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幸せを見つけるミチシルベコミュのどうすれば思った通りのあなたになれるか?

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あなたも、思った通りの自分になれなくて、苦しんでいるのでしょうか?

「もっとうまくやれるはずなのに、どうして自分はあんなにみっともない真似をしてしまったんだ」
「俺は、こんなにできない奴だったのか」
「どうやっても、私はあんなに美しくなれないわ」
「また同じ事を繰り返してしまった」・・・


思った通りの自分になる。
そうすれば、自分は恥をかかなくて済むし、人生はバラ色だろう。
自分を変えたい! もっと素晴らしい人間になりたい!

そう、私は思ってきました。

もっと話が上手くなりたい。
もっと笑いが取れるようになりたい。
もっとかっこよくなりたい。
もっといろいろなことを知りたい。
もっとお金持ちになりたい。
もっと生活能力を身につけたい。
もっと健康になりたい。
もっと有名になりたい。
もっと、もっと、もっと・・・。

そして、そのための方法を一つ一つ考えてきました。
話を上手くするために会話術を学び、
笑いを取れるようにするためにコント番組を見て研究し、
かっこよくなるために美容室に通い、
いろいろなことを知るために勉強会に足しげく通い、
お金持ちになるためにビジネスを立ち上げ、
生活能力を身につけるために一人暮らしをし、
健康になるためにヨガを行い、
有名になるためにブログをはじめ・・・

他にも、いろいろなことをやってきました。
中には幼稚なものもあれば、それなりに形になったものもあります。
それらをやってきた結果、ふと、あることに気が付きました。

私は、思った通りの自分になっていたのです。
大学生の頃、今の自分に憧れていました。
仕事で認められ、自分で会社を経営し、拘束時間は少ない。
たった数年で、私は憧れていた暮らしのほとんどを手に入れました。

ところが、今、私はそれで満足していないのです。
今度は、より多くの名誉、より多くの財産、より多くの刺激を求めている自分に気が付きました。

そこで、もう一度自分を振り返ってみました。

すると、高校生の時、憧れていた自分を思い出しました。
その当時は、とにかく恋人が欲しかった。
音楽をやって、彼女と同棲して、気の合う仲間とバカをやって大騒ぎする。
そんな暮らしに憧れていました。
それは、大学生の時の自分そのものです。
私は、高校のときに欲しかったものを、全て手に入れていました。

ところが、そうすると新しい問題がでてきました。
恋人は、できたらそれでハッピーエンドなわけではない。
むしろ、それは新たなスタートラインでした。
同棲はうまく行かず、音楽で食べていくこともできませんでした。

そこで、大学生の私はこう考えました。
「もっと、心から好きになれる相手を探そう。それは、(以下具体的な特徴)な人だ」
「自分で会社を作ろう、そうすれば、自分たちの音楽を自分たちの会社で販売することができる」

そして、多少の回り道はありましたが、数年でその時考えていた理想の彼女を見つけ、会社も経営しています。
それでも、満たされていない。
思い通りの自分になった。なり続けてきた。
なのになぜ、満たされないのだろう。

そこで、ハッと気が付きました。
私が本当になりたかったものは、一体なんだったのだろう?
それは、幸せになりたかったんじゃないのか?

そうです。私は、幸せになりたかった。
けれど、幸せというものがどういうものか分かりませんでした。
だから、「こうなれば幸せだろう」という仮説を立てた。
そして、それを試してきました。

その結果、それらだけでは求めているものにたどり着けないことに気が付いたのです。

私は、必要なものをどんどん欲しがってきました。
必要条件ばかり考えてきて、十分条件を考えていなかった。
本当は、どうしたいのか、どうなったら満足なのか、それが分からなかったのです。

人は、思い通りの自分になれます。
そのための具体的な方法は、「どんな自分になりたいか」をはっきりさせれば、調べることができます。
書店に行けばさまざまな情報があります。
インターネットでも情報を集められます。
成功している人、それをすでに手に入れている人から話を聞くのも良いでしょう。
本当になりたいと思ったら、それは必ず手に入ります。
行動すれば、必ず手に入る。

だからこそ、本当に欲しいもの、本当になりたい自分をしっかり考えることがとても大切なのです。

逆に言えば、人は、自分の思った通りの自分になってしまうのです。
今、自分に不満を持っているとしたら、数年前のあなたは、今の自分を望んでいなかったでしょうか?
「ああやればよかった」「あれをしておけばよかった」
今思えばそういうことでも、その時は、しっかりと考えて判断したはずです。
今のあなたは、数年前のあなたが思った通りの自分になっているのです。

それでも、今、「思った通りの自分になれれば・・・」と思っている。
だとすると、ここから抜け出すには、考え方を変えないといけないのかもしれない。

私は、そう思いました。
私はどうしたら満足するだろうか?

それは、心が平安であること。
未来に期待をせず、過去に執着せず、ありのままの世界を心から味わえること。
それが、自分が本当に望む姿なのだと考えるようになりました。

思い通りのあなたになる方法を考える時、次の質問をしてください。
「思い通りのあなたになったら、その時のあなたは何を考えているだろうか?」
こうして、どんどん先へ考えを進めていく。
そうすると、本当になりたい自分、というものが見えてくる気がするのです。

本当になりたい自分、というものを、心から納得するまで考える。
それを手に入れたくて仕方がなくなるまで、考える。
そうすると、行動することができます。
行動すれば、いつかは必ず欲しいものが手に入ります。
あなたの思いを慎重に見つめてください。
あなたの思い通りの人生は、本当にあなたの求めているものなのか。

本当に求めていることを知ることができれば、それを手に入れることができます。
あなたは、思い通りの自分にしか、なれないのです。

泰秀

コメント(3)

