。

>この目的に向かって、進んだという実感を持てることが、幸福につながると思います。
●同感です。

>成長は、最終的には自らの目的に向かっていく作業です。
>ただ、その過程でつねに成功だけがあるわけではない。
>失敗することも成長には役立ちます。
●なるほど。同感です。

>失敗と成功は歴然と存在します。
>失敗とは、自分の考える幸福から遠ざかる(と感じる)こと。
>成功とは、自分の考える幸福に近づく(と感じる)こと。
●なるほど。同感です。


>幸せを見つけるミチシルベとは、私の考えでは目的そのものです。
>目的を持ち、それに向かう。
>目的をたて、達成すること。それが幸せです。
>目的を達成するための方法は、目的が人それぞれであるように方法も人それぞれでしょう。
●いかに目的に近づくかに関してもミチシルベとして普遍的に使えるものがあると僕は思っています。
それが僕が書いている『世界はもっとあなたの思い通りになる』です。

>ミチシルベとして普遍的に使えるものは、目的の見つけ方だと思います。
●そうですね。とても共感出来ます。

>目的の見つけ方について、どのような近道があるのか。
>目的を達成するためにはどのような手法・思考法があるのか。
>それを考えていくことが、幸せのミチシルベにつながる、と今の私は考えています。
>この方向で議題を進めて行きたいと思いますが、いかがでしょう?
●良いと思います。
僕たちが一番興味を持っているのを話し合うのが一番だと思います。
そして、僕もそれに強く興味を持っています。

現在泰秀さんは何か
『目的の見つけ方について、どのような近道があるのか』
『目的を達成するためにはどのような手法・思考法があるのか』
にかんする方法やヒントを見つけていますか?
もしあれば教えてください。

ちなみに僕は目的の見つけ方を
『人生の目的の探し方(goodwill編)』
ここに書いています。質問や疑問などあれば、いつでもディスカッションをして下さい。

乱文すみません。
泰秀さんのディスカッションはいつも楽しいです。

goodwill

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