上記の文章は大きく前半と後半に別れていると考えます。

まず前半について。

多分多くの人はこう思うでしょう。
「私は全く思い通りになっていない」
と。

僕の同僚に、
「goodwillさんはいいなあ、女性に人気があって」
という男性がいます。

彼は僕よりずっとルックスが良いのに実際モテません。
誰も彼とつき合いたがらない。

最初女性はそのルックスから彼に近付く。
でも数回のデートで愛想をつかし、恋人にいたる前に去っていく。

彼はどうしたら女性に人気が出るのか知らないのです。
でも彼は本気でモテたいと昔から思っています。
実際彼はファッションなどの気遣いに余念がありませんし、
思い付く所は全て変えているはずです。

しかし彼は何年も前からずっと、なりたい自分になれないでいます。
同じ所をぐるぐる回っている。

実はそういう人はとても多いと思います。
ある意味では僕もそうです。

「モテたい」に限らず、多くの人は、なりたい自分になる手段を持っていません。

泰秀さんは思い通りになりたいと考え、思い通りになったと有りますが、どうすれば良いんですか?
というのが僕の第一の問いです。

彼を通してもう少し考えてみます。

彼を分析してみると、決定的な欠如がある事に気が付きます。
彼は人間関係をきちんと築く事ができません。
会話の中にいい加減な所がとても多い。
何かあるとすぐに適当な言い訳でごまかす。
彼は、その場限りの会話しかできない人間なのです。

だから女性達は彼との会話を楽しめない。
彼を信用できません。
そして離れていく。

彼のその性格は、モテるモテないだけでなく、ありとあらゆる人間関係に影を落としています。

しかし、彼にその事を指摘しても彼は反省するが、根本的に理解していないから状況は変わらない。

僕はこう思います。
「思い通りにならない」
の影に決定的な1つあるいは数個の欠如がある。
その欠如が「思い通りにならない」全ての事、苦しみのほとんど全てに影響を与えてます。
そしてそれを変えるのはとても難しいと。

まずその欠如に気付いていない人がほとんどです。
表面的には自覚しているが、その根本を理解してない。
だから同じ所をぐるぐる回ってしまう。

そしてその根本に気付いている人もこれをなかなか変えられない。

他にも思い通りの自分になれない理由は有ると思いますが、まず僕はこれをあげたいです。

泰秀さんはどう思われるでしょうか?




さて後半に関してです。

思い通りの自分を手に入れ、しかしそれでも幸せを得られない人は僕も含めてとても多いと思います。
よく「自分を見つめなさい」と助言をする人がいます。
しかし自分を見つめる方法が分からない。
「自分を見つめなさい」の意味が第一よくとれない。
僕は最近自分の見つめ方が分かりかけてきましたが、まずここで止まってしまう人がほとんどです。

古典的な成功哲学の多くは、自分の見つめ方を教えてくれません。

>未来に期待をせず、過去に執着せず、ありのままの世界を心から味わえること。
>それが、自分が本当に望む姿なのだと考えるようになりました。
ありのままの世界を心から味わうのはどうすれば良いのでしょう?
「ありのままの世界」とはいったい何なのでしょうか?

>思い通りのあなたになる方法を考える時、次の質問をしてください。
>「思い通りのあなたになったら、その時のあなたは何を考えているだろうか?」
>こうして、どんどん先へ考えを進めていく。
>そうすると、本当になりたい自分、というものが見えてくる気がするのです。
今まで思い通りに色々してきて、「思い」とは何かが見えてこなくなった人たちがここで悩んでいると僕は考えます。

そうなると、「思い通りのあなたになったら」という問いで止まってしまう。
思い通りのあなたって何だっけ?となってしまう。
そのガイドラインが欲しいです。

>本当になりたい自分、というものを、心から納得するまで考える。
>それを手に入れたくて仕方がなくなるまで、考える。
>そうすると、行動することができます。
この方法を教えて下さい。
本当になりたい自分を、心から納得するまで考える方法が知りたいです。
なんていうか、暗闇を手探りで歩いているような不安が有ります。
とても見つかる気がしません。
光を下さい。あるいは手を引いてくれる人が欲しい。

それが見つかるまで職業を点々とすれば良いのでしょうか?

でも、もし、本当になりたい自分が早い段階で見つかれば、
タイガーウッズ、イチロー、ナカタ、北野武、松本人志などのように「いわゆる成功者」になれそうな気がします。
しかし、そのような自分を捜しているうちにどんどん時間だけたっていってしまう。

僕の友人が言っていました。
「人生の成功は、自分が何になりたいかを早く見つけられるかどうかだ」
と。
その中に、ある程度真実が見えます。

「本当になりたい自分」をどのように見つければ良いのでしょう?

>あなたの思いを慎重に見つめてください。
この方法を僕は知りたいです。

以上、かなり強い文章になってしまいましたが、よろしくお願いします。


goodwill
ずいぶん返信が遅くなりました。
申し訳ありません。

いろいろと考えていました。
考えたことをお話していきます。

>泰秀さんは思い通りになりたいと考え、思い通りになったと有りますが、どうすれば良いんですか?
>というのが僕の第一の問いです。

ものすごく、根本的なことを書いてしまいます。
思い通りの自分に「なる」ことはできない。
ありのままの自分を受け入れて、「なった」自分を、思い通りの自分だとするしかない。

世界を思い通りに「する」のではなく、世界の思い通りの自分に「なる」、しかないのではないか。
この思いが強くなってきました。

世界=世界観だとするならば、これは正しい。
世界の見え方を変えるわけです。

ここで考えたいのが「自分」とはなにか。「あなた」とかかれたときに、読んでいる人が話しかけられている「私」だと思っているものは、一体なんなのか。
「私」というものは、根源では世界とつながっていると思うのです。
ただ、これは私の「世界観」に過ぎないのかもしれない。
客観的に証明することができないのです。
ただ、私には直観として「私」=「世界」という図式がある。
「私」にもさまざまな段階があって、より深く潜っていく、自分のことを知っていくにつれて、「世界」そのものの意志に近づいていくのではないか、と思うのです。


書いてくださった例で考えてみます。

>僕はこう思います。
>「思い通りにならない」
>の影に決定的な1つあるいは数個の欠如がある。
>その欠如が「思い通りにならない」全ての事、苦しみのほとんど全てに影響を与えてます。
>そしてそれを変えるのはとても難しいと。

>まずその欠如に気付いていない人がほとんどです。
>表面的には自覚しているが、その根本を理解してない。
>だから同じ所をぐるぐる回ってしまう。

>そしてその根本に気付いている人もこれをなかなか変えられない。

おっしゃるとおりです。
気付いても、なかなか変えられない。
私自身、自分の欠如に気付きますが、すぐには変えられない。

ただ、思うことが、この欠如を変える必要があるのか、ということです。
変える必要がでてくれば、ひとりでに変わる。
その時期が来れば変わるし、一生来ない人もいる。

>思い通りの自分を手に入れ、しかしそれでも幸せを得られない人は僕も含めてとても多いと思います。
>よく「自分を見つめなさい」と助言をする人がいます。
>しかし自分を見つめる方法が分からない。
>「自分を見つめなさい」の意味が第一よくとれない。
>僕は最近自分の見つめ方が分かりかけてきましたが、まずここで止まってしまう人がほとんどです。

自分を見つめる、それは、決まった方法があるのかどうか分かりません。
その人の資質の問題もあるでしょう。
私は、内省的な性格です。
真理は、自分の内側を掘り下げていくことで見つかると信じている。
だから、自分をとにかく見つめます。そこに救いがあると信じているから。
ただ、それは私の価値観であって、他の人から見た自分≒「私」というものの見え方は違うでしょう。

私が自分を見つめるために行っていることは
(考えてやっているわけではありません、昔からの習慣です)

・自分の行動を後から分析する
 →どうしてあんな行動を取ったのだろう? どうして自分はこう感じるのだろう?
  ここで、納得がいくまでその原因を探す。
  例えば、恋人と喧嘩をしたとき
 →どうして私は怒っているのだろう→私を依存させようとする意志を感じるからだ→私は依存したくないのだ
 →依存している自分への怒り→束縛とは何だ?→私には安定も必要だ→束縛と自由のバランスが大切だ
・外界の全てのことは、自分の内面が投影されたもの
 →同じものを見ても、その時の自分の内面によって見え方が変わる。私たちは、自分の内面を見ている、と考える

といったことです。
他にもあるかもしれませんが、とにかく大きなものはこの2つ。
前者が行動で、後者が考え方です。
ただ、ここのところ思うことが、私は自分ばかり見つめすぎる。
とにかく、自分と向き合うのです。
外界は、全て自分の内面の投影だと考える。
より深いところにもぐろうとすると、現実との接点を失う可能性がある。
このあたりは、バランスとしかいいようがありません。

自分を見つけることも、コミュニケーションの一環なのだと思います。
心と体を繋ぐ、人と人を繋ぐ、社会と社会を繋ぐ。
どれも、コミュニケーションです。
とにかく、自分に興味を持つこと。
今、何を感じていて、何を思っていて、それはなぜなのか。
自分の体に起きていること。今、右足がどこにあるか、左足は、右腕は、心臓は、内臓は。
意識を体に向ける。
同じように、心にも向けていく。少し不安がある。喜び。悲しみ。
それぞれの要素がどうして生まれたのか。考える。

私は、気がついたらこのような考え方をしていました。
個人的な体験でいえば、ヨガと経営がここに導いたと思いますが、この手法をまねても同じ結果にはならないと思います。
それは、人には時期・段階があるからです。
さらに、人にはそれぞれ資質がある。
私にとっては、内面こそが世界であり、「私」を掘り下げていくと「世界」につながる、という考え方はとてもしっくり来ます。
しかし、これを人に押し付けることはしない。
その人が必要なら、いずれその時期が来てそれを見つけるでしょうし、そうでない場合は別の道を見つけるでしょう。
きっかけは、必ず訪れます。

>ありのままの世界を心から味わうのはどうすれば良いのでしょう?
>「ありのままの世界」とはいったい何なのでしょうか?

ありのままの世界とは、今、この瞬間です。
思い煩いからの解放。
難しいことを言いたいわけではないのです。

今、周りから「青いもの」を探してください。

この1文を読んだあと、あなたは周りの青いものが急に目に入るようになったはずです。
人は、そのようにできています。
考えていること、悩んでいること、興味のあることしか見えない。
それは、目標達成のために人が与えられた能力なのですが、時にはこれを外してみるのも必要なんじゃないかな、ということ。
ふと、大きな息をついて、新鮮な気分になる瞬間があると思います。
ふと、空を見て「空なんて見るの、いつ以来だろう」とか。
解放される感覚。
あの感覚を常にもっていたいな、というのが私の言いたかったことです。

>今まで思い通りに色々してきて、「思い」とは何かが見えてこなくなった人たちがここで悩んでいると僕は考えます。

>そうなると、「思い通りのあなたになったら」という問いで止まってしまう。
>思い通りのあなたって何だっけ?となってしまう。
>そのガイドラインが欲しいです。

言葉遊びにならないと良いのですが…。
慎重に答えます。
私が考えるに、私たちは、思い通りにしかなれません。
人にはそれぞれステージがあって、役割がある。
その中で、それをこなしているのです。

今、そこにいるあなたは、思い通りのあなたです。
あなたが選んだあなたです。
「あなた」=「世界」です。

>本当になりたい自分を、心から納得するまで考える方法が知りたいです。
>なんていうか、暗闇を手探りで歩いているような不安が有ります。
>とても見つかる気がしません。
>光を下さい。あるいは手を引いてくれる人が欲しい。

これは、自分を「世界」に近づけていくことでしょう。
そうすると、不安が薄れていきます。

もちろん、不安がなくなることがない。

私が思うに、手を引いてくれる人、というものが、悩み、不安、苦しみなのではないかと思うのです。

ヨガでは、体の痛みは恵みだと考えます。
なぜなら、痛みによって体の悪いところが分かるからです。
その痛みをほぐしていくことによって、気の流れが良くなる。
痛みは、自分の体を知るための手がかり、導き手なのです。

これは、肉体にも、精神にも当てはまると思います。
先ほどの例に出てきた彼は、コミュニケーションで悩んでいる。
そのことは、いずれ彼をコミュニケーションの専門家にするでしょう。
さっきの青色の件のように、私たちは自分で悩んでいること・考えていることに関する情報をひとりでにさがすように出来ています。

もし彼が、そうならないのなら、彼はコミュニケーションで真剣に悩んでいないのです。

世の中には、真剣に悩んでいることに気付かない人が多い。
本当の悩みは、なかなか人に言えない。
あるいは、自分でさえ気付かない。
だから、自分の行動を慎重に読み解く必要がある。
貧乏ゆすりをしている時は、不安、居心地の悪さ、浮かれている時。
貧乏ゆすりをしていることに気がついたら、今、自分は何かに緊張していないか、と問う。
本当の悩みは、自分で認めたくないものであることが多い。

しかし、やがて認めざるを得ない状況が来ます。
先のヨガで言えば、痛いところに気付かないでいれば、やがて病気になる。
同じように、精神の痛みも、放っておくと外界からきっかけが与えられる。
そうして、気付くのです。
そして、解決に向かう。
これは、時期があります。人によっては、死ぬまでそのきっかけがこない人もいるのかもしれない。
これは、分かりません。私のまわりでは、たいていの人がきっかけを与えられています。
それも、気がつくまで、何度も何度も。

>それが見つかるまで職業を点々とすれば良いのでしょうか?

それも一つの手かもしれません。
職業、ということは私の中でそれほど大きな位置を今は占めていません。
私の目的は、コミュニケーションを円滑にすること。
もっと楽に人と接すること。
人が働きやすい職場を作ること。
目的から仕事は選ぶもので、逆ではない。
なので、職業はあまり意味がなくなりましたが、これは起業してからです。
環境も人に影響を与えるので、職業を変えてみるのも良いかもしれません。

>でも、もし、本当になりたい自分が早い段階で見つかれば、
>タイガーウッズ、イチロー、ナカタ、北野武、松本人志などのように「いわゆる成功者」になれそうな気がします。
>しかし、そのような自分を捜しているうちにどんどん時間だけたっていってしまう。

>僕の友人が言っていました。
>「人生の成功は、自分が何になりたいかを早く見つけられるかどうかだ」
>と。
>その中に、ある程度真実が見えます。

>「本当になりたい自分」をどのように見つければ良いのでしょう?

人生には、シナリオがあります。
ある程度、決まっている。
どこまでが自分の意志か、ということですが、そのシナリオを読み解くのは、自分の意志だと思います。
ただ、私たちは大きなシナリオの中にいる。
「世界」の思い通りに生きている。
私はそう考えています。
人それぞれ考えはあると思いますが、どこか、人生にはシナリオがある、ということを感じている方は多いでしょう。

では、どこまでシナリオで決められているのか?
シナリオを変えることは出来ないのか?

私は、この感覚こそが「なりたい自分」を阻害している要因だと思うのです。
シナリオがある、それは、ただそれだけ。
シナリオを書き換えようとも、先を読もうともしなければ良いのです。

これをすると、もがき、苦しみ、悩む。
けれど、それもシナリオを進めるために必要なことなのかもしれません。
だから、時期が来るまでは解放されないでしょう。ずっと解放されないかもしれません。

私達の自由、「思い」は、このシナリオをどのように解釈するか、というところにあると思っています。
変えたり、先読みしたりすることは、あまり意味がない。
そもそも、そのように世界はできていない。
ただ、シナリオを進めていくにつれて、それに感想を抱くことは出来る。

映画を観たとき、その映画のストーリーを変えることは出来ません。
先を読むことも、映画をつまらなくするだけです。
(厳密に言えば、先の読める映画なんてありません、ストーリーのおおまかなあらすじは読めても、その時の俳優の顔、一つ一つの表情、構図、それら全てを読める人なんて、製作者でも不可能です)。
私達ができることは、その映画をどのように感じ、受け止めるか、ということ。

それが、私達の自由なのです。
ただ、目の前のものの意味を受け取る。それが「ありのままの世界」の意味です。
ありたい自分、とは、その時の感情を見つめていればいい。

そして、感情はやがてシナリオに沿っていきます。
ストーリーを変えることはできない。
変えようとする必要もない。
それが、私の正直な世界観なのです。
ここに関しては、ずっと悩んでいたところです。

私も、シナリオを書き換えよう、シナリオの先を読もう、とさまざまなことを繰り返してきました。

しかし、どうも、実際に行ってきたことはシナリオの解釈を変えただけではないのか。

思い通りの自分になった、というより、今の自分になりたい、と思っていた部分だけを思い出した、という方が正確かもしれない。

自分の人生のレイアウトの仕方を覚えたのです。

>>あなたの思いを慎重に見つめてください。
>この方法を僕は知りたいです。

自分の人生のシナリオを丹念に読み解くこと。
自分がどこへ向かっているのか。
そして、思いが行動を産むのではなく、行動が思いを産む、ということ。

あとから、行動したことに意味をつけるのです。

その都度、現実を自分に合わせて解釈できる。
それには、自分の意志がどこまで世界を信頼できるか、世界と一体化できているか、ということが大切になってくる。
映画監督と感覚が近ければ、映画をよりいっそう楽しめ、納得できるのと同じです。

そのための方法としては、ストーリーを楽しむ、と決めること。
監督(=「世界」)を信頼すること。
ストーリーを書き換えよう、先読みしよう、としないこと。

これが、私の考えた幸せになる方法です。

泰秀
上記の文章は、後半が特に興味深かったです。
また後半がもっとも重要な様に感じましたので
後半に関して僕の思う事をまず述べます。

(文章があまりにも長くなりましたので幾つかに区切りました。
今後泰秀さんはそれらをバラバラにして少しずつ議論しても構いません。
また議論の必要がない場合は、その旨と理由をここで教えて下されば割愛しても良いかと思います。
その場合、議論が必要であれば、また僕からトピックを出します。如何でしょう?)
+++++++++++++++++++++++++++++
『泰秀さんの「私」と「世界」の概念に関して』

「世界が僕たちの全て人生のストーリーを決めている。
僕たちの自由はそのストーリーを読み解くだけである。
先読みをしたり、変えようとするのは苦を生むだけである
僕たちは世界が作るストーリーを信頼し、楽しむ。
それこそが幸せへの道である」
というのが泰秀さんの考えの主旨ように感じます。
違ったら仰って下さい。

もしそうだとすると、それは魅力的な考えです。
が、それが故にとても危険な考えだと思います。
何故魅力的か?
それは、その考えがもっともらしいからです。

何故危険か?
色々な物事を諦めるのに
この考えが助けてくれるからです。

殆ど全ての成功哲学では泰秀さんような考えは語られていないと思います。

もし、自分を変えるのが不可能で、世界が人生のストーリーを決めているとしたら、
成功するのもしないのも全て運命が決めた事になる様に思います。
タイガーウッズも、ビルゲーツもなるべくしてなった。選ばれた人間だけがなったという事になります。
逆に浮浪者もいわゆる窓際族もリストラに遭った人々も選ばれた人という事になる。

成功哲学では、ある方法を実践すれば、その人は誰でもなりたいものになれると言います。
成功哲学者は、多分読者をぬか喜びさせるためにこのような考えに至ったのではなく
経験と研究の過程を経て、ある真実に触れたのだと思います。

僕は多くの成功哲学者と同様に主体性の力を信じています。
全てが自分主体になった時、全てが思い通りに変わっていくのだと考えます。
(全てを自分主体にするという事がどういうことかはいずれ触れるでしょう)
問題は何を本気で変えたいかにかかっています。

世界が僕の人生のストーリーを決めているだろうか。
確かに生きていて多くの因果を感じます。
(因果は、「ある原因が、一定の法則に従って、一定の結果を導く事」をここではさす事にします。宗教的な意味は含みません)
そして、因(原因)が与えられると、その因が予想するとおりの果(結果)を僕は導き出してきた様に感じます。
原因→主体性(自分が積極的に選択したり関わる事)→結果
というのが僕の考えですが、主体性など幻かも知れないと思う時もあります。

僕は本当に自分で人生を選んでいるのだろうか?
原因と結果の間の単なる観察者、体験者なだけじゃないかと思う事もありました。
世界がすでにストーリーを書いてしまっているのなら、主体性など幻という事になるでしょう。

もし世の中に主体性がないとしたら、あるいは主体性の振れ幅を全て意識して世界が作られているとしたら
僕は完全に世界のストーリーの中にいるでしょうね。
世界は何を求め僕をこのようなストーリーの中に閉じこめたのだろうか?

このように泰秀さんの提案する世界観はとても魅力的です。

しかし僕は実際には以下の事を信じています。
この世の中はオーダーメイドでは出来ていない。
つまり個人個人の為に世界は作られていないように思うのです。

それは
(科学者として)世の中に客観的事実や法則が存在する事。
また
人間の性質は互いに極めて似ており、それが故に他人の因果を僕が予想できる事
また
この因果を知ると、他人の人生を僕が変えてしまえる事。
などから来る1つの仮説です。

世界は究極的にはシステムという側面を持ち、その中でヒトは培養されている。
システムを知る事で僕たちは自分や世界そして因果などを変えられるのだと感じます。
そのような行動が主体性であり、
主体性こそが僕たちを因果の縛りから救ってくれる道だと考えます。

実は、主体性と自分が信じているものも多くは因果の中にあります。
僕たちはまず、世界が作り出している、因果のシステムなど大きなシステムを知る事にあると思います。
それを知らないから僕たちは、自分も世界も変える事が難しいのです。
泰秀さんが、自分を変えられなかったのはそのシステムを知らなかったのが原因かも知れないと僕は考えています。

「知る」という事が自分や世界を思い通りにする第一歩であると僕は考えています。
そうしないと僕たちは世界がつくったストーリーの中を生きる事になるでしょう。
それはストーリーの中ではなく、システムの中という事だと僕は思うのです。

(出来れば)全てを知り、その知識をもとに自分に関わる因果の質を変える。
これこそが、自分を変える事に繋がる1つの道であり
究極的には悟りであると感じます。

つまり、僕は世界が僕のストーリーを作っているという考えを
魅力的ではあるが鵜呑みに出来ないでいます。
世界はある種のシステムであり、そのシステムの中で人はストーリーを勝手に描いている。
世界は僕たちのストーリーに積極的には関与していません。
というのが僕の信じる考えです。

+++++++++++++++++++++++++++++++
『「 どうすれば思った通りのあなたになれるか?」に関して』

これをふまえて前半の泰秀さんの文章と議論してみます。

「 どうすれば思った通りのあなたになれるか?」
に関して僕は以下のようなことを考えていました。

簡単に言えば
まず
「自分を徹底的に知る」
そして
「それによって自由になる」
そうすると
「自分を思い通りに出来る」
という事です。

僕の友人が禅宗の考えにはまっているのですが、彼がこう言っていました。
「禅の考え方にこういうのがあるんだよgood君」
「自由になるというのは、まず自分を知る事なんだ。例えば腕は肘(ひじ)があるために曲がる方向が決まっている。反対側には決して曲がらない。僕たちはこれを不自由だと感じない。腕が曲がる方向を知っているからだ。腕が曲がる方向を知っているから、反対側に曲げよう何て全く思わない。だからものを取る事が簡単に出来る。肘の曲がらない方向にあるものを取るには、体をねじればいいし、立ち上がればいいんだ」

もし腕を反対側に曲げようと思えばそれは苦しむだけです。
これこそが、思い通りにならない自分に苦しむ姿なのでしょう。
僕たちは腕を反対側に曲げなくても、色々なものを取る事が出来るのです。

僕たちは人間という意味で、全て同じと錯覚していますが、実はそれぞれ違う。
それを多様性と遺伝学では呼ぶのですが、多様性によって他人が出来ない事、そして自分だけが出来る事を持っています。
それを徹底的に知る事こそ、自由になる事だと思うのです。

そして多分これは、泰秀さんの言いたかった事と重なっている様に感じます。
違いましたらご指摘下さい。

つまり僕たちはまず、自分を徹底的に知る必要があり、そして受け入れる必要があります。
自分を思い通りにするには、そこが出発点だと考えます。

>思い通りの自分に「なる」ことはできない。
>ありのままの自分を受け入れて、「なった」自分を、思い通りの自分だとするしかない。
同感です。
つまり、僕たちはまず、自分を知り、それを受け入れる事から始まります。

>ここで考えたいのが「自分」とはなにか。「あなた」とかかれたときに、読んでいる人が話しかけられている「私」だと思っている>ものは、一体なんなのか。
>「私」というものは、根源では世界とつながっていると思うのです。
>ただ、これは私の「世界観」に過ぎないのかもしれない。
>客観的に証明することができないのです。
>ただ、私には直観として「私」=「世界」という図式がある。
僕の中では「私」と「世界」は深く関わっていますがイコールではありません。
「私」は「自己」であり、「世界」は「自己以外の全て」です。
言い換えれば、世の中の全ては「私」と「世界」。それしか存在していません。

さらに「(世界観が作る)世界」は「(世界に対しての自己の関わり合い方を通して見る)世界」であり、
この場合の世界は自己と多くの部分を共有するでしょう。
その世界とは実は幻です。
実在せずヒトによって異なり、形を変えるものです。

実際の「世界」と「(世界観が作る)世界」との区別が付くか?
難しいかも知れませんが、或る程度の予想は出来そうです。

「(世界観が作る)世界」は個性を持っています。
ある人の世界は神がいるが、ある人の世界にはいない。
ある人の世界は全てがうまく行くが、ある人ではうまく行かない。
上記のように個性のある世界は実際の世界かどうかは分からない。

しかし共通なものもあります。
「老化して死ぬ」「ものを地上で話すと下に落ちる」「セックスと妊娠は直接関係がある」
などはどうやら真実の世界に属していそうです。
多くの人の観察が同様な現象を捉えているから、そう仮定できるという事です。

多分、多くの科学者はこのような実際の世界を知りたがっています。
ただ泰秀さんの仰るとおり、世界を客観的に完全に証明するのは
少なくとも今のところとても無理でしょう。

ただ、「私」と「(世界観が作る)世界」に関しても僕はイコールだとは思っていません。
ここで言う私とは自分が意識できる私です。
もしかしたら泰秀さんは無意識や究極的には遺伝子が出す命令も「私」と捉えているかも知れません、
泰秀さんの文章の展開からそのようにも感じます。
その場合は「私」と「(世界観が作る)世界」はニヤリー・イコールでしょうね。
ただし
世界が私を含むのではなく、私が「(世界観が作る)世界」を含んでいます。

ともかく「(意識できる)私」と「(世界観が作る)世界」においては
「私」が「(世界観が作る)世界」を限定し、「(世界観が作る)世界」が「私」を限定します。
つまりお互いがお互いを制限し合います。
「(世界観が作る)世界」は「(無意識と意識が作る)私」の中にあります。
この関係を僕たちは変える事が出来ますが、変えられる事に多くの人は気づいていません。
世界を変える事で私が変わり、私を変える事で世界が変わります。

ちなみに実際の「世界」は今のところ僕たちではとうてい理解できるものではありません。
僕たちは世界のほんの表層を舐めているだけに過ぎません。
僕はそう思っています。
ある何かに気がついた瞬間、それも解けるのかも知れませんが。

>「私」にもさまざまな段階があって、より深く潜っていく、自分のことを知っていくにつれて、「世界」そのものの意志に近づいて>いくのではないか、と思うのです。
泰秀さんのもつ世界には意思が有るのですね。
実は僕も世界に何か意思の様なものを感じます。

世界の意思に近づくの僕の理解は
「(実際の)世界」と「私」のより良い関わり合い方、より正しい関係性を知る事だと感じています。
僕たちが一方的に「(実際の)世界」を想っているに過ぎないのかも知れません。
世界は僕たちの事などどうでもよいかもしれない。
でも僕たちは世界を正確に知らないと苦がおそいます。

 >>僕はこう思います。
 >>「思い通りにならない」
 >>の影に決定的な1つあるいは数個の欠如がある。
 >>その欠如が「思い通りにならない」全ての事、苦しみのほとんど全てに影響を与えてます。
 >>そしてそれを変えるのはとても難しいと。
 >おっしゃるとおりです。
 >気付いても、なかなか変えられない。
 >私自身、自分の欠如に気付きますが、すぐには変えられない。
 >ただ、思うことが、この欠如を変える必要があるのか、ということです。
 >変える必要がでてくれば、ひとりでに変わる。
 >その時期が来れば変わるし、一生来ない人もいる。
気づく事は重要だと僕は思います。
気づかなければ苦しみます。
気づく事にもコツがあるでしょう。
自分が何度も繰り返す失敗は、毎回違う過ちから来るのではなく、一般に同じ過ちの違う現れに過ぎない。
その根元に気がつく事でしょう。
また、自分の欠点や欠如は、たいていの場合自分以外の全ての人が気づいています。
その情報を偏見なく得る事でしょう。

さて気づいた時、次に変えられるか変えられないか?
どのように変えていくのかが重要になると想います。
僕は昔少林寺拳法をやっていたのですが、相手の突きをかわす時、無理矢理相手の力を正面から止めるのではなく、
相手の力の方向を少し変える事で身を守る事を教わりました。
自分の変え方にも、正面から変えるのではなく、上手な方法があるのだと思います。

しかし、それでも変えられないものもあるでしょう。
それを知る事は更に重要でしょうね。

つまり
1.自分の欠点に気がつく。
2.自分の欠点が変えられるかどうか吟味する。
3.変えられるもので有れば変える。
4.変えられないもので有れば受け入れる。
この過程こそが自分を変える最初の流れだと僕は思います。
ここから始まります。

 >>しかし自分を見つめる方法が分からない。
 >>「自分を見つめなさい」の意味が第一よくとれない。
 >>僕は最近自分の見つめ方が分かりかけてきましたが、まずここで止まってしまう人がほとんどです。
 >自分を見つめる、それは、決まった方法があるのかどうか分かりません。
僕はある一定の指針をここで示せたら良いなあと思います。
ガイドライン、ロードマップを多くの人が求めています。
何故なら、このガイドライン、ロードマップこそがミチシルベの重要な部分だと僕が思うからです。

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『「自分を見つめるために行っている事」に関して』

>私が自分を見つめるために行っていることは
>(考えてやっているわけではありません、昔からの習慣です)
>・自分の行動を後から分析する
> →どうしてあんな行動を取ったのだろう? どうして自分はこう感じるのだろう?
>  ここで、納得がいくまでその原因を探す。
>  例えば、恋人と喧嘩をしたとき
> →どうして私は怒っているのだろう→私を依存させようとする意志を感じるからだ→私は依存したくないのだ
> →依存している自分への怒り→束縛とは何だ?→私には安定も必要だ→束縛と自由のバランスが大切だ
僕も同じ事をしています。
同時に人間の性質を合わせて考える事にしています。
つまり、例えば恋愛を例にとっても明かですが、僕や泰秀さんを含む多くの男性が同様の行動や思考パターンを取っている事に気づく事です。
何故、男性あるいはヒトは上記の様な心の動きをするのだろう。
またある種の女性はどうして、依存させようとするのだろう。
それが分からないなら調べようという事になります。
これを合わせて考えると、自己の分析がより立体的になります。

>・外界の全てのことは、自分の内面が投影されたもの
> →同じものを見ても、その時の自分の内面によって見え方が変わる。私たちは、自分の内面を見ている、と考える
これも僕は同様の事をやります。
しかし同時に、
「外界の全てのことは、自分の内面が投影されたもの」
と何故自分が感じるのかを問います。

そこで浮かび上がってくるのは、自分を知りたいという衝動を僕たちが持っているという事です。
何か教えが欲しいと自分たちは常に感じているのです。
外界がそれを教えてくれるかも知れないと思っています。

外界の多くの事が、僕たちに何かを教えてくれるかも知れませんが、
同時にそれは僕たちが作り出した世界観で、
たんに僕たちの生きる戦略を表しているに過ぎないかも知れません。
これは僕たちに限界を作ります。
ですので、このアイデアをあまり鵜呑みにすると危険かもしれないと感じます。

>ただ、ここのところ思うことが、私は自分ばかり見つめすぎる。
>とにかく、自分と向き合うのです。
>外界は、全て自分の内面の投影だと考える。
>より深いところにもぐろうとすると、現実との接点を失う可能性がある。
>このあたりは、バランスとしかいいようがありません。
そうですね。
僕も同感です。
バランスを取るというのはとても難しい事です。
バランスを取るには自分は自分を外から見つめる必要があるだろうからです。
だとすると、自分を外から見つめる方法を考えるべきだろうと僕は考えます。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
『ヨガに関して』

>自分を見つけることも、コミュニケーションの一環なのだと思います。
>心と体を繋ぐ、人と人を繋ぐ、社会と社会を繋ぐ。
>どれも、コミュニケーションです。
>とにかく、自分に興味を持つこと。
>今、何を感じていて、何を思っていて、それはなぜなのか。
>自分の体に起きていること。今、右足がどこにあるか、左足は、右腕は、心臓は、内臓は。
>意識を体に向ける。
>同じように、心にも向けていく。少し不安がある。喜び。悲しみ。
>それぞれの要素がどうして生まれたのか。考える。
なるほど。

>私は、気がついたらこのような考え方をしていました。
>個人的な体験でいえば、ヨガと経営がここに導いたと思いますが、この手法をまねても同じ結果にはならないと思います。
>それは、人には時期・段階があるからです。
>さらに、人にはそれぞれ資質がある。
>私にとっては、内面こそが世界であり、「私」を掘り下げていくと「世界」につながる、という考え方はとてもしっくり来ます。
>しかし、これを人に押し付けることはしない。
>その人が必要なら、いずれその時期が来てそれを見つけるでしょうし、そうでない場合は別の道を見つけるでしょう。
>きっかけは、必ず訪れます。
そうですね。
ヒトには時期と段階、資質があります。
では泰秀さんのミチシルベは結局は自分で探しなさいと言うことになってしまうような気がしますが。
確かにそれも1つの考えです。
しかし仏陀やキリストは多分、ある種のミチシルベを示したのだと思います。
ヨガという体系も誰かが示したミチシルベを泰秀さんが選んだのでしょう。
僕たちも1つのミチシルベとして何かを示したらどうかと思います。
そこで提案ですが、ヨガで1つトピックを作ってみませんか?
いつも少しだけヨガに触れるだけになってしまいます。
泰秀さんがヨガをどのように捕らえ、どのように考えているのかをより深く知りたいと思いました。

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『ヨガに関して、その2』

以下に関しても次はヨガのトピックで話し合った方がよいかも知れないと思っています。

>>ありのままの世界を心から味わうのはどうすれば良いのでしょう?
>>「ありのままの世界」とはいったい何なのでしょうか?
>ありのままの世界とは、今、この瞬間です。
>思い煩いからの解放。
>難しいことを言いたいわけではないのです。
>今、周りから「青いもの」を探してください。
>この1文を読んだあと、あなたは周りの青いものが急に目に入るようになったはずです。
>人は、そのようにできています。
>考えていること、悩んでいること、興味のあることしか見えない。
>それは、目標達成のために人が与えられた能力なのですが、時にはこれを外してみるのも必要なんじゃないかな、というこ
>と。
>ふと、大きな息をついて、新鮮な気分になる瞬間があると思います。
>ふと、空を見て「空なんて見るの、いつ以来だろう」とか。
>解放される感覚。
>あの感覚を常にもっていたいな、というのが私の言いたかったことです。
なるほど。
そうですね。
何かに固執してる時ほど見えなくなりますね。
その流れの中にいる時、流れの外を見る難しさを感じます。
「青いものを探して下さい」というのは自分でしょうか?
どのようにして、「青いものを探して下さい」と言うのでしょう?

>ヨガでは、体の痛みは恵みだと考えます。
>なぜなら、痛みによって体の悪いところが分かるからです。
>その痛みをほぐしていくことによって、気の流れが良くなる。
>痛みは、自分の体を知るための手がかり、導き手なのです。
分かります。

>これは、肉体にも、精神にも当てはまると思います。
>先ほどの例に出てきた彼は、コミュニケーションで悩んでいる。
>そのことは、いずれ彼をコミュニケーションの専門家にするでしょう。
>さっきの青色の件のように、私たちは自分で悩んでいること・
>考えていることに関する情報をひとりでにさがすように出来ています。
つまりヨガはありのままに世界を捉えるのではなく、
自分が持っている問題や考えている事を気づかせてくれる方法という事でしょうか?

>もし彼が、そうならないのなら、彼はコミュニケーションで真剣に悩んでいないのです。
これは同感です。
しかし例えば、女性にモテたいという事に悩んでいて、そのうまくいかない根本原因がコミニュケーションだとします。
いつまでたってもその原因に心からたどり着く事が出来ない。
という場合はどうでしょう。

>世の中には、真剣に悩んでいることに気付かない人が多い。
>本当の悩みは、なかなか人に言えない。
>あるいは、自分でさえ気付かない。
>だから、自分の行動を慎重に読み解く必要がある。
>貧乏ゆすりをしている時は、不安、居心地の悪さ、浮かれている時。
>貧乏ゆすりをしていることに気がついたら、今、自分は何かに緊張していないか、と問う。
>本当の悩みは、自分で認めたくないものであることが多い。
同感です。
そうですね。自分を常にモニターする事の重要性は僕も感じています。
心の動きや行動を常に(できるだけ)客観的にモニターできるなら、
それは自分を知るのに強いスキルになるでしょうね。

ところで、例えばモテたいのにモテない根本原因がコミュニケーションであることに
気づくのにはどのような読み解きが必要なのかは分かりますか?

>しかし、やがて認めざるを得ない状況が来ます。
>先のヨガで言えば、痛いところに気付かないでいれば、やがて病気になる。
>同じように、精神の痛みも、放っておくと外界からきっかけが与えられる。
>そうして、気付くのです。
>そして、解決に向かう。
>これは、時期があります。人によっては、死ぬまでそのきっかけがこない人もいるのかもしれない。
>これは、分かりません。私のまわりでは、たいていの人がきっかけを与えられています。
>それも、気がつくまで、何度も何度も。
それも同感です。
でも出来るなら痛みを伴う前に解決させたいものです。
病気は時に手遅れになりますし、ちょっとしたきっかけでその間違いに気がつきたい。
その方法が知りたいです。
その一つがヨガなのでしょうね。
泰秀さんは他にはそのような方法は持たないのでしょうか?
+++++++++++++++++++++++++
『仕事探しに関して』

これは人生の目的のトピックに入るかも知れません。

>>それが見つかるまで職業を点々とすれば良いのでしょうか?
>それも一つの手かもしれません。
>職業、ということは私の中でそれほど大きな位置を今は占めていません。
>私の目的は、コミュニケーションを円滑にすること。
>もっと楽に人と接すること。
>人が働きやすい職場を作ること。
>目的から仕事は選ぶもので、逆ではない。
>なので、職業はあまり意味がなくなりましたが、これは起業してからです。
>環境も人に影響を与えるので、職業を変えてみるのも良いかもしれません。
「目的から仕事は選ぶもので、逆ではない」
これは同感です。
僕もそれに気がつきました。

上の文章を読むと、泰秀さんは既にその目的を見つけたようですが、
でも人生の目的に関してまだ悩んでいるようです。
真の目的に早くたどり着く方法はないという事でしょうか?
++++++++++++++++++++
『最後に』

以上、本当に長くなってしまいました。
文章も広がりすぎてしまった様に思います。
読んでいる方は読みづらいでしょうね。

まず、まとめがここいらで必要でしょうね。
そして、削るところを削り、焦点を絞るか、
いくつかのトピックに分けるべきだと考えますが、如何でしょう?

泰秀さんにお任せして良いでしょうか?

ご意見を待ってます。

あと誤字脱字ありましたら是非ご指摘下さい。

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